鈴木三樹三郎
先日、土方に伊東派と話す許可を得たので、かなたはさっそく鈴木に近づいてやろうと思っていたのだが、いきなり「あなたはどういう人ですか?」、なんて聞くわけにもいかない。
どう切り出そうかと屯所内をぶらついていると、境内の入口で鈴木とばったり出くわしてしまった。
気まずさに踵を返しかけたその時、運悪くあちらから声をかけられる。
「おい、中村」
「は、はい!なんでしょう?」
かなたは若干警戒しつつも、鈴木の元へ歩み寄る。
「手伝って欲しいことがあんだ。こっちへ来い」
鈴木はいつになく、焦った表情で言うのでかなたも戸惑いつつ付いていく。
連れてこられた場所は中庭の木の横だった。微かに何かの鳴き声が聞こえる。
「この木の上で、猫が降りられなくなってんだ」
見上げると、幹の間に小さな子猫がしがみついて鳴きわめいている。
「あぁ、なるほど....えっと、梯子は?」
「それが今日は屋根の修理があるとかで、ここの坊さん達がみんな持ってちまったんだ。だから、中村、俺の肩に乗ってお前が助けろ」
「えっ、鈴木さんの肩にですか?」
思わず声を上げるが、それしか方法は無いのだろう。
「あぁ。まず俺がしゃがむからお前は俺の肩に足をかけて座れ。そうしたら俺が立ち上がる。立ち上がったら、肩の上に立て。足袋は滑るから脱げよ」
「わ、わかりました」
かなたは履いていた草履と足袋を脱ぐと、鈴木の肩に足をかけた。
「し、失礼します....」
なんだか気が引けるが、鈴木がやれと言うので仕方がない。かなたが肩の上に座ると、鈴木は勢いよく立ち上がった。
「わぁ!す、鈴木さん!早いです!」
仰け反りそうになり思わず鈴木の額に手をかけてしまう。
「わ、悪ぃ」
「こ、こちらこそすみません」
微妙な沈黙のあと、かなたは木に手をかけ、鈴木の肩の上で立ち上がった。
(こ、怖すぎる....)
落ちたらどうしよう、と一瞬考えるが、子猫がかわいそうなので腹をくくって手を伸ばす。
「ね、猫ちゃーん。こっちおいで〜」
だが、子猫は怖がっているのか、なかなかこちらへ来る様子はない。
「くっ、猫ちゃん....」
このままでは届かないので幹に手をかけ、さらに体を伸ばす。
「お、おい、中村。まだか?」
どうやら、鈴木の肩も限界に近づいているようだ。
「あ、あと少しです!」
足の位置を変えて、そーっと猫に触れる。
「いだだだだ!中村!お前の爪が肩に.....!」
「す、すみません!今、捕まえました!」
「よ、よし。じゃあ下ろすぞ」
なんとかバランスを取り、鈴木の肩から降りる。子猫は助けられたのに、かなたの手の中でジタバタ暴れていた。
「ふぅ...なんとかなりましたね」
「あぁ、助かったぜ。ありがとよ」
鈴木が思いのほか素直で、かなたは少し拍子抜けする。
かなたの手にいる子猫を見つめながら、鈴木は指先で猫の頭を撫でた。
「猫、お好きなんですか?」
「そうだな。動物は結構好きだ」
「可愛いですもんね」
鈴木と初めて意見が一致した。といっても、彼とこんなに話すのも初めてなのだが。
「.....それに、口聞かねぇからな」
「喋らないから好きなんですか?」
思わず聞き返すが、鈴木はかなたの質問には答えず目を伏せた。
沈黙が続く。
「あの....何かあったんですか?」
「....いや」
なんだか、あの頃の山南を思い出す目をしている。鈴木でも、こんな顔をされると放ってはおけない。
「あの、よかったらお茶しませんか?」
そういうと、かなたは自分の部屋の方向を指さした。
ーーーー
かなたは湯呑みに茶を注ぐと、目の前に座っている鈴木に差し出した。
「どうぞ」
「....あぁ。悪ぃな」
部屋には二人と、先ほどの子猫だけ。子猫はもう暴れず、かなたの肩に登ろうとしては、ころりと落ちるを繰り返している。
(.......名前、何にしようかな)
飼う前提で物事を考えてしまってはいるが、江戸時代の猫の飼い方なんて分からないので、一旦置いておこう。
かなたは鈴木をちらりと見やると、意を決して口を開いた。
「あの、なんでお茶の誘いに乗ってくれたんですか?」
「なんでって....お前が誘ってきたからだろ」
まあ、それはそうなのだが、てっきり断られると思っていた。
「いえ、私のこと、あんまりお好きじゃないのかと.....」
「別に好きでも嫌いでもねーよ。....俺はな」
"俺は"ということはきっと鈴木の兄、伊東はそうでは無いのだろう。
「さっきの質問、答えて貰ってもいいですか?」
「質問?」
「動物は喋らないから好きってやつです」
「あぁ.........それがそんなに気になるのか?」
鈴木が怪訝そうに顔をしかめる。
「ええ。気になって夜も眠れないくらいには」
少し誇張しすぎたか。かなたがそんなことを思っていると、鈴木は持っていた湯呑みを置き、息を吐いた。
「人間は喋るから意思の疎通が出来るだろ。けどそれがあるから、相手の思うことや考えが全部分かっちまう。だから喋らない動物は気が楽だって意味だよ」
「.....なるほど」
かなたは納得したように相槌を打つと、迷いなく疑問を口にした。
「でも、意思の疎通ができるから、相手を思うことや愛情表現が出来るんじゃないんですか?」
「あ?」
「鈴木さんの言っていることを、否定している訳ではありませんよ。人間ってぶつかることもあるし、離れることもある。それでも、互いに思いやることはできる。動物にも意思疎通の方法はあるでしょうけど、人間は人間なりのやり方がある、と私は思います」
「思いやり...ね」
「はい。私は鈴木さんは優しすぎるからそう感じるのかもしれません」
「優しい?俺がか?」
鈴木は顔を歪める。
「優しいと思います。だって子猫を助けたじゃないですか。それに、滑るからって足袋を脱ぐように気遣ってくれましたし....そういう細かいところまでちゃんと見るのって、なかなか出来ないですよ」
優しい、か。初めて言われる言葉に、鈴木は黙り込んだ。しばらくして、茶をすする。
「お前は、誰かと比べられて生きたことはあるか?」
「....比べられる?」
「比べられて、認められようと生きてきたのに、報われない。そんな思いをしたことはあるか?.....俺は、ずっとそうやって生きてき」
なぜ、小僧にこんなことを喋っているのか、自分でも分からない。だがなぜか、こいつには不思議と話してもいいと思えた。
「もちろん、比べられたり報われなかったことは何度もあります。でも、私はそれを重んじて生きてはいませんね」
その言葉に、鈴木は口をつぐむ。理解されるはずがない。そう思った矢先、かなたの声が続いた。
「認められたい、という想いはそんなに重要ですかね?」
その言葉に、鈴木の眉がピクリと動いた。
「なんだ?俺を煽ってんのか?」
「違います。その考えを悪いと言っているわけではありません。ただ......」
かなたは湯呑みを置くと、手を振り上げ鈴木の間にスッと線を引くような仕草をした。
「それで辛い思いをしているなら、その概念を、断ち切ってやろうかと、考えているのです」
「....断ち、切る?」
畳に手をつき、かなたは体を前へと寄せる。
「はい。比べられるなら、比べてしまう人間から離れればいい。逃げることは、必ずしも悪いことではありません」
かなたの真っ直ぐとした目に映る自分を見て、鈴木はわずかに動揺した。
もちろん、変わろうと思えばいつでも変われたはずだ。兄から離れようと思えば、いつでも離れられたはずだ。だが、兄がいなければ何もできない自分が、一人で生きていけるのか。
まるで心の奥まで見透かされているような、その視線に鈴木はたじろぐ。
ーー怖い。
そんな感情が胸から湧き出て、思わずかなたから視線を逸らした。
「もちろん、けじめをつけることは大事ですけどね」
思っていた以上に鈴木が動揺しているのを見て、かなたは少し詰めすぎたかと感じ、体勢を元に戻した。
「私が鈴木さんの鎖を断ち切るには、まず鈴木さんのけじめが必要です」
「けじめ......」
「はい。鈴木さんの人生は他の誰のものでも無い、鈴木さんのものです。私はお手伝いしかできません。縛られているものを断ち切るか否か、その決断は鈴木さんにしか出来ません」
かなたの目が、再び鈴木を捉える。
その瞬間、ひとつだけ確信した。こいつは、ただの小姓ではない。
「お前は、何者なんだ....?」
簡単に答えるにはまだ早い。
かなたは子猫を抱き上げ、まるで猫が喋っているかのように手足を動かした。
「私は、隊士の皆さんのことを思っている、ただの小姓ですよ」




