不穏
先月ついに、幕府の終わりの鐘となる、大政奉還がなされた。
帝側の新政府軍と、幕府側の旧幕府軍による戦が、いよいよ始まりを見せている。
幕府の傘下を抜けた新選組は、戦に出陣しないとはいえ、この町の混乱を収めなければならない。最近は、かなたも市中見回りに同行したり、駐屯所からの情報をまとめたりと、忙しい日々が続いていた。
(気が抜けない時期になってきたな...)
町民の不安が募るにつれ、その混乱に乗じた犯罪も後を絶たない。都度、隊士を募ってはいるが、まだまだ人手は足りないのだ。
「猫の手も借りたいよ」
かなたはそう呟きながら、自分の横で眠っていたミケ子をひと撫でする。
すると、ドタドタと誰かが駆けてくる足音が聞こえてきた。
「かなた、いるか?」
「土方さん。どうしました?」
土方は、部屋の周囲に人の気配がないのを確かめると、障子をピシャリと閉める。そして、真剣な面持ちでかなたの前に腰を下ろした。
「最近、伏見のとある宿周辺を見廻組が見張っているらしい」
「...え」
【伏見のとある宿】
その言葉を聞いて、真っ先に坂本龍馬の姿が脳裏に浮かんだ。
思えば、ここ最近めっきり坂本から手紙が来ていない。なぜ、もっと早く気づかなかったのだろうか。季節はすでに、坂本が暗殺された年月だ。
市中の混乱や、やるべきことに追われるうちに、その違和感はいつの間にか記憶の端へと押しやられていた。
「見廻組は気付かれてねぇつもりだろうがな...新選組の伏見に常駐してる監察方が、察して連絡よこしてきたんだ」
土方は眉を寄せ、かなたを真っ直ぐに見据える。
「坂本のことは気に食わねぇが、恩がある。あいつお陰で、今の俺たちがあるのも事実だ...伝えに行くか?」
だが、坂本は今は伏見にはいないはずだろう。
かなたは少し考えると、土方へと視線を向けた。
「坂本さんは今、伏見にはいないと思います」
「そうなのか?」
「はい...確か、四条にある近江屋という醤油屋さんに下宿しているはずです。見廻組が伏見にいたのは、坂本さんの動向を探るためだったのかと...」
「そうか...」
ーー行くべきなのか。
そんな思いが頭をかすめる。
かなたは不安に突き動かされるように立ち上がると、無意識のうちに拳を胸元へ添えた。
新選組以外のことで、むやみに歴史を変えたくはない。けれど相手が坂本のこととなると、どうしても気になる。
かなたが立ち尽くし言葉を失っていると、土方は座ったままその様子を見上げ、口を開いた。
「お前の顔見てたらわかる。あいつの身が危ねぇんだろ? どうする。行くか?」
「えっ...と......」
行ったところで、自分に何ができるだろうか。事情を説明して下宿先から逃がすか、それとも見廻組と対峙するか。どちらにしても、土方だけでなく新選組も巻き込んでしまう。
かなたが視線を落としたまま黙り込むと、土方は立ち上がりかなたの肩を掴んだ。
「俺はお前に、行って後悔するより、行かないで後悔する方を選んでほしくねぇ。行くなら...俺が連れてってやる」
その真剣な眼差しを前に、かなたは胸の奥で揺れていた迷いを押し込めるように、拳を握りしめた。
「行きます......!」
「わかった。じゃあ、すぐに準備して表で待ってろ。俺は近藤さんに事情を説明してくる」
「わかりました」
部屋を去っていく土方の背を見送ると、かなたはすぐさま外に出る準備を始めた。
震える指先をぎゅっと掴み、深く息を吸う。
行って、何をすべきなのか。どう動くのが正しいのか。
答えの出ない思考だけが、頭の中をぐるぐると巡り続けていた。




