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決意

迷宮化した2階から脱出した幸仁は、まず母親に状況を報告しようとした。

しかし、呼んでも返事がない。

一階部分は妙な静けさに包まれていた。

すっかり夜になっているのも、不吉な雰囲気を加速させた。

窓ガラスが割れている。

破片が外側に散らばっていることから、何者かが家の中から飛び出していったようだ。

「母さん?!」

家の外に、うずくまっている母親の姿を発見した。

しかし、何やら様子がおかしい。

巨大な蝶が背に止まっており、蜜の代わりに血を吸われているようで…。

「魔物?迷宮から出てきたのか」

幸仁は蝶を引き剥がそうとするが、もう遅かった。

蝶と母親は一体化し、別の生命体に変貌していた。

シルエットは人のそれと変わらない。

背中に蝶の羽があること以外。

だが表情の不自然さは、本能的に抵抗感を示す不気味さを秘めていた。

「母さん?大丈夫か」

母親は返事をしない。

ただその代わりとして、突然幸仁に飛びかかった。

幸仁は反応できない。

というか、反応したくなかった。

それは、母親が異形の魔物になったことを認めるようなものだったから。

鈍い音。

母親だったものは、錐揉み回転しながら吹き飛んでいく。

ゴーレム少女は、右手を突き出した姿勢で静止していた。

母親は向かいの家に叩きつけられて、動かなくなる。

幸仁はゴーレム少女を見て、次に母親を見る。

「生きてるよな、母さん」

母親はふらつきながらも立ち上がる。

幸仁はひとまず安堵した。

母親は羽を広げ、地を蹴って空に駆け出した。

逃げていった。

「待って、何処に行く気だよ!」

声は届いていない。

幸仁は呆然とその様子を見守っていた。

しかし、翔也のことを思い出し、急いで病院に向かう。

翔也を無事に病院に届けることには成功した。

しかし、医師から二度と目覚めないだろうと宣言される。

惰眠竜の唾液は、注入されるとあらゆる体の組織を破壊していく。

解毒は済んだが、脳に重大な損傷を負った今、目覚めることはないという話だった。

幸仁は絶望した。

だが、彼にはもう一つがあった。

思い出したかのように別の質問をする。

魔物になった人は戻せるのかと。

母親が魔物になった経緯を説明した。

「残念ですが、魔物化した人間が元に戻ったという例は聞いたことがありません。

そもそも、魔物化自体が珍しいことでして、治療方法の解明が全く進んでいません」

病院からの帰り道、深夜を跨いだ証として朝日が降り注ぐ。

彼には、今日が来て明日が来るのが億劫だった。

ため息を吐く。

無茶苦茶だった。

母親は魔物になり、入院することになった弟は恐らく目覚めない。

しかも、迷宮探索隊から逃亡中。

八方塞がり。

これからどうすればいいのか、彼にはわからなかった。





「偶然だね。幸仁学生。まぁ、学生なんて続けられないだろうけどね。指名手配犯だから」

サンダルに短パン、なぜか白衣。

しかも裏返っている。

両手にはコンビニのレジ袋。

卑口教授である。

「何を言っているんですか、俺が指名手配犯?」

「任務中の迷宮探索隊に暴行を加えて逃走だってさ。本当かい?」

事実ではない。政府は幸仁のことを捕まえたいが、『終末の心臓』のことを民衆に知らせたくないのである。

「俺がそんなことすると思います?」

「痴女を連れて散歩するようなやつだからね。もしかすれば」

卑口教授はゴーレム少女を指差した。

彼女は、白い布一枚で体を覆っているだけだ。

ゴーレムとはいえ、卑口の指摘した通りそれは痴女にしか見えない。

「ん?ちょっと待てよ」

卑口はゴーレム少女の胸元を二度見した。

いやらしい意図があったわけではない。

「ああ、なるほどね」と呟く。

「私の家に来なよ。いろいろと話したいことがある」



卑口教授の部屋は、古くさいアパートの一室だった。

中はゴミ屋敷である。

「もっといい家に住んでいると思っていました」

「何気に失礼だね、君は。私はこれでも稼いでいる方だよ」

「だから疑問なんですよ」

卑口教授は「まぁ、そうだな」と言いながら、全員分の座布団を用意した。

全員を席に座らせる。

「さて、じゃあ私から質問するよ。ここに至る経緯を説明してくれ」

幸仁は卑口教授と別れてからの経緯を全て話した。

「なるほどね。零号機は頭部を取られていて、起動するのは不可能だった。

しかし、別のゴーレムに零号機のパーツを移植することで、その力を引き出すことに成功。何だその裏技じみた方法は」

「俺も正直これほどうまく行くとは思っていませんでした。あの時は無我夢中であまり先を考えていなかった。迷宮探索隊の体たらくを見て開き直ったという感じです」

「君はもっと冷静な奴だと思っていたよ」

「9年前に父親が失踪しましてね。弟にもいなくなられるのは、流石に嫌だったんです」

「ふーん。でも、弟は結局目覚めないんでしょ」

黙る幸仁を見て、卑口は自身の失言を悟った。

「ああ、すまない。悪気はないんだ。私はいつもこんな感じでね。話を変えよう。

君はこれからどうするつもりだ」

「これから…」

「君は二つの選択肢がある。

一つは、そのゴーレムを国に渡す選択肢。

もう一つは、ゴーレムと逃げ続ける選択肢。

どっちがいい。どっちを選ぶ?」

「国に渡しても、晴れて無罪放免とはいかないでしょうね。

探索隊と国の闇の部分に触れた以上、俺の存在は邪魔だ。最悪消されるかもしれません」

「では、ゴーレムと逃げ続ける気かい?」

「世界の軍事バランスを揺るがしかねないゴーレムですよ。彼女は。

そんな存在を国が黙ってみているわけありませんから、全力で倒しにきます。

正面衝突待ったなし。

そうすれば、確実に血が流れ、誰か死ぬ。

こんな未来は望みません」

「どっちも嫌と来たか。我儘だね、君は」

「そうですよ。国と戦いたくないですし—」

幸仁はゴーレム少女の方を見た。

「—こいつを捨てるのも嫌です」

勝手に幸仁をマスターと勘違いして、勝手に『終末の心臓』を埋め込まれる。

そして、勝手に売られるとするならば、ゴーレム少女にはあまりにも救いがない。

「でもさ、どっちも嫌なんて言ってられないぜ。決めないと」

卑口教授はレジ袋から菓子パンを取り出して食べ始めた。

包装の袋を適当な場所に放り投げ、ゴミの山を一段と高くする。

「片付けないんですか」

「いつかやるさ」

卑口は一小節置いて指を鳴らした。

「そうだ。なぁゴーレム君。君は迷宮内の管理を行う型だよな。私の部屋の片付けでもしてくれないか」

幸仁はゴーレム少女に尋ねる。

「頼めるか」

「お任せください」

立ち上がったゴーレム少女を確認して、卑口は言った。

「悩める君のために、昨日の話の続きをしようか」

卑口はニヤリと笑った。

「私は迷宮探索隊の研究者だ。だから、ゴーレムについての資料や知識がある」

幸仁はある事実に気がついた。

「ということは、立場上貴方は俺を捕まえなくてはいけないはずです。

この俺をどうするおつもりですか」

「安心しろ、“元”だ」

「辞めたんですか」

「ああ、辞めてやったさ。そのせいで、迷宮関連の研究は行えなくなったがな。

国家に認められないと迷宮に関わるのは禁止されている。

隠れて研究しているのもそのせいだ」

ゴーレム少女の手により、部屋の中のゴミの山が崩れて、幸仁と卑口の半身が埋まる。

そのゴミを押しのけながら、卑口は話す。

「迷宮にある潜在能力は計り知れない。君だってその目で見ただろう、『終末の心臓』がどれほどの力を持つか。迷宮は危険で未知の存在だが、同時に資源でもある。国はそれを独占しようとして、探索隊を組織したんだ」

「民間人が好き勝手迷宮に干渉すれば、秩序が乱れますから妥当でしょう。

問題は、全てを掌握した国家が理性を保っていられるかです」

「その通りだよ、幸仁学生。『終末の心臓』が国家の手に渡った時のことを考えよう。

我が国家は恐らく、この理念に基づいて『終末の心臓』を軍事利用するだろう。

交戦的な周辺国から身を守るため、そして無用な争いを抑制するため、強力な兵器を保有することは必要である、とね。さて、君はどうする。どう考える?」

「全人類の平和を謳っているようで、強力な兵器を持っているところが一番得をする話ですね。そもそも、強力な兵器をハリネズミの針や、アルマジロの鎧と同じに考えてはいけません。なんたって、それはいつでも攻撃に使えるのですから」

「君はつまり、『終末の心臓』を得た我が国が、調子にのって他国に戦争をふっかけない保証はどこにもないと言いたいんだね」

「世界規模でものを考えるならば、国家にこれを委ねるのは気が引けます。

「ですが、俺個人がこの力を自由に引き出せる現状の方が更に問題です。

三つ目の選択肢を用意します。

『終末の心臓』を破壊する、多分これが正解です。

俺個人のではなく、世界全体の正解ですが」

「なるほど、そうきたか」

轟音と共に、部屋が揺れる。

十中八九ゴーレム少女の仕業だが、卑口は怖くなって目を向けない。

「残念なことを一つ教えよう。『終末の心臓』の設計図はすでにある。

ただ、詳しい原理がわからないから作成できない。

ここまで言えばわかるだろう」

「時代と共に研究が進展すれば、いずれ第二の『終末の心臓』が完成してしまうというわけですね」

「そうだ。どうする?いい考えはあるかい」

幸仁は俯いて頭に手を当てた。

「ゴーレムがどうやって動いているのか、いまだに不明である理由を考えてみたんです。

恐らく、それはこの世界の物理法則の外側にある存在が関係しているから。

例えば、迷宮から湧いてくる未知の物質が力を与えているというのはどうでしょう。

現代の物理法則による観測が通用しないのも納得です。

そして、迷宮は突然発生する存在であり、そこには必ず原因がある。

原因があるならば、迷宮をこの世から抹消することも可能な筈です。

研究を重ね、最後に迷宮をなくす。

そうすれば、燃料なき破壊兵器が目覚めることはありません」

「随分と壮大な構想だね。仮説が正しいかどうかは置いておいても、迷宮はなくなるべきだと私も思うよ。危険だし、国の目を曇らせる。けど、本当にこの手段を選ぶのかい?」

「人類にとってはこれが正しいことですから」

「健気なことで」

「ああ、いや。今のは半分嘘です。それもありますけど、もっと単純な理由があります」

「へぇ、どんなの?」

幸仁は真面目な顔で答えた。

「攻略隊が嫌だからです。あいつらは、弟よりもゴーレムが大事な大事な奴らだ。

どうせあいつらは別の場所でも、一般人よりも資源を優先するでしょう。

もうこれ以上は調子に乗らせたくありません」

「随分と幼稚だな。だが、私と同じだよ。

私も、攻略隊がむかつくから辞めてきたんだ」

卑口は髪をかき上げて、ぎょろぎょろとした目玉で幸仁を見つめる。

そして、不気味な笑みを浮かべる。

「君のことが気に入った。

だから、最大限の協力とアドバイスをしてあげよう。

君は今から、迷宮攻略隊に入りなさい」

「は?それは、俺に捕まりに行けと言っているようなものですよ」

「迷宮攻略隊に入るための書類選考やら試験やら面接やらで、君が君であることをバレずに入隊するのは不可能だ。けれどね、私には人脈というものがある。

迷宮攻略隊の研究者として働いていた頃の人脈がね。

陽崎亜理翠(ようざきありす)。私にこっそりと組織の機密データを送ってくれている人物だ。彼女のおかげで、ゴーレムの新しい情報が手に入っている。

素晴らしい助手だよ」

「彼女の存在が俺の入隊にどう繋がってくるのです」

「会ってきてみなさい。それで、全てがわかるさ」

卑口は紙片に住所と簡易的な地図を記し、幸仁に手渡した。

ドゴン、ドゴン、ドゴン!

連続する衝撃で、流石の卑口も現実に向き合った。

ゴーレム少女がゴミを両手で押し固めている。

圧力が頂点に達すると、ドゴンという音と共に煙に変わる。

手には何も残っていない。

目にも止まらぬ速さでゴミの山が消化されていく。

さすが破壊兵器だ。

だが、そのゴミの中には…。

「待て、消すな!それは機械少女テトラのフィギュアだ!!」

ドゴン!

「それは着ようと思って着ていなかったお高いスーツだ!」

ドゴン!

「それはタンスだ!どう見てもゴミじゃないだろう?!」

ドゴン!

「鍋!」

ドゴン!

「椅子!」

ドゴン!

やがて部屋の中には何もなくなった。

「スッキリしましたね」

幸仁の何気ない一言が卑口の心を抉る。

「しすぎだよ!」

卑口は俯きながら、「まぁ引っ越すつもりだったしなー」とか、「掃除業者に頼む分の費用が浮いたって考えるかー」とかぶつぶつ言ったあと、急に平常時に戻る。

この切り替えの速さが彼の武器だ。

「そういえば、そこのゴーレム君。名前はなんていうんだ?」

「設定されていません」

ゴーレム少女は簡潔に答えた。

「へぇ。幸仁学生。考えてやりなよ」

「そうですね。メアリスなんてどうだろう」

「気に入りました」

表情も声のトーンも変化していない。

「本当に気に入っているのかい?メアリス君」

「はい。とても」

「ならいいか。ところで、幸仁学生。メアリスの由来は?」

「どうだっていいでしょう。それより、俺はひとまず陽崎さんのところに向かいます」

幸仁の去り際に、卑口が声をかける。

「君の考えていること、わかるよ」

ニヤリと笑い、歯を見せびらかす。

「『コイツを信用していいのか』『全部罠なんじゃないか』あたりだろう?どうだい。私は信用できるかい」

「全てを失った俺が、その現実から目を逸らせる崇高な目的を、貴方は用意してくださった。これ以上何も失わないこと、進むべき目標があること。

この二つが守られるならば、貴方の意図がなんであれ協力して差し上げますよ。

それに、迷宮攻略隊は魔物に最も近い組織です。

もしかすれば、母や弟を救う手立てが見つかるかもしれません」

ドアが閉まり、部屋には卑口教授だけが残される。

「はぐらかすなよ、幸仁学生」


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