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詩を書きたくてたまらないけど、詩を作れない詩神の話

 かけだし詩人の僕のアパートの狭い部屋に、ある日詩神(ミューズ)が訪ねてきた。


『わ、わたくしを弟子にしてください!!』


 僕は自分の右ほおをつねった。ダメ押しで左もつねってみた。――痛い、どっちもめっちゃ痛い。


『夢かと疑ってそんな痛い思いをせずとも、わたくし本物の詩神ですわ』

「――いやいや! まさに女神のように美しき姿、ほんのりと光り輝くお体……あなた様が本物の詩神というのは分かりましたが、どうして僕なんかのところへ弟子入りに?」

『お恥ずかしい話ですが、わたくし、詩が書けないのです』

「――は?? 今なんと??」

『ああ、幾度も言わせないでくださいまし……ですからわたくし、詩神のくせにまともな詩が書けないのです。それでは神としてあまりにも情けない! ですからぜひ! 詩人のあなたに弟子入りし、わたくしもいつかいっぱしの詩人に!!』

「いやいやいやいや、まさかそんなことがあるわけ!! だいたいあなた、それが本当だとしたって、なぜよりによってかけだし詩人の僕をチョイス!? あなたは詩神なのですから、この国の最高峰の詩人をよりどって弟子入りしたって、みんな歓迎するでしょうに……!!」


 詩神はぽっとほおを染め、うつむきがちな上目づかいでこう答えた。

「だって……あなたが一番、優しそうなんですもの」


 何となく嫌な予感がして、僕はためしにこう言った。

「……そうですね、それじゃあ今まであなたがこさえた詩の中で、最高傑作を教えてください」

「……こ、ここでですか……? それじゃあひとつ、短いのを……」


 詩神は深く息を吸って、歌うように詩を語った。


『このわたくしの好きなもの、メープルシロップをかけたパンケーキ。

 たっぷりかけてほおばるの、そしたらすごい幸せが、お口の中ではじけるの!

 甘いあまいの、とっても幸せ、ハッピーハッピーメルティング!!』

「――……終わりですか?」

『終わりです』


 うーん、なるほど。これじゃ最高峰の詩人のもとには、とても弟子入り志願できまい。


「……分かりました。それじゃあともかく、僕の部屋にお入りなさい」

『あ、わたくし自分の神殿を引きはらってきましたので、なにとぞ住み込みでお願いします』

「す、住み込みぃいい!? いやいやそんな、若い女性がこんな男のひとり住まいの部屋に住み込むなんてそんな!!」

『あら、わたくしこれでも神でしてよ?』

「なおのこと問題アリですよ!! どうするんです、僕が理性を失ってあなたの寝込みを襲ったら……、」

『神の力で思いっきり腕をひしいでやりますわ』

「いやいやそれ神の力じゃなくて、ただの怪力じゃないですか!! そういう問題じゃないんです、とにかく僕が困ります!!」

『わらわは神だ、仰せに従え』

「一人称が変わりましたよ!!?」


 なんだかんだ大騒ぎしながら、詩神は僕の部屋に無理やりあがり込み……そのまま部屋に居ついてしまった。料理に掃除、すべてそつなくこなす彼女は、まるで恋女房だった。一緒に過ごすうち、僕らはたがいに魅かれあって、ついに夫婦になってしまった。


 詩神のご加護のおかげなのか、僕の詩の才能はそれからぐんぐん伸びていき、やがてまがりなりにも『国を代表する詩人』になった。でもかんじんの妻の詩の才能は、いつまでたっても伸びなかった。


「……いやあ、なんだかコントみたいな一生だったな……」

『あなた、そんなこと言わないで……この国の、この世界のみんなが、あなたの新作の詩を待ってるわ。まだまだ活躍はこれからよ……』


 若いままの見た目の妻の手を握り、僕はしわだらけの口もとへやっと笑みを浮かべてみせる。


「気休めは良いよ……僕ももう歳だ、そろそろ魂が老いた肉体を離れる時だ……自分のことだ、自分で分かる……」


 妻は声もなく涙を流し、ささやくように口を開いた。


『……ねえあなた、わたくしもついていって良い……? あなたが亡くなれば、わたくしきっと堪えられないわ……わたくしの神の寿命もそこで尽きて、一緒に魂とたましいで……』

「――何を言う、だめだそんなの……君は詩神だ、君がいなくなれば、どれだけの詩人が絶望の淵に立たされると……!!」

『いいえ、詩はこの世界に必要なもの……このわたくしがいなくなっても、きっとどこかで新たな詩神が生を受けるわ……』


 妻は……この世の誰より美しい詩神ミューズは、淡い虹色の瞳から涙をこぼし、僕の枯れ木のような指に口づける。


『わたくし、来世は人間に生まれたいの……あなたと同じ人間に生まれ変わって、今度こそ素晴らしい詩人になって、あなたと詩人夫婦になりたいの……』


 ほおを濡らして微笑まれ、僕は声もなくうなずいた。うなずくしかなかった。本当は、本当は僕だって、妻と同じ種族に生まれたかったのだ。子どもをもうけて、孫が生まれ、一緒に歳を取り、しわの浮いた手を重ねて、ふたり穏やかに枯れていき、一緒に天に召されたかった。


 僕の心の奥底の声をすべて聴き取ったかのように、妻もこくりとうなずいた。体から力が抜けてゆく。本当は心底望んでいたことが叶えられ、老いた体から最後の気力が抜けてゆく。


 愛しているよ、といったくちびるからすっと魂が抜けだして、僕は透きとおる瞳で自分の亡骸を見下ろした。そのとたん妻の……詩神の姿も雪の降るように舞い散って、魂となった僕の手をとり、透ける魂で微笑んだ。


 ふたりは手に手をとりあって、おりからさっと吹いてきた風にまかれて飛び散った。……来世で同じ種族に生まれ、再び結ばれるために。


* * *


 ――という『逸話』を問われもせずに語るのが、名高き詩人夫婦である。このエピソードを『権威づけだ』と吐き捨てる者もかなり多いが、夫婦は気にもせずっている。


 この昔話が、本当にあったことなのか……詩人夫婦の前世なのかは、ふたり以外は誰も知らない。ただ、詩神の祝福がこのふたりの上にあるのは、この世の誰もが認めることだ。


 照りつける太陽のもと、肌をいてヤシ酒を飲む人々の。

 雪に閉ざされた山村の、雪の照り返しで肌を灼かれた人々の。

 植物が乱れ生える豊かな地で、自然の実りを収穫して生きる人々の……、


 この世の全てのあらゆる場所で、寝室の小さな本棚にきまって置かれている一冊は、このタイトルの本なのだ。


 ――『詩を書きたくてたまらないけど、詩を作れない詩神ミューズの話』。


(完)

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