けじめ
かなたと話したその夜、鈴木は部屋で一人、猫と戯れていた。
飼う飼わないにしろ一旦預かれ、とかなたに言われたので、仕方がなく部屋に連れてきた。
子猫はひとしきり鈴木の袴の紐で遊ぶと、文机の下に隠れて眠り始める。
「お前は自由すぎるな」
少し笑みを零したところで、襖が音を立てて開いた。
「兄貴、どうしたんだ」
部屋の前には兄の伊東甲子太郎が立っていた。
「ここに居たのか。また花街で酒でも飲んでいるのか思ったよ」
「俺だって四六時中飲んでるわけじゃねぇよ」
昼間、かなたと交わした会話を思い出したせいか、鈴木は兄にどこか距離を感じる。その足音に気づいた子猫が顔を覗かせ、小さく鳴いた。
「にゃぁ」
その鳴き声に、伊東は鼻を鳴らした。
「また拾ってきたのか。お前は昔からそうだな」
伊東は子猫を抱き上げると顔を近づける。
「こんな主人に拾われても、何の得もしないのにな」
その言葉に鈴木の眉がわずかに動いた。
「それは、どういう意味だ?」
「なんだ?珍しく怒っているのか?そのままの意味さ。兄がこんなにも頭を使っているのに、弟は猫と仲良く遊んでいるだけだ」
図星だった。兄ほど賢くもなく、兄がいないと何も出来ない人間。自分の未来に光なんてものはない。
ーーー鈴木さんの人生は他の誰のものでも無い、鈴木さんのものです。
その時、昼間に話した気に食わなかったはずの小姓の言葉が頭にちらつき、鈴木はぽつりと呟いた。
「....俺の人生は俺のもの、か」
「ん?何か言ったか?」
その時、心のどこかで何かが弾けた。今までまとわりついていた劣等感が、音もなく剝がれ落ちていく。
「くっ...クックックッ....アハハハハハ!」
「な、なんだ急に」
罵っていたはずの弟が突如として笑い始め、その異様さに伊東は思わず面を食らう。鈴木はゆるりと立ち上がり、兄を一瞥した。
「で、兄貴。俺になんの用があって来たんだ?」
伊東は動揺を抑えながらも口を開く。
「あ、ああ。そろそろ、ここを出ていっても良いかと考えていてな.....」
「出でく......?新選組を乗っ取るんじゃなかったのか?」
「ここを乗っ取ったとしても、結局は幕府の言いなりになる。それなら、自分で組織を作った方がいいと考えたんだよ」
兄は自身で道を開こうと言っているのだから、自分もそうしてやろうじゃないか。
「そうか.....じゃあ、役立たずの弟は邪魔だろうから退散するよ」
そう言い放つと、鈴木は伊東の腕から子猫を引き剝がし、部屋を出ていった。
「おい、どこへいくんだ!」
遠ざかる兄の言葉も、もう鈴木には聞こえていなかった。




