第26話:一撃の天秤、代償の代償
血の匂いが、森に滲む。
大樹の根元に叩きつけられたミルは、細い体をかばうように丸め、苦しげに息をしていた。柔らかな白い毛が赤く染まり、呼吸は浅い。
「ミルっ……!」
ユイは駆け寄ろうと一歩踏み出すが、目前の獣がその道を塞ぐ。
巨大な熊型の魔物。全身は甲冑のような黒い毛で覆われ、鋼のような爪が土を抉っている。金色の瞳がじっとユイを見下ろすその姿は、まさに“格上”。
(……どうすれば、倒せるの?)
ユイは、震える手に再構成で作った鉄棒を握りしめた。けれど、それで叩いても、切っても、魔法を当てても、この相手には何一つ効かなかった。
傷一つつかない。
たとえ命中しても、通じない。
まるで岩のような防御力。体力も、反応速度も、全てがユイたちの何倍も上だった。
「ミルを、返してよ……!」
ユイは叫びながら、再構成で短剣を作り、雷の魔法を放つ。同時に全力で駆け、敵の膝に飛びかかるように攻撃。
けれど。
短剣は甲皮で弾かれ、雷は毛に吸収されたように効果がない。
逆に、軽く振られた敵の前足に吹き飛ばされ、ユイは数メートル先の地面に転がった。
「がっ……! く、ぅ……!」
肺の中の空気が一瞬で抜け、喉の奥が焼けるように痛んだ。
(駄目だ……今の私じゃ、勝てない……)
それでも。
ミルが、苦しげにこちらを見ている。
必死に動こうとして、でも体が言うことをきかない。内臓か骨か、どこかを傷めていることは明らかだった。
「……ごめん、ミル……私が……弱いせいで……」
涙が頬を伝う。
それを見下ろすクマ型の魔物は、まるで面白がるように口を歪めた。明確な「侮蔑」――格下を嘲笑うような、愉悦の気配。
「……ッ!」
ユイは怒りで歯を食いしばり、ボロボロの体を無理やり起こす。足は震え、視界も揺らいでいる。それでも、立ち上がる。
その時だった。
《ユイ様。緊急助言:神より授かったスキルの最大活用が推奨されます》
脳裏に、チュートリアルの声が響いた。
「……最大活用……?」
《“再構成”スキル、“アイテムボックス”。その可能性は、現在の状況打開に有効と判断されます》
(でも……“再構成”は魔力の消費が大きいし、アイテムボックスは……)
ふと、ユイの頭にひとつの考えがよぎる。
今まで、ユイは小さな武器や道具を作ることにしか“再構成”を使ってこなかった。だが――再構成の真の力は、大きな無機物も魔力さえあれば生み出せるという点にある。
この状況で、唯一通じる可能性がある“攻撃”。
問題は、素材と魔力。
恐怖に押しつぶされそうな中、ユイの脳は必死に思考を巡らせていた。
脳内に、チュートリアルの声が響く。
《ユイ様が考えている創造スキル。再構成スキル。アイテムボックス。それらを同時に最大限活用する方法は可能です》
「……でも……生物は分解できない。魔法の力も、通じない……!」
《無機物ならば、あなたのスキルで加工が可能です》
ユイの脳裏に、かすかに光が差す。
《再構成で巨大な物体を創るのは困難です。しかし、周囲の岩や石を集め、それを材料として利用すれば、魔力消費を最小限に抑えた大質量の“兵器”を作れるかもしれません》
ユイは周囲を見渡す。
地面に転がる岩。大木の根元の砂利。森の崖に並ぶ巨石。
「……それを……アイテムボックスに入れて……!」
《はい。出現位置の指定が可能であれば、高所から落とすことで破壊力を増幅できます》
――そのとき、ユイの中で、一本の線が繋がった。
魔法はイメージ。
再構成は創造。
そして、想像の先にある“選択”。
(やるしか……ない……!)
その目に、再び輝きが灯る。
「まだ……やれる……!」
彼女は魔力を練り、地面に手をつけた。
「“分解”!」
足元の石を魔力で分解し、再構成可能なエネルギーとして吸収していく。
ユイは魔力を集中し、地面に散らばる無数の石や岩、土の塊――それらを分解し、再構成の材料として魔力に変換する。
細かな粒子に変え、それをアイテムボックスに全て投げ込む。
それはまるで、神経を削るような作業だった。
何百、何千という石を見極め、質量と密度を計算し、魔力で再構成する。
「ッ――!」
喉から血が上がる。鼻血が頬を伝う。
それでも、ユイは止めない。
息が荒い。頭はガンガンと痛み、魔力の過剰使用が体を蝕んでいく。
だが、ユイは止めない。
(このままじゃ……二人とも、死ぬ……!)
ここで、終わるわけにはいかない。ミルのために。
ーー
「っ……これだけ、あれば……!」
集めた素材を、すべてアイテムボックスに入れる。
土、岩、石、砂、瓦礫――再構成ではなく、ただの“素材”の状態で詰め込んだ。
何トンにも及ぶ重量。
けれど、アイテムボックスの容量は無制限だ。
「出す場所」は、果たして自由に設定できるのか――それはまだ“実験”でしかない。
だけど。
いま、試さなければ、もう何も残らない。
ユイは立ち上がった。
木の陰に倒れているミルを一瞥する。
(ミル、見てて。私は……絶対に、やってみせる)
クマ型魔物が、こちらに気づいてゆっくりと近づいてくる。まるで獲物が自ら立ち上がったのを面白がっているかのように、その足取りは余裕に満ちていた。
「……演技でもいい。怯えた“フリ”をしよう」
ユイはあえて棒を落とし、両手をだらんと下げて立つ。
目に涙を浮かべ、身を震わせながら、ゆっくりと後ずさった。
クマ型魔物は嗅覚でも見抜けないのか、そのまま嘲るように、巨大な体をさらに迫らせてくる。
(いまだ――!)
ユイは魔力を一点に集中させ、頭上十数メートルの上空に意識を合わせた。
「――アイテムボックス、開放」
空間が揺らぎ、虚空が裂けた。
その裂け目から、“それ”は降ってきた。
山ほどの岩と砂、石の塊。
森の中の無機物を詰め込んだ、大地の塊が、まるで滝のように降り注ぐ。
クマ型魔物が気づいたときには、すでに遅かった。
次の瞬間――
ドォン!!!
ガシャアアアアッ!!
轟音とともに、大地が揺れた。
数トンはある巨大な大地の滝が、クマ型魔物の頭上に落ちる。
風が唸り、衝撃波が森を薙いだ。
巻き上がる土煙と爆音。
その場にいたすべての小動物が逃げ出すほどの、地響き。
しばらくして、静寂が戻る。
そこに立っていたはずのクマ型の魔物は――消えていた。
いや、“押し潰されていた”。
地面に、巨大な岩塊がめり込み、その下から僅かに血がにじんでいる。
上空からの落下は、物理攻撃であり、質量攻撃。しかも、魔力で再構成された“創造物”ではなく、ただの現実の重力と質量。
それは、いかなる防御力でも無視できる、“現実そのもの”だった。
「……やった……」
ユイはふらりと膝をついた。
だがその直後、全身に電撃のような衝撃が走る。
「――ッ!」
喉の奥から、熱い液体がこみ上げてくる。
口から、血が噴き出した。
「……っ……ぁ……」
ユイは、ぐらりと身体を揺らす。
全身が限界を越えていた。
魔力の使いすぎ。限界を遥かに超えていた。
意識が、暗く沈んでいく。
ぼやけた視界の中で、かすかに見えたのは、遠くの木陰に横たわるミルの姿。
「……ミル……った、よ……」
そう言い終わる前に、
膝が崩れ、地面に手をつく。
それでも、意識が遠ざかっていく。
視界がぼやけ、音が遠のく。
(まだ、……終わって……な)
その瞳が閉じられる寸前、どこか遠くから風の音が聞こえた。
冬の始まりを告げる、冷たい風だった――。




