食の改善
かなたが江戸時代に来て、早いもので二週間が経った。慣れない土地で、慣れないことばかりするのは大変だ。特に重労働が多すぎる。その上、この時代の食事は質素なのだ。
(このままじゃ、斬られるより先に栄養失調で死ぬかもしれない...)
食べ物で命の危機を感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
かなたは、人の良い穏やかな山南に食の改善を相談してみようと決め、彼のもとを訪ねた。
「おや、かなたさんどうしました?」
「あの、今のご飯じゃ栄養が偏ると思って、改善したいのですが...」
素直に言ってみたのだが、その言葉に山南は顔をしかめた。
「えい...よう...?」
どうやら、"栄養"という言葉はこの時代では一般的ではないようだ。
「あ...と、とにかく、未来人から見ると、このままのご飯では体に悪いと思うのです!お金の問題もあると思いますが、食事の改善をした方がいいと思います!」
かなたは半ば無理やり、キリッとした顔で押し通す。
「なるほど...確かにお金の問題はありますね。ですが、私はあまり料理当番にはならないので、その辺りのことは分からないのです...」
「そ、そうでしたか....」
そういえば、前に沖田が山南の料理はかなり酷いから当番にはさせないようにしていると、言っているのを聞いたことがあった。
(...どんな料理作るんだろ)
色々と想像していると、山南が仏のような顔で笑った。
「今日の夕食当番は井上さんなので、彼に食材のことを聞いて貰えますか?」
「あ、わかりました...!」
新選組の中でも、井上は料理が得意な方なのだろう。彼が料理当番をしているのを、かなたは何度か見たことがある。
山南と別れたかなたは、その足で井上がよくいる勝手場《台所》へと向かった。
「あ、井上さん!」
「中村君か、どうしたんだ?」
案の定、井上は勝手場で夕食の献立を考えていた。かなたは山南に相談したことをそのまま話す。
「なるほど、体に良い食べ物か...」
「はい。それで、食材の相場を知りたくて...買い出しに同行させてもらってもいいですか?」
「私は構わんが...土方君の許しを貰わないとな」
「あ、そうでした...」
かなたからのお願いで土方は許しをくれるだろうか。不安げなかなたを見て、井上は少し微笑みながら口を開いた。
「私から、『手伝いが欲しい』とでも言っておくよ」
「え!いいんですか?」
「ああ。私たちのことを考えて提案してくれているんだろう? なら、私もそれに応えないとな」
「ありがとうございます!」
優しい井上をつい土方と比べてしまい、ついかなたの目が潤む。
それでも土方は許してくれるだろうか。そう心配していたが、意外にもあっさりと許しをくれた。井上の気遣いのおかげだろう。
そんな流れで、かなたは井上と連れ立って、初めての買い出しへ出かけることになった。
ーーーー
町は、今日も相変わらずの賑わいだった。行き交う人の数も、物売りの声も、現代とはまるで違う空気をまとっている。
かなたが辺りをきょろきょろとしていると、井上は一軒の店へと足を踏み入れた。中にはたくさんの野菜が置かれている。どうやら、ここが今の新選組 御用達の八百屋のようだ。
井上と店主がやりとりをしている話を聞きながら、値段の相場を確認する。江戸時代のお金の感覚は現代と全然違うので、頭を切り替えて考えなければならない。
(やっぱり、今の新選組のお金じゃ賄えないことだらけだなぁ...)
栄養価もそうだが、京の料理は味付けが薄い。体力仕事の多い隊士たちには、少し物足りないはずだ。自分たちで作っているとはいえ、調味料ひとつとっても、江戸と京では味の違いはある。こういう小さな積み重ねが、ストレスになるのだ。
かなたは残りの予算を確認しながら、井上に相談を持ちかけた。
「井上さん、調味料って少しだけ追加で買えませんか? 」
「うん? ああ、構わんよ。残りで買えるだけ買ってみよう」
優しく頷いてくれた井上に、かなたは胸をなでおろす。土方を除けば、皆わりと自分に友好的なのだと、少しほっとした。
買い出しを終えると、井上とはいったん別れ、かなたは近藤のもとへと向かった。
部屋を訪ねると、かなたは正座をして対面に座り、真っ直ぐと近藤を見つめる。
「近藤さん、お願いがあります!」
「何だね?かしこまって」
「鶏を飼いたいんです!!!」
「鶏...?」
「はい。卵は体に良いので料理に出したいのですが、買うと高いので鶏を飼って卵を量産しようかと...」
「なるほど。うーん、そうだな....ちょうどこの前の下賜金があるんだ。それで買うのはどうだ?」
「えっ...」
意外にも前向きな返事に、自分から言い出したくせにかなたは驚いてしまう。しかも、この前の下賜金とは八月十八日の政変のものじゃないだろうか。
「え、えっと、大切なお金...ですよね? いいんですか?」
恐る恐る確認するが、近藤はどんっと胸を張り、にかりと笑った。
「何を言っている。大切なお金で、大切な隊士達の役に立つならいいじゃないか。それに、中村君は監視付きだと言うのに、文句も言わずに雑用をしてくれるからな!」
なんという慈悲深い方なのだろう。この人に付いていく人が多いのも頷ける。慣れずにめげそうな時もあったが、頑張っていて良かった。
「ありがとうございます!!」
そうしてかなたは、井上にお願いをして翌日の夕食を作ってみることにした。
味噌汁は京の白味噌に、薄口醤油を垂らして甘みを和らげる。具材は豆腐と壬生菜、そして油揚げを入れてみた。
次になけなしのお金で買った猪肉をカリッと焼き上げ、醤油と砂糖、それに生姜を少しすりおろして加えて味付けをする。
鶏はすぐには飼えなかったので、山南に頼んで少しだけお金を借り、店で卵を買うことにした。卵は茹でて、半分に切って添える。それだけでも色合いが加わり、食卓が少し明るく見えた。
「なんだ? 今日の飯、すっげぇ美味いな...!」
「味付けもいつもみたいに薄くねえしよ...江戸の味噌汁を飲んでるみたいだぜ!」
料理の味に原田と永倉は感嘆の声を上げる。
「この丸い白いのはなんだ..? こっちは...肉か?」
藤堂が目を丸くしながら膳を覗き込む。それを見たかなたが、説明するように皿を指さした。
「それは茹でた卵です!『ゆで卵』って言います。塩で食べてください!こっちは、お肉は焼いて醤油と砂糖と生姜で味付けをしてみました」
江戸時代に肉食文化は禁忌なのだが、薬食いとしての文化はある。栄養改善を目的にした食事なら、問題にはならないはずだ。
気づくと、藤堂と永倉がうるうるとした目でこちらを見つめていた。
「かなたぁ〜」
「へ、平助くん? どうしたの?」
「この永倉新八!不覚にも故郷を思い出したぜ!」
なるほど、彼らも故郷が恋しかったのか。
しかし、思い出させてしまったせいで仕事に支障をきたさないだろうか。余計なことをしたかと、一瞬不安になる。
すると沖田がにやにやと笑いながら、土方をつついた。
「土方さん、顔が綻んでますよぉ」
そっと視線を向けると、土方は静かに箸を動かしている。口には出さないが、その顔はどこか緩んでいるように見えた。
「...うるせーぞ総司、黙って食え」
それを見たかなたは、ふっと胸が軽くなった気がした。みんなが喜んでくれて良かった。
だが、いくら今までの飯を変えずにやり繰りしようとも資金問題は改善しない。お金のことも考えて、山南と話し合った結果、かなたは五日に一度、料理を出すことなった。
この先、隊士達もどんどん増えていくだろう。資金面に対して何か考えておくべきか。
かなたの改革はまだ始まったばかりである。




