第34話:その名を、共に刻む
淡く揺れる光が、空間を優しく包んでいた。
ここは、ダンジョン第五階層――ボスエリアの奥に隠された、セーフティエリア。
深く傷ついた者たちに与えられる、ほんのひとときの静寂。魔物の気配はどこにもなく、空間全体が心地よい魔力に満たされていた。
「……やっと、勝ったんだね」
ユイはその場にゆっくりと腰を下ろした。鉄の棒を手にしたまま、息を整え、身体に残る痛みに小さく眉をひそめる。
隣では、ミルが同じようにゆったりと座り込み、静かに尻尾を揺らしていた。小さな身体には疲労の色が濃く、いつもの凛とした雰囲気もどこか薄れていた。
「ミル……ごめんね、無理させちゃって」
ユイがそう言うと、ミルはそっとユイの顔を見上げ、「キュ」とかすかに鳴いた。
――そして。
ミルの身体から、ふわりと金色の光が立ち上がる。
「……え?」
驚いたユイがその光に手を伸ばすと、まるで返事をするかのように、ミルは一歩前に出た。
そして――口を開いた。
「……ユイ」
「ミル……しゃ、しゃべった!?」
ミルはすこしだけ目を伏せてから、小さく頷いた。
「……ずっと、少しは話してたでしょ。でも、ちゃんと“言葉”で話すのは、今が初めてに近いかも」
「う、うん……たしかに、言葉って感じではなかったけど……」
ユイの声には驚きと困惑が混じっていた。
「どうして今なの?」
「……契約の時だから」
ミルは静かに語り始めた。
「名前は、ある。信頼も、もう十分。血も……ユイが気づかないうちに、舐めた。口の傷に、自分の血もつけた。だから、もう全部、そろってるの」
ユイは戸惑いながらも、何かを悟ったように、ミルの目をじっと見返した。
「契約って……その、なんで?」
「うん。私、聖獣だから」
「聖獣……?」
ユイの頭の中に「?」が浮かぶ。
「え、聖獣って……えっ、なに? その、すごいやつ?」
ミルは少し目を細めた。
「そう。簡単に言えば、“この世界に数体しかいない特別な存在”……みたいな感じ。あんまり実感ないけど、私はそのひとつ」
「えっ、えええっ!?」
「まあ、それはあとで。今は契約魔法。ちゃんと、手順を踏まなきゃ」
ミルが一歩前に出る。
「……ルーファス、お願い」
「承知しました!」
宙に浮かんでいたルーファスがぴしっと直立し、杖を振る。地面に魔法陣が広がり、ゆっくりと契約の舞台が整えられていく。
「契約魔法は、ただ見るだけじゃだめ。周囲に干渉する空間魔法を維持しないと、崩れるから」
舞台を維持するルーファスの額にはうっすらと汗がにじむ。
ミルは、ユイの手を取った。
「目を閉じて、私の言葉に続いて」
「う、うん」
ミルの声が、空気を震わせる。
「――我が名はミル。契約を望む者よ、我が力を半ば預け、共にあらんことを願う」
「……我が名はユイ。契約を望みます。あなたと共に、歩み、戦い、生きることを誓います」
その瞬間、金色と青白の魔力が渦を巻き、空間全体が強く輝いた。
ユイの胸元とミルの額に、それぞれ紋章が刻まれる。
契約が――成立した。
光がゆっくりと収まり、ミルの身体が変化していく。
小さな獣の姿が光に包まれ、女性の形を形作る。銀色の長い髪、金の瞳。クールで洗練されたコート風の衣装に包まれた、スレンダーで美しい女性――だが、その耳と尻尾は獣のまま、三本の尻尾が静かに揺れていた。
「……すごく綺麗」
ユイの言葉に、ミルは少し照れたように微笑んだ。
「……ありがとう。でも、この姿は楽じゃないから、普段は戻るね。魔力を使うの。獣の姿の方が、ずっと楽で自由だし」
ルーファスが、感動したように拍手を送る。
「契約、成立おめでとうございます! ふたりとも、本当に素晴らしい絆でございます!」
「ありがと、ルーファス。舞台、助かったよ」
「い、いえいえ! 当然のことでございます。あ、あっ、尻尾がっ……!」
ミルのふわふわの尻尾がルーファスの顔にふれて、彼はバランスを崩しながら空中でくるくると回った。
その様子に、ユイとミルは思わず笑った。
新たな契約。新たな力。そして、新たな一歩。
ふたりは、確かに前へ進んだのだった。