渋沢篤太夫
かなたは近藤を連れ、土方の部屋へと一目散に駆け込んだ。
「幕臣の警護ねぇ....」
土方は少し嫌そうに眉をひそめた。
会津藩のお預かりという立場上、土方自身も幕府側の人間として振舞ってはいるが、実際のところ、彼にとって幕府だの尊攘派だのはどうでもいいのだろう。
とにかく、京の治安維持部隊として安定し始めた新選組に厄介事を持ち込まれるのが気に入らないようだ。
「ああ。たが、俺がその日は松平公との食事会ががあってだな...だから、この件はトシに任せたいんだ」
近藤のその言葉に、土方は更に顔をしかめた。
それも無理はない。近藤はこの件をすっかり喜んでいる様子で、土方としては複雑な気分なのだろう。
「...わかった。じゃあ、幹部の何人かでいいか?」
そういう土方に近藤はいや、と首を振った。
「幕臣の警護なのだから、トシ、お前が直々に行ってくれ」
「俺がか?!」
「当たり前だろう。本来なら俺が出向く場だが、致しかたがない。この通りだ!代わりに頼む!」
近藤が頭を下げるので、土方はそれを無下にはできない。
「...わかった」
土方は深くため息をつくと、姿勢を正した。
「しかと、承った」
「うむ。よろしく頼む!」
土方のその切り替えの早さに、かなたは感心する。さすがは、"江戸の男"だ。
「で、連れていく人間だが...ここは、鈴木にでも任せてみるか」
「鈴木君か、最近はこっちの人間とも仲良くやっているみたいだし、いいんじゃないか?」
「それと...」
土方はかなたをちらりと見た。
「かなた、お前も付いて行きたそうだな」
「はい!」
当たり前だ。渋沢栄一と聞けば、会いたくもなる。
かなたのいた時代では、一万円札の肖像として誰もが知る人物なのだから。
「それに、この機会は土方さんにとって、とても有意義な時間になると思います!」
「中村君が言うなら間違いないだろう」
近藤はそう笑いながら言うと立ち上がった。
「じゃあ俺は、先に先方に挨拶をしておく。よろしくな」
「はーい」
「なんでお前が返事するんだよ」
嬉しそうなかなたと近藤を見て、土方はやれやれと首を振るしかなかった。
ーーーー
慶応二年十月某日
夕刻、土方とかなた、そして鈴木率いる九番隊の選抜メンバーは、とある一角の料亭の前に立っていた。
あの明治以降の実業家であり、幕末では幕臣であった渋沢栄一こと、渋沢篤太夫がここにいるらしい。
「なんだぁ?幕臣のお偉いさんは、こんな豪勢な料亭で謀反を企んでいるやつを捕まえようってか?」
「やっぱり幕臣の人となると、こういう所にはよく来るんですかねぇ」
鈴木はかなたの言葉を聞くと、ハッとしたかのようにこちらを振り向く。
「それより、なんでお前がここにいんだよ」
鈴木はかなたの事情を知らないので、疑問に思うのも仕方がない。
「え?まあ....ちょっと?」
彼は単純なので、このくらいの誤魔化しでなんとかなるだろう。
すると、土方が鈴木をちらりと見やった。
「お前、渋沢殿に余計なこと言って話拗らせんじゃねぇぞ」
「わーってるよ」
そう言って、鈴木は手をヒラヒラ振る。
「お前らはここに居ろ」
土方は九番隊の隊士達にそう声をかけると、料亭の番頭に事情を話す。そして、一行は二階の座敷へと案内される。
土方が襖を開けるとそこには、かなたよりも少し年上かくらいの若い男が一人、正座をして静かに座っていた。
鈴木はそれを見るなり、口をかなたの耳元へと近づける。
「意外と若ぇんだな」
それを見た土方は、鈴木の足を静かに踏みつけた。
「い゛っっ」
土方は何事も無かったかのように、一歩前へ出ると男の正面に座る。
「拙者、新選組・副長の土方歳三と申す。御前は渋沢殿で間違いございませんか」
すると男は、正していた姿勢をさらに強ばらせた。
「はい。私、徳川幕府・陸軍奉行配下 調役の渋沢篤太夫にございます。土方殿、本日は大沢源次郎捕縛にあたる某の護衛を受けてくださり、誠にありがとうございます」
意外と礼儀正しく、かなたと鈴木は思わず瞬きをひとつ返す。若いのに立派なものだ。
「いえ...それで、大沢のいる宿ですが、私の部下が見張っております。もうじき戻りますのでしばし、お待ちいただきたい」
「わかりました」
渋沢は一息つくと、真っ直ぐとした目で土方を見据えた。
「大沢の居所に着きましたら、まず私が直接、大沢にこの一件の命令を申し伝える所存です。もし、大沢やその仲間が手向かうようであれば、お手前方にお力を貸して頂きたく思います」
その言葉に、案の定鈴木は黙ってはいられなかった。
「渋沢さんよ、そんなことをしてあんたの命が尽きれば、俺たちの面目は丸つぶれだ。それに、相手は元見廻組の奴と聞いた。文官のあんたじゃ、みすみす殺されるだけだぜ」
「おい、鈴木。言い過ぎだぞ」
土方が鈴木を鋭くと睨む。だが、渋沢は変わらず真っ直ぐな目のまま続けた。
「ですが、大沢にかけられた疑いはまだ噂です。私には、道理の通らないことはできません。それに、私にも剣の心得はございます。もし、相手が刀を抜くことがあれば、こちらも刀で応えましょう。それが許されぬというのであれば、護衛を付けることを辞退させて頂きます」
どうやら、彼にも譲れない信念があるようだ。だが、鈴木の言う分も、もっともである。土方も少し考え込んでしまう。
そこで、かなたがパチンと手を弾ませた。
「渋沢様がこう仰られるのですから、大丈夫でしょう。護衛を辞退されるとなれば、私たちの仕事もなくなりますし!」
かなたの言葉に、鈴木はばつが悪そうに眉をひそめた。
「だがよ、中村...」
「では、もし渋沢様に何かあれば、責任は新選組、副長の土方歳三にということで!」
にこにこと笑って土方に手を差し向けるかなたに、深いため息がもれた。どうせかなたのことだ、何か策があるのだろう。
「...わかりました。では、渋沢殿の意向に従いましょう」
「土方殿、無理を言って申し訳ない。ありがとう」
そういうと、渋沢は丁寧に頭を下げた。




