第28話:目覚めの床、揺れる
木漏れ日が揺れる午後、小屋の中には静寂が満ちていた。
寝床の上で、ユイは天井を見上げていた。
全身の節々に、鈍い痛みがまだ残っている。筋肉の張り、骨の軋み、魔力を使い果たした反動による虚脱感。あの戦いの爪痕は、癒えたとは言いがたかった。
ミルもまた、部屋の隅でクッションにうずくまり、羽を広げることなく身じろぎもせず眠っていた。普段なら常にぴんと立てていた耳も、今は力なく伏せている。
「……ミル、ごめんね。無理させちゃった」
ユイが小さく声をかけると、ミルはゆっくりと目を開け、「キュ」と弱々しく鳴いた。
その声には、悔しさが滲んでいた。
あの日。必死に戦い、負けて、ようやく一矢報いた――その記憶は、痛みと共に体に刻み込まれていた。
木の床を杖が静かに叩く音が、遠くから聞こえてくる。
「起きておるか、ユイ」
グリュンが、ゆっくりと部屋に入ってきた。
腰をかばいながらも、顔には柔らかい微笑が浮かんでいた。だが、その瞳の奥には、いつもとは違う鋭い光が宿っていた。
「……ちと、話がある。大事な話じゃ」
ユイは寝返りを打ち、痛みを堪えながら身を起こした。ミルもぴくりと反応し、伏せたまま耳を立てている。
グリュンはテーブルの前に腰を下ろし、静かに息を吐いた。
「おぬしらが戦った、あのクマ型の魔物――あれはな、森の“主”の一族じゃ」
「……“主”……?」
「うむ。だが、あれは末端の末端。言ってしまえば“斥候”に過ぎぬ。森の奥には、あれなど比にもならぬ存在が潜んでおる」
「……もっと、強いのが……?」
「当然じゃ。あれは、せいぜいCか、良くてBランクの魔物じゃ。だが“森の主”たる存在は――その比ではない。Sランクを超える、“災害級”の存在。人の国でも“SSランク”として恐れられておる」
ユイの手が、布団の上でぎゅっと握られた。
ミルも、小さく「キュウ」と震える声を漏らす。
「“主”たちは、常に森の奥で眠っておる。だが時折、動くことがある。わしがこの森に居る理由の一つは、それを監視し、森の外へ出さぬためじゃ」
グリュンの口調は淡々としていた。だがその声音には、確かな覚悟が宿っていた。
「わしは“番人”として、この森に残っておる。外の世界に“主”が現れれば、人々はひとたまりもない。わしの役目は、それを防ぐことじゃ」
ユイは言葉を失い、ただじっとグリュンを見つめた。
「……あのとき、感じた気配。きっと、“主”の目だったんだね」
「おぬしらが見つかったわけではなかろう。だが……兆しはある。斥候が現れたということは、いずれ本体が動く前触れじゃ。森の均衡が、揺れ始めておる」
「……グリュン……」
グリュンは、静かに首を横に振った。
「心配はいらん。すぐにどうこうなる話ではない。じゃが……そろそろ、次の手を打たねばならん」
その声は穏やかでありながら、どこか遠くを見ているようでもあった。
その視線の先にあったのは、己の“最期”か、あるいは――。
ミルがユイに身を寄せる。ユイはそっとミルの背を撫でながら、目を閉じた。
この森は、ただの森ではなかった。
守られていた。知らずのうちに、結界の中で。
それでも、自分はまだ……あまりに何も知らなかった。
グリュンは立ち上がり、窓の外を見やった。
その瞳には、深い森の奥――誰も近づかぬ“禁域”を映していた。
(この子が、何かを背負うことになるのなら――)
(せめて、今だけでも……)
グリュンの背は、ひどく遠く見えた。
ユイは言葉にできない何かを、胸の奥に感じていた。




