選ぶ道
湿った空気に、ぽつぽつと雨が降りてきた。かなたはその雨を感じると、手のひらを天へと向ける。
「...雨、降ってきましたね」
「ああ。少し急ぐか」
土方はそう言って歩調を早め、一軒の料理屋へと入った。
今日はこれから坂本龍馬に会う約束がある。前に土方から「次に会う時は必ず知らせろ」と言われていたので、誘われた際に話を通してみたのだ。
案の定、土方は二つ返事で付いてきた。
「はぁ...傘、持ってくればよかったな」
「そうですね。帰る頃には止むといいんですけど...」
料亭の窓から外を覗くと、雨脚はどんどん強まっていく。
その時、ひとりの男が駆け込むように店へ入っていくのが見えた。坂本龍馬かもしれない。そう思った瞬間、かなた達のいる座敷の襖が勢いよく開いた。
「ふぃ〜、急な雨はいけんのう......おお!もう先におったか!かなた、ひっさしぶりじゃの〜」
そういうと、坂本はニカッと口角を上げる。
「坂本さん!おひさしぶりです!」
「おい、遅ぇぞ」
びしょ濡れの坂本に、土方がじろりと目を向けた。
「お?おまんが新選組の副長殿か!悪かった悪かった!わしが才谷梅太郎じゃき、よろしゅう頼むぜよ!」
「別に偽名使わなくたって、もうお前のことは知ってるよ」
「そうながか!ほんなら、早速飯でも食うぜよ!」
坂本は女中になにやら合図を送ると、どかっと座り込んだ。既に用意されていたのか、たくさんの料理が座敷へ運ばれてくる。
(...美味しそう!)
資金は少し増えたけれど、屯所の食事は節約のため相変わらず質素だ。こんな豪華な料理を食べられる機会は滅多にない。坂本の奢りだと言うのだから、ここは遠慮なく頂こう。
かなたがどれから箸をつけようか迷っていると、土方が坂本に酌をはじめた。
「この前は、世話んなったな」
"この前"というのは、呉服商の西村屋を紹介してもらった件だ。
あのときは本当に助かった。西村屋から資金援助を得られたおかげで、新選組はようやく息をつけた。いわば、坂本は新選組の恩人にもなった訳である。
「えいがやえいがや!新選組には、こっちのもんも世話になっとるき!」
「だからってお前のこと信じてる訳じゃないからな」
土方は雑に酒を注ぎ、音を立てて徳利を畳に置いた。
どうやら、礼は一杯の酌で終わりらしい。
気まずい空気を感じて、かなたが話題を変える。
「それで、最近はどうですか?」
「そうじゃのお、来月には長崎のとある御仁の所に世話になる思うちゅうがよ」
「へぇ、長崎に...」
坂本龍馬が長崎で世話になったと言う人物とすれば、きっと小曽根英四郎という豪商のことだろう。慶応三年に龍馬と交友を持ち、小曽根宅に土佐海援隊を設置したといわれている。
「そんで、お前はこれからどうするんだ?幕府側じゃ、お前は倒幕の企みがあるなんて言われてんぞ」
「まぁ、しゃあないき。革命家っちゅうのは嫌われるもんぜよ。安心せい、皆やれ倒幕じゃ、やれ尊攘じゃ言うよるが、わしはこの日本を良くしたいだけじゃき!」
「はん、どうだか」
「ワハハ!さすがは新選組の副長じゃ!その警戒心は大したもんじゃ!」
土方の警戒は当然だ。かなたでさえ信頼を得るのに一年近くかかった。
ましてや、薩長同盟を仲立ちした坂本龍馬など、そう簡単に信用できるはずもない。
「やけんど、徳川幕府もどうなるかのう。前からじゃが、家茂公が身罷られてからも幕府ん中もかなり揺れちゅう。こんなこた、あんまり新選組の前で言いたないが、幕府もそろそろ終わりを迎えるかもしれんぜよ」
「.......」
その言葉に、土方は何かを思ったように黙ってしまった。
「永遠なんてありませんからね...いつかは終わりはくるものです」
「そうじゃの。まあ、今日はそんなん忘れて、楽しく飲もうやぁ!」
坂本はにこりと笑うと盃を傾けた。
ーーーー
それから一刻程経っただろうか。土方と坂本は酒ですっかりと出来上がっている状態になっていた。
「てめぇ...西村屋の紹介してやったからって......調子に乗ってんじゃねぇお」
「別にぃ......調子に乗っちゅうわけやないきぃ。...おまんこそぉ....新選組をちゃんとまとめゆうがかえ?」
さっきからずっとこの調子で、互いに煽り合っている。
坂本はともかく、土方がここまで飲むのは珍しい。何か嫌なことでもあったのだろうか。
かなたは酒が飲めないので、たらふく料理を平らげたあと、食後のお茶をすすってその様子を見ていた。
そろそろいい時間だろうと、土方が最後の酒を煽って立ち上がる。
「おい、かなた。そろそろ門限の時間だあ...帰んぞ.........」
ふらふらと足取りがおぼつかない。本当に大丈夫だろうか。
「あぁ?もう帰るがかえぇ?泊まっていきゃあええのにぃ...」
坂本の言う通りだ。だが、土方は虚ろな目のまま首を横に振った。
「いや.........帰る」
仕方がないので、かなたは土方の隣に並び肩を貸した。
「坂本さん、今日はありがとうございました。またお手紙書きますね!」
「おおぅ!ほいじゃぁのぉ〜」
再び酒を煽り始める坂本を背に、かなたはヨロヨロと歩く土方を支えながら店を後にした。




