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新選組トリップ奇譚  作者: 柊 唯
第十章〜龍の背中〜

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中岡慎太郎

 翌日、かなたが泣き腫らした重たい瞼をあけると、そこにはもう土方の姿はなかった。


 食欲はなかったが、貰った朝餉の味噌汁を飲むと、枯れたはずの涙が、また頬を伝う。

 涙を拭いながら朝餉を口にしていると、他の隊士が、土方からの伝達を伝えに来てくれた。


 どうやら彼は、仕事のために朝早く屯所に戻ったらしい。かなたのことを心配していたが、急な用事で近藤に呼び出されたのだと、その隊士は教えてくれた。


 すると、そこに一つの情報が下りてくる。

 昨晩、坂本龍馬が襲撃を受けたこと、そして一緒に襲撃を受けた中岡慎太郎が、かろうじてまだ生きているということだった。


 どうやら中岡は、土佐藩邸に身を隠して療養しているらしい。

 その話を聞いた途端、かなたの足は、自然と土佐藩邸へと向かっていた。


「おい、小僧。何の用じゃ?」


 土佐藩邸に着くと、門番がかなたを頭からつま先までじろじろと見定める。


「坂本龍馬さんの知人です。中岡慎太郎さんに会わせてください」


 こんなことを言っても、素直に通されるわけがない。

 そう思いながらも、かなたは門番に頭を下げた。


「はぁ? そんな者ぁ、ここにはおらん。とっとと帰れ!」


 門番はそう言って、追い払おうと持っていた槍をかなたの前に向けた。

 それでも、かなたは どうしても諦めきれず、もう一度頭を下げる。


「お願いします! 中村かなたが来た、とお伝えください!」


「しつこい子供(ガキ)やのう!」


 そう言って、もう一人の門番が、かなたの体を蹴り上げた。地面に叩きつけられ、体には鈍い痛みが広がる。


 それでも、かなたは声を上げず、そのまま額を地につけた。


「お願いします! お願いします!!」


「ほんま、えい加減にせんかえ…」


 そう門番がたじろいだその時、低く重い声が辺りに響いた。


「おい、何しゆうがじゃ」


 その声に、門番たちは一斉に背筋を伸ばす。

 藩邸の奥から姿を現したのは、ただならぬ風格を纏った一人の男だった。


「あっ…後藤様! 騒がしゅうしてもうて、申し訳ございません! 実は、小僧が中岡慎太郎に会わせてくれ言いゆうがですが…そんな者は、ここには居らんと言うとりますに……」


 門番が丁寧に説明するも、後藤と呼ばれた男はそれを軽く聞き流し、土下座をしているかなたの前にしゃがみ込んだ。


「そうかえ…おまん、名は何ちゅうがじゃ?」


「中村かなたにございます。以前、坂本さんには大変お世話になりました。昨晩襲撃を受けたと耳に入りまして、ここに坂本さんと最後まで一緒に居た、中岡さんが居られると聞いて参りました…お願いです、どうか会わせて下さい」


 冷静に言葉を紡ぐかなたを一瞥すると、後藤は立ち上がり、背を向けて歩き出す。


「ほんなら中村、こっちへ来い」


「え…」


「後藤様! よろしいがですが?! こんな得体のしれん者を入れて…!」


 かなたが驚くより早く、門番たちがどよめいた声を上げる。

 だが、後藤はそれを制すると、かなたへと静かに手招きをした。


「あ、ありがとうございます…!」


 かなたは慌てて礼を述べると、後藤の背を追い、土佐藩邸の中へと足を踏み入れたのだった。





 ――――





「あの…失礼ですが、名前をお伺いしても?」


 門番たちに後藤と呼ばれていた男の背を追いながら、かなたは土佐藩邸の廊下を歩いていた。

 藩邸というのはやはり立派なもので、部屋のひと間ひと間が広く、中庭も幾つか設けられている。

 書や水墨画、黒漆の文机などが、部屋ごとに置かれていた。


 後藤は歩みを止めぬまま、ちらりとかなたを見やる。


「わし名ぁは、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)じゃ。土佐藩主の山内容堂(やまうちようどう)様に仕えちゅう者や」


「後藤様…でしたか。あの、入れてくださって、本当にありがとうございます」


 本当に中岡に会えるかどうかも分からないまま、勢いだけでついて来てしまった。それなのに、不思議と後藤に対して嫌悪感はなかった。

 そんなことを考えていると、後藤が一室の前でぴたりと足を止める。


「ここに、中岡がおる。危ねぇもんは、何も持っちょらんか?」


「は、はい」


「ほいたら中へ入れ。おかしな真似は、絶対するなよ」


 それだけ言い残し、後藤は隣の部屋へと入っていった。

 かなたは一拍置いてから、中岡がいるという部屋へ足を踏み入れる。


「失礼します」


「……中…村か?」


「中岡さん!」


 障子を開けると、そこには床に伏せた中岡の姿があった。

 顔色は悪く、息も浅い。この様子を見れば、長くないことは誰の目にも明らかだった。


 かなたはすぐに、中岡の傍へと駆け寄る。


「ああ…まさか…最後におまんに…会うたぁ……のう………」


 自分の最期を受け入れているような口ぶりに、かなたは思わず目を伏せた。

 何も言えずにいると、中岡は(とこ)の脇に置かれた紙切れを、弱々しく指さす。


「坂本から…預かっちょった……手紙じゃ」


「え…!」


「昨日…おまんらと別れた後に…託されたがよ。馬鹿な…奴じゃ…わしも…死ぬかもしれんに……」


 相当傷が痛むのだろうか、中岡は額に汗を滲ませながら、それでも小さく笑った。


「おまん…わしらぁの…代わりに…この世の出来事を…見届けちゃれ…ほいたら…の…」


 そうして、中岡は静かに目を閉じた。

 かなたはすぐ身を乗り出し、その息遣いを確かめる。だが、中岡は眠りに落ちただけのようだった。


 少し安心して息をついたその時、隣の部屋と繋がる襖が音もなく開く。


「おまん、ほんまに中岡の知り合いやったがか」


 そう言って姿を現したのは、後藤だった。


 中岡は明け方にここへ運ばれてきてから、ほとんどの時間を眠って過ごしているという。

 医者からも、「長くは無い」と告げられていることを、後藤は門扉まで送る道すがら、淡々とかなたに語ってくれた。


 土佐藩邸の門が閉まるのを見届けると、かなたはその場に立ち止まり、静かに一礼する。



 そして、何も言わぬまま、その場を後にした。

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