第22話:森の異変と未知の影
獲物の動きは予想よりも素早かった。
小さな草食獣のように見えていた魔物は、足元に仕込まれた罠を避けて跳び、ユイの脇をすり抜けて背後へと逃げようとする。
「逃がさないよ!」
ユイは反応し、手に持った鉄の棒を旋回させる。鋭く回転した棒が魔物の足を打ち、その動きを止める。
「ミル!」
「キュイッ!」
ミルが素早く飛びかかり、体当たりのように魔物を跳ね飛ばした。追い打ちの魔法を唱える。
「ウィンド・スラスト!」
風の刃が空気を切り裂き、魔物の腹部に直撃する。呻き声とともに魔物が地面に転がると、その動きはやがて止まった。
呼吸を整えながら、ユイは辺りを見回す。ミルも彼女の横に戻り、落ち葉の上に腰を下ろした。
「……うん、ちゃんとできたね。前よりも、ずっと」
狩猟の成功に、ユイは小さくガッツポーズを作る。
あれから数ヶ月。グリュンに教わった戦闘の知識と訓練をもとに、彼女とミルは幾度となく森で狩りを繰り返してきた。
魔法の精度は確実に上がっており、特に支援魔法との組み合わせや罠の運用は、今やユイの武器とも呼べるほどになっていた。
森の風は、優しく冷たい。
冬の訪れが近づいてきていることを感じさせた。枯れ葉の色づく木々の間を、二人と一匹は並んで歩く。
「……グリュン、今頃寝てるかな」
そうつぶやくと、ミルが「キュイ」と返事をした。
「ぎっくり腰、またやっちゃったもんね。もう、毎日寝てばっかりだよ、グリュン」
冗談めかしたユイの口調だったが、彼女の胸の内には、どこか引っかかるものもあった。
あの戦いの後、グリュンの体は以前よりもずっと休みがちになっていた。腰だけでなく、息切れや倦怠感など、日々の生活に支障が出てきているのが分かる。
けれど、本人は何も言わない。ただ、「年寄りには寒さがこたえるのじゃ」と笑ってみせるだけだった。
「……グリュンの誕生日、近いよね」
そう口にすると、ミルがぴょこんと耳を立てた。
「なにか、美味しいもの……食べさせてあげたいな。そうだよね、ミル」
「キュッ」
二人と一匹は、森の奥へと足を進めた。
――その時だった。
突如、ユイの背筋に冷たいものが走る。
「……っ」
鳥のさえずりが止み、風の音が消えたような静寂が辺りを包む。
木々の間に、何か“在る”。
ユイはすぐに魔力を練り始めた。ミルも、毛を逆立てて警戒態勢を取る。
(なにかいる……でも、どこ?)
だが、どこを見ても“それ”の姿は見えない。
木々の陰、岩の後ろ、茂みの中――気配はするのに、姿がない。
視線だけが、確かにある。
誰かがこちらを“見ている”。
だが次の瞬間、その気配はスッと消えた。
まるで、最初から何もなかったかのように。
「……今の……なんだったの?」
「……キュウ……」
不安げなミルの鳴き声に、ユイは小さく頷いた。
「今日は、もう帰ろう」
そうして、二人と一匹は森を後にした。
けれど。
誰も知らない、そのずっと奥――
黒々とした巨木の陰に、黄金の瞳が光った。
巨大な獣。熊のような四足獣。けれど、ただの魔物ではない。
この森の主と呼ばれる一族。その中でも最下級の斥候、探索と報告の任を受けた者。
目の前の子供と聖獣は、まだ“脅威”ではない。
今はまだ。
それでも、見誤ってはならない。
あの子供――成長すれば、いずれ牙となる。
そう感じ取った“斥候”は、音もなくその場を後にした。
森の奥、静かに高まる気配。
その日はまだ、誰にも知られていなかった。




