第1話:異世界の産声
深い森の奥で、ひとりの赤ん坊が目を覚ました。
生まれ変わったその魂には、「作る」力が宿っていた。
ただし、創れるのは――自分の手で一度、組み上げたものだけ。
老いた獣人に育てられ、やがて小さな少女は、知識と手仕事を武器に世界を歩み始める。
これは、名もなき創造者ユイの、やさしくて、ちょっと不思議な日々の記録。
スローライフと努力の先に、神話すら超える未来が、静かに待っている。
――真っ暗な空間に、私はいた。
視界も音もなく、身体すらも感じない。
そんな“無”の中に、突然、声が響いた。
「おーい、聞こえるか? 生きてるかー?」
まるでゲームマスターのような、軽い口調だった。
「……え? え、誰?」
思わず口が動いたような気がしたが、肉体の感覚はない。
にもかかわらず、その声にはちゃんと返事が届いたらしい。
「よかった、生きてたか。って言っても、もう“死んだ後”だけどな!」
(……死んだ?)
確かに、最後に覚えているのは、通勤途中の記憶だった。
信号が変わるのを見て、小走りした。
その瞬間――眩しい光と、急ブレーキの音。
(……事故?)
「正解。トラックに思いっきりぶつかってたよ。身体、べっこべこだったし」
何もない空間に、ひときわ明るい光の球が浮かび上がった。
その中心から、声の主が姿を現す。
まるでアニメに出てくる“ラフな神様”みたいな、白いローブの青年だった。
「どもども。神と申します。君、ちょっとした手違いで死んじゃってね。んで、次の世界に行ってもらおうと思ってさ」
「……は?」
「簡単に言うと異世界転生だよ! 最近、流行ってるし」
神様は笑顔で、まるでゲームのキャラメイクを説明するかのように、淡々と語り始めた。
「で、今回君に与えるのは、“なんでも作れるスキル”。ただし! 一度組み立てた物じゃないと再現できない。リアル思考型。どう? 面白そうでしょ?」
「……って、勝手に決めてない!?」
「うん、決めた! しかもバグ混じりだけどまぁ大丈夫っしょ!」
「バグ混じり……?」
「ほら、システムがちょっと不安定だったからさ。たぶん問題ない! あと、おまけで“補助スキル”っていうチュートリアル機能もつけといたから、最初は楽できるよ!」
「……おまけって……」
神様はぺこりと頭を下げ、悪びれる様子もなく言った。
「とにかく、新しい人生を楽しんで! あ、そうそう、名前はどうする? 前世のはさすがに古風だから、向こう向けに変えてもらえると――」
「……“ユイ”で」
「了解! それじゃあ、良い旅を!」
光が一気に満ちていく。
視界が白く染まり、意識が吸い込まれるように引きずられていく――
* * *
「……ぉ……ぎゃ……」
空気が冷たい。
音がある。
風の匂いがする。
(……生きてる……?)
「おぎゃあああああっ!!」
――泣いた。
反射的に、肺が空気を吐き出し、喉が絞られた。
小さな身体は、弱くて、思うように動かない。
視界はぼんやりしているが、木々が重なり合う影と、空の光が見えた。
(森? わたし、森の中にいるの?)
土の匂い、草の湿り気、遠くで鳴く鳥の声――
(ちょっと待って!? 赤ん坊の体で森のど真ん中に放り出すって、どういうこと!?)
(神様!? おかしいでしょ!? せめて家の中とか、村の端っことかあるでしょ!?)
(“新しい人生を楽しんで”って……いきなり魔物の巣みたいなとこから始めさせるつもりだったの!? サバイバルどころじゃないわよ!?)
怒りの感情が、泣き声と一緒に込み上げる。
「おぎゃあああっ!」
(違う意味で泣けてくるわよっ!)
土の匂い、草の湿り気、遠くで鳴く鳥の声――
そのとき、茂みの奥から、不穏な気配が忍び寄ってきた。
――ザッ、ザザ……
姿を現したのは、真っ黒な毛皮に包まれた、大型の魔物。
狼のような顔、蛇のような体、羽ばたく黒い翼。
明らかに、“敵意”を持った存在だった。
(……うそ、なんで赤ちゃんのわたしを!?)
逃げることもできない。
声も届かない。
ああ、せっかく生まれ変わったのに、こんな――
「……やれやれ。だから森の深部には近づくなと言うたに」
その声とともに、空間が震えた。
風が巻き上がり、魔物の姿が一瞬で霧に変わる。
視界の奥に、老いた獣人――しわくちゃな顔と白い髭をたくわえた老人が立っていた。
背中には薪を担ぎ、木の杖をついている。
「こんな小さきのが、こんなところにおるとはのう……」
彼は静かにわたしに近づき、軽く抱き上げた。
その手は、ごつごつしているけど、あたたかかった。
「よしよし……もう大丈夫じゃ。怖かったのう……」
声に安心したのか、全身の力が抜けていく。
まぶたが重くなり、眠りが意識をさらっていく。
(……生き延びた……?)
意識が沈みゆくなか、再び頭の中に、声が響いた。
【補助スキル起動】
【全言語理解:有効】
【鑑定:待機中】
【鑑定阻害:常時】
【脳内説明モード:有効】
(……さっきの……補助スキル……)
“おまけ”だと言われたそれが、やけに高性能に思えるのは、気のせいではないだろう。
けれど、いまは考えられない。
ただ、あたたかい腕の中で、わたしは静かに、眠りに落ちた。
* * *
こうして、わたしの異世界での人生――
いえ、“創造”の物語は、始まりを迎えた。