浅葱色
「痛っ...」
目を開けると、そこは先程までいたはずの駅ではなく、闇に沈む古い日本家屋の前だった。ぼんやり灯る行灯だけが、黒い夜を切り裂いている。
(ここどこ...?夢?........もしかしてこれが噂に聞くトリップってやつだったりする?いや、それともタイムスリップ?)
かなたは地面に手をついたまま、直前の記憶をたどる。
確か、駅の階段でつまずいて転んだはず。しかし、夢だとしても手の感触が異様にリアルすぎる。
(タイムスリップだとしたらどうする...?帰り方は...?)
ダラダラと嫌な汗をかきながら、目の前の日本家屋に目をやる。すると、人影らしきものが視界の端でうごめいた。
「誰だ!」
その声にかなたの肩はビクリと跳ねる。
ザッと立ちはだかったのは、浅葱色にだんだら模様の羽織をまとった男三人組だった。
(新選組の羽織着てる...撮影かなにかかな?)
驚きつつも、心は少し高鳴る。
何を隠そう、かなたは筋金入りの新選組オタクだ。小さい頃からドラマ、アニメ、ゲーム、小説、漫画.....新選組が出るものは片っぱしから漁った。
大学のレポートでも、新選組の話を用いて教授を困らせるくらいだ。新選組の羽織を着ている人間など、すぐにわかる。
「お前、何者だ」
そう言うと男は刀に手をかけた。
妙に顔の整ったこの男はきっと、土方歳三だろう。
「異国のような服を着てますねえ」
優しくニコニコと笑いながら、かなたのことを見下げているこの長身の男は、沖田総司だろうか。
「君、この家になにか用かね?」
こっちの男はゴリラみたいなガタイだからきっと、近藤勇だ。
かなたは男たちを分析しながら、ちらりと周りを見る。どうやら自分は、この家の前の真上から落ちてきたらしい。
急に出てきたかなたに、男達はとても警戒しているようだ。
(やっぱりこれどう考えてもタイムスリップじゃ....)
嫌な汗は止まらず、何から考えればいいのか、思考が停止してしまう。
「てめえ、どっかの間者か?」
整った顔立ちの男は、刀を抜くとかなたの首に突きつける。
ヒヤリと首筋をなぞる鋭い冷気に、背筋が凍りついた。灯りできらめく刀身が、容赦なく現実を突きつけてくる。
これは映画やドラマの撮影などでは無い。刀を当てられた首には、一筋の汗が伝う。
「ひっ」
かなたは咄嗟に男を見上げた。月明かりの下、土方歳三らしき人物が刀を構え、自分を見下ろしている。まるで芝居の一幕のように、凛とした佇まいが夜に映えている。
(......美しい)
混乱していたはずの頭の中は、土方の格好の良さに段々と支配されていく。
(いや、待て)
首を横に振り、すんでのところで意識を取り戻す。
どんなに大好きな新選組が目の前に居たって、死の間際にいるのかもしれないのだから、それとこれとは違う。
(なにか言い訳を...)
かなたは脳内をフル回転させる。
「あ、会津藩お預かり新選組隊士の皆様!近藤さん、土方さん、沖田さん、ですよね...?私は遠い未来よりやって来ました、中村かなたと申します!!」
口から咄嗟に出た口上に自分でも戸惑う。こんなことを言ってしまって良いのだろうか。歴史を変えてしまう可能性を考えていなかった。
「てめぇ、なんで俺たちの名前を知ってやがる。益々怪しいな」
土方は目を細めて睨みつける。
「みらい?」
沖田は首をかしげ、土方はさらに刀を構え直す。
どうやら下ろす気は無いらしい。
「ひぃぃぃ....ええっと....」
頭の回転は早い方だと思っていたが、死の窮地に立たされると、自分の無力さに泣きそうになる。さすがにまだ死にたくはない。
すると沖田がうーん、と唸った。
「しかも名前...新選組というのは今日決まった名前ですよ?」
「まだ名前は広まってねぇはずだぞ。近藤さん、こいつはどこかしらで俺たちを見てた忍びの間者だ。斬るしかねぇ」
土方は近藤に判断を仰ぐ。
「うーん....」
近藤が顎に手を当て、思案する。その一瞬の静けさが、かなたには永遠にも思えた。
「ま、待ってください!!!未来から来たって言ったでしょ!?だから名前を知っているんですよぉ!!!」
「じゃあ、何年後の未来だよ」
間髪入れずに土方が低い声で問う。
「えっと...今は何年何月で?」
かなたは一番答えてくれそうな近藤に顔を向けた。
「文久三年の八月だが...」
「じゃあ、約160年後です!」
「はぁ?そんなこと信じられるわけねぇだろ!」
土方は勢いよく怒鳴る。イケメンでも普通に怖いのでやめて欲しい。
「し、信じてください!あなた達を助けに来たんです!」
「助け...というのは?」
沖田は不思議そうな顔をしてかなた見つめた。
「この先立ちはだかる壁を超える為に助言を...!」
ほんの数分前は歴史が変わってしまうかも、と思案していたが、よくよく考えると帰る方法も分からないので、そんなこと知ったこっちゃない。今は自分の命が優先だ。
「へえ、楽しそうですねぇ」
沖田はずっとニコニコと笑っている。思ったより楽観的な性格のようだ。
「こ、近藤さんお願いです!力になります!助けてください!!」
かなたは深々と土下座をした。
「なんだが嘘をついてるようには見えないしなぁ。まあ、話だけでも聞こうじゃないかトシ。こんなにお願いしているんだし...」
「近藤さん!」
近藤は土方の肩を叩くと、まあいいじゃないか、と優しく微笑んだ。
「ッチ」
土方は近藤には逆らえないようで、舌打ちをすると渋々刀を収めた。
なんとか首の皮一枚繋がったようだ。しかし、横にいる土方の視線が痛い。
「じゃあ、こちらへ来たまえ」
近藤は微笑みながら誘導する。
そうしてかなたは新選組の屯所、八木邸の離れに通されることになった。
土方は真面目。沖田は楽観的。近藤は優しすぎる。
そんなイメージの3人です。
歴史の補足としては、新選組は旧暦の1863年2月頃に京へ上洛しました。
最初の名前は新選組ではなく浪士組。そこから壬生に滞在することになり、壬生浪士組となり、1863年の八月十八日の政変で新選組という名前を会津藩主の松平容保公によって命名されたと言われています。(諸説あり)