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新選組トリップ奇譚  作者: 柊 唯
第十章〜龍の背中〜

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林信太郎

 林信太郎はやししんたろうは茶屋の隅に腰を下ろし、帳面を前に頭を抱えていた。

 帳面といっても大したものではなく、今朝食べたものや、その日の簡単な出来事を書き留める、いわば日記のようなものだ。


 新選組の監察方として勤め始めてから、早くも数年。現在の林は、伏見(ふしみ)地域の駐屯所に常駐している。


(...しまった)


 そして、林がここまで頭を抱えている理由は、一ヶ月の出来事を本部へ報告するために、駐屯所で管理されている『行事記録帳(ぎょうじきろくちょう)』の存在にあった。

 伏見地域を共に担当している、もう一人の監察方・村上清(むらかみきよし)が、その記録を任されているのだが、彼はとにかく几帳面で、しかも容赦がない。行事記録を一日ごとに細かく書き留めるのが村上のこだわりで、自分がほんの些細な出来事でも思い出せずにいると、彼の鋭い眼光が容赦なく胃の奥へ突き刺さるのだった。


 それを避けるため、こうして日記をつけていたのだが、運悪く昨日の朝稽古後から朝餉の支度までの、ほんの短い時間の出来事を書き忘れてしまっていた。帳面には、その欄だけ空きがあった。


これでは、せっかくの休みだというのに、思い出そうとするだけで一日が終わってしまいそうだ。


(それだけは避けたい...)


 林は一度気持ちを落ち着けようと、湯のみに手を伸ばし、茶を一口喉へ流し込んだ。温もりとともに、ふっと息が抜ける。日記帳をぱたりと閉じると、心を決めた。


(...外へ出るか)


 考えても思い出せないものは、どうやっても思い出せない。それなら、あてもなく歩いてみれば、何かの拍子に記憶が戻るかもしれない。あるいは大事件にでも遭遇すれば、自分の朝の行動など、村上はどうでもよくなるだろう。


 そう開き直ると、林は勘定を済ませ、何事もなかったかのような足取りで店を出た。


 大きな川でも眺めて気分を変えようかと、林は宇治川へ向かって歩き出す。いつも使っている近道の小路(こうじ)へ入ったところで、突き当たり付近に人だかりが出来ているのが目に入った。

 早速事件かと思い不謹慎にも浮き足立つが、林はその中の一人の背中を見た瞬間、ぴたりと足を止める。その男が着ている羽織には、『見廻組』と書かれていた。


 林は咄嗟に物陰へ身を隠す。幸いにも今は隊の羽織を着ていない。新選組だと悟られる心配はないが、相手が見廻組となると、自然と身構えてしまうのが新選組隊士の(さが)なのだ。


 林は息を潜めたまま、様子を探るようにそっと陰から顔を出す。

 よく見れば、彼らは「人だかり」というより、顔見知り同士が集まっているようにも見えた。見廻組の羽織を着ているのは一人だけで、他の者たちが本当に同じ組織の人間なのかまでは判断できない。


 だが、その羽織の男が中心となり、周囲の男たちへ何かを伝えている様子は確かだった。


 林は目を閉じ、わずかでも聞き取れないかと耳を澄ませる。


「......みや...か...も......」


(か、も...?)


 距離が思った以上にあり、はっきりとは聞き取れない。それでも、彼らの周りの空気でただならぬ話であることだけは伝わってくる。

 さらに聞こうと身を乗り出したそのとき、話が終わったのか、男たちはそれぞれ別々の方向へと歩き始めた。


(まずい!)


 林は慌てて身を隠していた場所を離れ、近くの見知らぬ長屋へと駆け込む。高鳴る鼓動の中、甲高い声が耳を突き抜けた。


「ありゃ!あんた誰や?!」


「あっ...!」


 どうやら飛び込んだ先は年老いた夫婦の家だったらしい。二人は林を見るなり驚き、手にしていた漬物をぽろりと畳に落とした。

 その光景を目にした瞬間、林はハッと顔をあげる。


「そうだ!朝稽古の後は、ぬか床を混ぜていたんだ!」

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