第30話 検討会
翌日の朝、俺は殿下のお屋敷にユナさんを迎えに行った。
「おはよう、ございます……?」
「お、おはよう、ございます……」
玄関から現れたユナさんは非常に疲れた顔を浮かべていた。
服装も髪型も、いつもと違ってしっかり整っている。
しかし、顔だけは徹夜した後のように疲労感たっぷり。
対して隣にいらっしゃるダイア様は――
「まぁまぁ! お迎えご苦労様!」
ツヤテカである。
先日お目にかかった以上に肌が潤っているように見えるのだが……?
「申し訳ないけど、これをユナの部屋までお持ちになって下さる?」
「はい。承知、しました!」
ダイア様から直接手渡されたのはパンパンに膨らんだ鞄である。
持った瞬間、ずっしりとした重みが腕に掛かって少々驚いてしまった。
「ユナ、いつでも帰ってきてね。ううん、絶対に帰ってきてね? 定期的にお姉ちゃんに話を聞かせてね?」
「は、はい……」
ダイア様はユナさんに念を入れるように何度も帰宅を促すと、俺達を満面の笑みで「いってらっしゃ~い!」と見送ってくれた。
「……何かあったんですか?」
敷地から出たあと、俺はたまらずユナさんに問う。
すると、彼女は疲労感たっぷりな顔で「ふひっ」と笑った。
「お、お姉ちゃんが、すごくて……」
「い、一体屋敷で何が? 昨晩は食事会の予定でしたよね?」
一体どう凄いのか。
俺は思わず唾をゴクリと飲み込んでしまう。
「しょ、食事会もありました……。でも、料理が出来上がるまで、私は……。私はお姉ちゃんの着せ替え人形に……」
曰く、料理が出来上がるまでの一時間、ユナさんはずっとダイア様と使用人達によって着せ替え人形にされてしまっていたという。
現在は麗らかな春の陽気が感じられる毎日を過ごしていることもあって、着せ替えも春物の服から始まり、次のシーズンである夏物まで何着も試着するはめになったという。
「な、何着も試着して、お姉ちゃんの目に適った服が選ばれました」
着替えた回数は五十を超え、選ばれたのは夏物も含めて十五着。
その後、ようやく料理が完成して解放されたようだが――
「そ、その後は一緒にお風呂まで入らされて、私が限界を迎えて寝落ちするまで話に付き合わされて……」
最後は気絶するように寝落ちしたらしく、あまり覚えていないらしい。
ただ、最初の方の内容は「あの騎士はどんな人?」というものだったらしい。
「じ、自分のことですか?」
「は、はい。どんな人なのか? とか。普段は塔でどう過ごしているの? とか」
ゾッとした。
まさか、処刑するか否かを判断するために情報収集しているのではないだろうか?
「い、良い人ですって言ったら安心していましたよ」
「そ、そうでしたか」
生きた心地がしない瞬間だったな。
怖すぎる。
他にも内容はユナさんの私生活について聞かれたようだが。
「終始、お姉ちゃんが一人で盛り上がっていました」
しかし、話を聞く限り、ダイア様はユナさんとは正反対な性格の方みたいだ。
私生活を気にしたり、ユナさんの服を見繕ったり、身内には世話を焼きたがるタイプなのかもしれない。
「もしかして、この鞄の中身って」
「お姉ちゃんが選んだ服です……」
外出用から塔で着る物まで、全てが鞄の中に詰まっているという。
なるほど、だからずっしりしているのか。
「今着ている服も?」
本日、ユナさんが着用しているのは丈の長い縦セーターとロングスカートである。
上半身は体のラインがくっきり出つつも、下はふわっとした緩やかな感じ。
お清楚なイメージと若干ながらセクシーな感じが混在する、妙に目を奪われてしまうバランス感だ。
「そ、そうです……。へ、変ですよね?」
「いいえ。すごく似合っていますよ」
「そ、そうですか……」
正直な感想を返すと、ユナさんのツンとした耳の先が赤くなった。
「しかし、大丈夫ですか? 本日は検討会ですが」
「だ、大丈夫です」
本当に大丈夫だろうか?
検討会が始まる午後まではゆっくりしてもらった方が良さそうだ。
◇ ◇
午後になり、遂に俺達は検討会へと向かうことに。
「ユナさん、忘れ物はありませんか?」
「は、はい。大丈夫です」
午前中に仮眠したユナさんも体調万全。
いざ、王都研究所へ!
内心でムンと気合を入れた俺は塔の扉を開け、施錠してからユナさんと共に歩き出す。
王都研究所は王城の建つ丘の下、北区の西側にある。
貴族達の屋敷が並ぶエリアからメインストリートを挟んだ反対側にあって、研究所の手前には貴族の子らが通う学園が存在する。
学園の横にある道を通って行くと奥に聳え立つ研究所の建物が見えてきた。
外観は手前にある王立学園と少し似ている。
四階建ての大きな建物『本館』がズドンと立ち、その横には実験棟と呼ばれる建物も。
こちらには室内に設置された第一試験場があったり、少々危険な実験を行うための設備が整った建物らしい。
「研究所に入るのは初めてです」
どちらの建物も外からは見たことがある。
しかし、足を踏み入れるのは初めてだ。
「け、検討会は本館二階にある会議室で行われます」
案内しますね、とユナさんが半歩先に歩き出す。
彼女に案内されるというのは、少々違和感を感じてしまった。
「おー」
本館の中に足を踏み入れると、最初に感じたのは「綺麗だな」といった感想。
エントランスは白を基調に固められており、雰囲気は実に現代的だ。
昔から続く伝統的な様式や芸術的な雰囲気を感じられる王都演劇場などと違い、最新式のランプや備品が完備された施設と言えるだろう。
まぁ、王国の最新技術が生まれる場所なのだから当然とも言えるかもしれないが。
「……あんまり人はいませんね」
エントランスにある大きな階段を登りながらも呟くと、隣にいたユナさんが大きく頷いた。
「み、皆さん研究室にいるのでしょうね」
今は日中だし、それもそうか。
ただ、それでも廊下を歩く数人の人間とすれ違うことができた。
一人は槌を片手にインゴットを脇に抱えたドワーフ。
こちらは王宮鍛冶師だろう。
もう一人は謎の植物とビーカーを持った、メガネを掛けたヒューマン。
こちらは錬金術師だと思われる。
この二人は実に社交的であり、ユナさんと俺に会釈を返してくれた。
問題は最後にすれ違った人間だ。
白衣を着た中年の男性はユナさんを目撃するなり目つきが鋭くなり、すれ違い様に「フン」と鼻を鳴らす始末。
……たぶん、あれは貴族の研究者だな。
あんな人間が勢揃いした中でユナさんはプレゼンせねばならないのか。
罵詈雑言やらセクハラめいた言葉が盛りだくさんだったらどうしよう。
俺は相手を殴ってしまうかもしれない。
ユナさんのためにも、それだけは絶対に自制せねばならないが……。
いや、そういった連中は特徴と名前を憶えて殿下に報告するべきか。
例の事件に繋がる人物かもしれないし。
とにかく、俺も冷静に対処せねば。
「ニ、ニールさん、着きましたよ?」
「おっと、失礼」
そんなことを考えていたら目的地に到着。
入室する前に服装を正すユナさんに倣い、俺も制服の襟を触って確かめた。
「よろしいですか?」
「は、はい」
ユナさんの頷きを見てから、俺は会議室の扉をノックする。
中から中年の声が聞こえてきた後、扉を開けてユナさんを迎え入れた。
「と、特別開発室のユナ・ケベックです。ほ、本日はよろしくお願いします」
入室したユナさんは自己紹介をしながらペコリと頭を下げる。
「ああ、まだ所長が来ておらん。座って待ってくれ」
返事を返したのはカイゼル髭を生やし、髪をオールバックに整えた厳つい中年。
部屋の中を見回すと、彼の他に三人ほどの男性が座っているのだが……。
どいつもこいつも目つきが鋭い。
ユナさんを威嚇するような目つきだ。
「し、失礼します」
「…………」
ユナさんが着席するも、世間話は一切無し。
連中は口を閉ざしたまま、鋭い目つきのままで彼女を見やる。
部屋の中に漂う雰囲気は最悪も最悪。魔獣のねぐらに迷い込んだ時のような、ヒヤリとした緊張感が蔓延している。
ただ、俺は見逃さない。
鋭い目つきを見せる中年親父達がチラリと向けるのは、ユナさんの大きな胸であることを。
特に今日は縦セーターのおかげで形がくっきりしているのだ。
これに抗える男はこの世にいない。
それは敵対的な姿勢を見せる彼らも例外ではないのだ。
そんな様子が同じ男である俺には少し面白かった。
――緊張感漂う中、廊下から足音が聞こえてくる。
足音は会議室の扉前で止まり、ガチャリと音を立てて扉が開いた。
遂に王立研究所のトップ、研究所所長が姿を現すか。
「お待たせした」
所長の正体は六十歳くらいの男性。
機嫌の悪そうな顔にたっぷりと髭を蓄え、長い髪を後ろで結んでいた。
そして、やや広い額と頬に火傷の跡がある。
……正直、その顔と雰囲気から感じられる威圧感はこの場にいる誰よりも強い。
修羅場を潜り抜けてきたベテラン騎士のような、そんな雰囲気に似ている。
「始めよう」
ユナさんと対峙するように座った彼は、検討会の開始を口にした。




