第38話 繰り返される階層
足元に鳴り響いたのは、十階層へと続くはずの階段を降りきった音──だった。
けれど、見上げた景色は。
「……え?」
霧。白銀の空間。冷たい空気と、きしむような氷の床。
まるで、さっきまで居た──九階層と寸分違わぬ光景だった。
「うそ……また九階層……? でも、確かに下に降りたよね……?」
ユイが不安そうに振り返る。ルミは黙って霧の匂いを嗅ぎ、ルーファスは眉をひそめていた。
そして、前方に姿を現したのは、またしても──フロストウルフ。
「っ、さっき倒したはずじゃ……!?」
戦闘の末、同じ個体とは思えぬ群れを再び撃破する。
しかし、進んだ先にはまた同じ光景。空間が──“巻き戻って”いた。
「これは……空間転送か、もしくは……?」
「構造が捻じれているのかもしれませんな」
ルーファスが前に出て、慎重に地面と壁の魔力を確認し始める。
「ふむ……これは、座標のリピートではなく、“空間そのものの貼り直し”ですな。……ふふ、面白い構造です」
彼は唸りながら、霧の中を歩き回る。
「これは……なるほど、魔力縫合痕が……ふむ……これは見事な“空間補修式”」
「ルーファス?」
ルミがじっと様子を見つめる。
彼の調査は、まるで“予め知っていたかのように”手際が良すぎた。
「おや。ここにも。ほらユイ様、この氷柱の根元。魔力の痕跡が残っておりまする」
「ほんとだ……ちょっとだけ、光ってる……!」
ユイが手を伸ばす。ひやりとした感触に、魔力の震えが混じる。
「これは“空間認証式”の痕跡でございます。通過ルートを意図的に閉じ、次元ループに誘導している。……まさに、高度な空間罠ですな」
「……そんなの、普通の魔物が設置できるとは思えない」
ルミが鋭く言い放つ。
「つまり、これを作った“誰か”がいるってことよね?」
「そう、つまり──“第三者”の仕業ですな」
その言葉が場に落ちたとき──
ふ、と霧の奥に“影”が揺れた。
黒いフードの人影。数秒だけ姿を現し、すぐに溶けるように消える。
「今、誰かいた……よね……?」
ユイが固まったように呟いた。
「……見えた。確かに……人影が。ルーファス、反応は?」
「魔力痕、気配ともに極めて薄い……高位の幻影魔法か、もしくは座標の反転構造そのものに潜んでおるかと」
(即答……早すぎる。気づいていたような……)
ルミの胸に、またひとつ疑念が浮かぶ。
そのとき。
「……離れて」
ルミが一歩前に出た。
霧の中に再び影が現れた──まるで彼らの会話を聞いているかのように、今度は、じっとこちらを見ていた。
──それは、敵意を感じさせない。ただ静かに、立っているだけ。
けれど──
「甘く見ないで。ここは、私たちの“主”の前。許さない」
足元に魔法陣が展開される。
銀髪が舞い、氷の粒が凝縮されていく。
ルミの姿が変わっていく──銀の肌、引き締まった身体、凛とした少女の姿へと擬人化が完了する。
「ルミ、擬人化……っ!?」
「“氷牙・大輪舞”。撃つよ」
蒼白の魔力がうねり、構成が始まる。
「ちょ、ちょっと待って! ルミ、やりすぎかも──!」
ユイの声に、一瞬だけ彼女の肩が揺れた。
──その隙を狙ったかのように、人影はふっと消えた。
魔力痕は、極めて薄い。まるで最初から“存在していなかった”かのように。
攻撃寸前で、ルミは魔力の放出を止めた。
魔法陣が空中で凍り付き、細氷が虚空に砕け散る。
「手応え……なかった……」
けれど、不思議と“魔力だけが抜けた”感覚が残っていた。
(おかしい……ただの幻影なら、こんな風に“魔力吸収”なんて……)
ルミは目を伏せ、そしてゆっくりと獣の姿へ戻る。
その背に、疑念が影のように張りついたまま。
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さらに探索は続く。
進むたびに構造が変わり、同じ場所のはずなのに分岐が消えていたり、通路の傾斜が変わっていたり。
──中でも一番おかしかったのは。
「この隙間、狭すぎる。ルミでも通れないのに、ルーファスだけ通れた……?」
「いやはや、偶然でございますな~。小柄に生まれて感謝です」
(偶然? “通れるように作ってあった”んじゃ……)
ルミは思った。それは、ルーファスが“空間識別”によって“自分だけ通れるように設定した”可能性。
その時点では、証拠はなかった。
けれど、違和感は確かに──蓄積していた。
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最後の通路。氷柱の根元に浮かぶ座標陣。
「ここだ。十階層への接続座標、間違いなし!」
ルーファスの声に、ユイが目を輝かせる。
「やっと……本当の最深部だね!」
けれど、ルミだけは振り返ったまま動かない。
静かに呟く。
(……全部、最初から仕組まれてたんじゃないの……?)
銀の瞳が、霧の奥でふと揺れる。
次の階層──その前に、あの滑稽な笑顔の下に隠れた“矛盾”を、暴かなくてはならない。
この空間の真の謎は、まだ解けていないのだから。




