市村鉄之助
前回の続きの巡察経路見直しからです。
「これがいつもの経路だな」
土方が道の先を指さしながら、歩を進める。
「なんだか....距離はありますけど、意外と大通りばかりであっさりしてましたね」
「そうだな。京は小道が多いから、もっと細かく網羅したほうがいい」
「じゃあ次は、小道を回ってみましょう」
「ああ」
碁盤の目のように整った京の道は、一見わかりやすいが、それだけ分岐も多い。とくに小道に逃げ込まれた場合、追跡が困難だ。かなたはそんなことを考えながら、前を歩く土方の背に付いていく。
「ここは、人通りも少なくて陰気ですね....。あ、土方さん、こっちの道行ってみてもいいですか?」
「なんかあったのか?」
「ここ、見てください」
かなたは京絵図を見ながら、土方を細道へと誘導する。
「こっちの道はここまで来ると、さっきの道と繋がってるんです。なので、ここを巡察するだけで二経路、見ることができます」
「なるほどな。じゃあ、こことここの経路を繋げるか」
かなたの提案に土方が頷いた瞬間、小さな達成感が胸に広がった。
ーーーー
それから四半刻ほど、経路の確認をしていると、細道のほうから何やら声が聞こえた。
「うわぁぁあん!おかあちゃーん!」
かなたがその声につられて振り向くと、小さな男の子が泣きじゃくっていた。
「なんだ?迷子か?」
土方は男児に近づくと、その仏頂面のまま話しかける。
「おい、坊主。お前、どっから来たんだ」
「......あ」
男児は土方の顔の怖さに、泣くのも忘れて固まっている。これが"泣く子も黙るなんとやら"というやつか。かなたは慌てて土方のもとへ駆け寄った。
「土方さん!その子、怖がってますから!」
「あ?あぁ....悪ぃ」
近寄ると、男児は一目散にかなたに抱きついてくる。よほど怖かったのか、かなたの脇で小さく震えている。
「大丈夫だよ。この人、顔は怖いけど優しい人だよ」
「おい」
後ろから土方の視線が刺さるが、気にしないでおこう。
「お母さん、一緒に探そうか」
男児は黙ったまま、こくりと頷いた。推定、三〜四歳くらいだろうか。まだ何もかもが拙い年頃なのに、一人きりで相当不安だったはずだ。そう思っていると、土方がさっきとは違う、少し柔らかい口調で口を開く。
「お前、名前はなんて言うんだ?」
「......てつのすけ」
鉄之助だろうか、立派な名前だ。
「鉄之助、母ちゃんとはぐれた場所はどこだ?」
「...わかんない」
自分がどこにいるかも分からないようで、鉄之助は今にも泣きだしそうに、かなたの服をぎゅっと掴む。
「しょうがねぇ。そのへんの店でも回って聞くか」」
「そうですね」
そうして土方とかなたは一軒一軒、店を回り鉄之助のことを尋ねて歩いた。けれど、どの店も「知らない」と首を振るばかりで、気づけば夕刻になっていた。鉄之助は泣き疲れたのか、かなたの腕の中で何度も意識を落としかけている。かなたと土方が半ば諦めかけていた時、遠くから女の声が聞こえてきた。
「鉄之助ー!どこいったのー!」
鉄之助はその声に気づくと、かなたの腕から抜け出して一目散に走り出す。
「あっ!」
「おい!」
鉄之助は二人の声に構わず、声の主へ抱きついた。
「おかあちゃん!!!!!」
「鉄之助!」
どうやらその女が鉄之助の母のようだ。かなたは女に近づくと声をかけた。
「あの、鉄之助くんのお母さんですか?」
「は、はい。そうですけど...あなた方は?」
女は土方の羽織を見ると、眉をひそめた。新選組は京では嫌われ者だ。その反応をするのも無理はない。かなたは、これまでの経緯を説明する。
「まぁ、なんとお礼を申したらいいのか...」
「いえいえ!」
鉄之助は安心したのか、さっきとは打って変わり、にこにことご機嫌だった。かなたはしゃがむと鉄之助の頭を撫でる。
「もうはぐれないようにね」
「うん!....おじさんも、ありがと」
鉄之助は照れたように、土方を見上げる。
「おじ.....。あ、あぁ.....母ちゃんの言うことは聞けよ....」
どうやら"おじさん"と言われたのが、かなりショックだったようだ。まあ、鉄之助くらいからするとかなたもおばさんだろう。すると、思い出したように女が口を開く。
「あ、申し遅れました。私、鉄之助の母の市村トキと申します。本当に、ありがとうございました。なにかお礼をさせてください」
「いち...むら.....?」
その瞬間かなたの背筋がぞわりとする。
市村鉄之助。土方と箱館戦争まで共にする当時十六の少年の名だ。たが、鉄之助は今の時期なら十を過ぎているはず。ただの偶然だろうか。
「いや気にするな、これが俺たちの仕事だ」
「え、でも....」
「あの...!」
かなたは思わずトキの言葉を遮る。
「もしかして....近江から来られましたか?」
「え、ええ。....けど、なぜそれを?」
トキは困ったように眉を下げる。近江国は市村鉄之助の育った場所だ。嫌な汗が背筋を伝う。土方はかなたの様子に気づいたのか、顔を覗き込んだ。
「おい、どうしたんだ?」
「あ....い、いえ!なんとなく、そんな気が....して.......」
土方は眉間に皺を寄せると、トキにこう告げた。
「もう夕刻だ。暗くなる前に帰れ。俺たちもこれで失礼する」
「あっ、ありがとうございました!」
頭を下げるトキを一瞥し、土方はかなたの手を引っ張った。
「行くぞ」
かなたの頭の中に、動揺が渦を巻く。小さな違和感は、これまでもいくつかあった。けれど、ここまで大きな"ずれ"と出会ったのは、これが初めてだった。本当に、このままでいいいのだろうか。この先も、自分は歴史を改変し続けていいのか。心の奥に、今さら迷いが生まれる。あの時、七夕祭りで感じた不安が、再び胸をよぎった。
「.....お前が何を思ってるかは知らねぇが」
土方が静かに口を開く。夜に近づき、町の騒がしさは消えかけていた。
「今さら、改革を辞めるなんて言うなよ」
「.....え」
かなたはゆっくりと、土方を見上げる。その目は今までとは違う、覚悟を宿した眼差しだった。
「お前が、俺たちを生かしてるってことを.....忘れんじゃねぇぞ」
そうだ、彼らはもう覚悟を決めて歩き始めているのだ。自分が突き動かしたはずなのに、生半可な気持ちで居たことに、悔しさを覚えた。
「土方さん」
かなたは土方の手を握り返すと、真っ直ぐ目を見る。
「私は、覚悟が足りていませんでした。歴史を変えることによって、自分の知っている未来じゃなくなるから。それが....凄く怖かったんです」
土方は黙ってかなたの目を見つめる。
「だから、決めました。何が起きても、私の選んだ道を進みます」
かなたがそう言うと、土方はふっと息を吐いた。
「.....そうだな。お前はそうでなくっちゃな」
「はい。なので、私を殴ってください」
「.....は?」
予想外の言葉に土方は固まる。かなたは土方に、じりじりと詰め寄った。
「土方さんたちはもう覚悟しているのに、自分は先導者のはずだったのに、出来ていませんでした。武士ではありませんが、士道不覚悟です。殴ってください」
「.....んなこと出来るわけねぇだろ!」
「なんでですか?!」
かなたの顔が近い。体の調子が変だ。妙に息があがる。それになんだか、男とは違う匂いがする。土方は必死に体制を持ち直し、腕を組み顔を背けた。
「なんででもだ。俺は女は殴らねぇ主義だ」
「で、でも、今は男なので!」
「それとこれとは違うだろ!」
「平等に殴ってくださいよ!」
「なんで殴られる前提でそんな前向きなんだよ!」
かなたが食い下がり、土方が拒否し、じりじりと押し問答が続く。お互い真剣だが、周りから見ればただのコントだ。
「遅いと思ったら、なーにやってんだあいつら」
「また、かなたがなんか言ったんだろ」
「土方さんをあんな風にさせるのは、かなたしか出来ねぇよなぁ」
それから言い合いする土方とかなたを、永倉・原田・藤堂は声もかけずに四半刻ほど見ていた。




