対等な交渉は対等な関係でのみ成立する
「どうもどうも~、皆さんお元気でしたか~」
『オジサンだぁ!!』
『久しぶり~! 来るの遅いよ!!』
人の良さそうな若いノームの商人が朗らかに手を振り、幼いオークの子供たちが一斉に彼の元へと駆け寄っていく。
ノームの背後の馬車には荷台一杯に食料や薬品などが積まれていて、子供たちの中には興味津々でそちらに飛びつく者もいた。
『こら待て。勝手に手を付けるな』
『うひゃ!?』
大柄なオークの戦士が干し肉にかぶりつこうとした子供をヒョイと掴み上げて制止。荷の持ち主であるノームに頭を下げて謝罪した。
『すまぬな。子供たちもお前が来るのを待ちかねていて我慢がきかぬようだ』
「はっはっはっ、お気になさらず。──ほら坊や、前に話してた玩具だよ」
『わぁ! オジサン、ありがとう!!』
ノームは荷を子供たちのおいたを全く気にする風でもなく、荷台に積んでいた木彫り細工の玩具を渡す。オークの子供たちは初めて見るヒューマンの玩具に目を輝かせ、我先にと取り合い遊び始めた。
子供たちが楽しそうに広場に駆けていく姿を微笑ましく見送り、オークの戦士が改めて礼を言う。
『……いつも気を遣ってもらってすまんな』
「何、玩具ぐらい大した手間ではありませんよ」
『それもあるが、いつもこんな山奥まで……手間をかける』
ここは連邦の人里離れた山奥にあるオークの隠れ里。
オークはれっきとした人類の仲間ではあるものの、人類の約九割を占めるヒューマンとはあまり折り合いが良くなく、その多くはこうして人目を避けて隠棲していた。彼らは狩猟などによって日々の糧を得ているが、それだけでは栄養が偏るし薬品や衣料品など不足する物も出てくる。その為オーク──いや、多くの亜人たちにとって、そうした生活物資の入手は悩みの種となっていた。
このノームの商人は三か月ほど前にオークの集落を訪れ、交易を申し出てきた変わり者だ。
集落の場所を知られ緊張するオークたちに対し、ノームの商人は馬車一杯に積んだ生活物資を見せ、
『これはお近づきの印として皆さんに無償でお譲りします。また半月後に同じだけの量を持って来ますので、その時はこの辺りでとれる薬草や毛皮と交換していただけませんか?』
そう言って、ノームの商人は希望する物品の種類と量を書いた紙と共に物資をオークたちに渡し、ろくに返事も待つことなく帰って行った。
オークたちは毒を警戒して当初その食料には手を付けずにいたが、一人の手癖の悪い若者がコッソリ盗み食いし、問題がないことを確認する。その後皆で初めて食べたヒューマンたちの食料は目が飛び出るほどに美味しかった。
それでもオークたちはすぐにノームの言葉を信じたわけではない。本当にまた来るとは思っておらず、からかわれているのだと考えていた。
だが半月後、約束通りノームの商人は馬車一杯の荷物と共に現れる。
オークたちはノームの商人から依頼されていた品を用意していなかったが、商人は怒ることなく再び無償で荷を置いて行こうとした。オークの長はこれ以上一方的な施しは受けられないと固辞しようとしたが、ヒューマンの食料の味を知った若いオークたちがそれに反対。揉めに揉めた結果、交換する品を準備する間、商人には集落に滞在してもらうこととなった。
滞在期間は二泊三日。その短い時間で、人畜無害を絵にかいたようなノームの青年はあっという間にオークたちの懐に入り込んだ。
そしてそれから彼は半月ペースで定期的にこの集落を訪れるようになり、今では集落の全員が彼の訪問を心待ちにするようになっていた。
良好な関係を構築していた両者ではあったが、オークの戦士には一つ気がかりがあった。
『しかしいいのか? こんなに大量の物資を……これではほとんど儲けなどないだろう?』
それは交易の内容がオークたちに極めて有利であること。オークたちはこの地方でとれるサーベルタイガーなど猛獣の毛皮や薬草など希少な品を提供してはいるが、それも全体として見れば大した量ではない。オーク側に有利過ぎて不公平とまでは言わないが、移送の手間を考えればノームの商人に利益はほとんど出ていないだろうし、下手をすれば赤字かもしれない。
「損はしていませんよ」
朗らかに笑いながらも利益がないことは否定しないノームの商人。
一方の善意や厚意に寄りかかった関係は長続きしない。ノームの商人との取引に感謝し、商人本人にも好感を持っていたからこそ、オークの戦士はこの関係性に危機感を抱くようになっていた。
今の関係はノームの商人のほんの気まぐれで断ち切られてしまう。いや、彼がそんないい加減な男でないことは既に理解しているが、しかし何が問題が起きれば真っ先に切り捨てられてしまうことは間違いない。
いつしかオークたちは、このノームの商人に何かを返したいと考えるようになっていた。
『しかし……』
「お気になさらず。これは私の趣味のようなものですから」
──趣味では困るのだ。
その言葉を辛うじてオークの戦士は呑み込む。
そんなオーク側の苦悩を見透かしたように、ノームの商人は苦笑して付け加えた。
「もし皆さんがお気になさっているようでしたら、一つお願いしたいことが──」
『おお! 何でも言ってくれ!』
遮り、力強く胸を叩くオークの戦士に、ノームの商人は内心『掲示板だったらカモにされてるぞ』と苦笑し、そのことをおくびにも出さず続けた。
「ありがとうございます。それでは、以前お願いしたダヌザ様へのお目通りについて、ご一考願えますでしょうか?」
『それは──』
その申し出にオークの戦士は目を丸くし、一瞬戸惑うようなそぶりを見せたが、直ぐに気を取り直し力強く頷いた。
『……分かった。本来、ダヌザ様が外部の者とお会いすることはないのだが、お前であれば問題あるまい。私から長にお願いしてみよう』
「ありがとうございます」
人の良さそうなノームの商人の瞳が、一瞬ギラリと怪しい光を放った。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この世界において「人間」は大きく二種類に分けられる。
その九割以上を占める「ヒューマン」と、それ以外のエルフ、ドワーフ、獣人などの「亜人」。
『デモンズガーデン』の設定では元々、この世界には「人間」は「ヒューマン」しか存在しなかった。
しかし神代において、信仰する神の影響を受けて一部のヒューマンの肉体が変質。ベースとなったヒューマンとは異なる「亜人」が誕生した。
エルフやドワーフや精霊信仰に近しいプリミティブな神族の影響を受け、コボルトなどの獣人は獣の姿を持つ神族の影響を受けているとされている。
これは神代においては『種族』ではなく、信仰に伴う『神の恩寵』として位置づけられていたようで、当時は「亜人」という言葉さえ存在しなかった。
しかし神代の終わりに一神教の“神”が神々の大戦に勝利し、それ以外の神族が皆“悪魔”に堕とされて以降そのあり様は変化、亜人たちは“悪魔”の子と呼ばれ一神教において迫害の対象となった。
現在においても教国内で亜人は人として認められておらず、そのほとんどが帝国や連邦に居住しているのはその為だ。
それでもエルフやドワーフは見た目もヒューマンに近く、教国外では普通に暮らしていけるのだからまだマシな方。悲惨なのはオークやゴブリンといったヒューマンとかけ離れた見た目をしている者たちだ。
そもそも彼らは神代においてはヒューマンと大きくかけ離れた見た目をしていたわけではないらしい。彼らが今のような見た目になったのは一神教の“神”が勝利して以降のことだ。
神々の大戦において一神教を大いに苦しめたオークたちの神は、特に激しく一神教によって貶められ、その存在を零落した。その煽りを受けてオークたちも今のような醜悪な豚顔の鬼に変化してしまった、というのがゲーム内での設定だ。
そして『ダヌザ様』とはオークたちが今も信仰する多神教の神の主神であり、それを中心とした神群を指す言葉でもある。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「この度は異教の信徒である私に拝謁をお許しいただき、感謝いたします」
『よい。貴様には我が子らが世話になっていると聞く』
オーク族の隠れ里の最奥──洞穴の中に設えられた社の中に、“それ”はいた。
ノームの商人はその異形の姿に驚くことなく、恭しく片膝をついて頭を下げる。その左右にはノームの商人を案内してきたオークの長と戦士が同様の姿勢で顔を伏せていた。
小さな社の中央、座布団のような敷物の上にちょこんと座っていたそれは、見た目体長八〇センチメートルほどのカピバラのような姿をしていた。
『我が名は偉大なる父ダヌザの子が一人、ディアン。良くぞ参った、異教の司祭よ』
ディアンと名乗ったカピバラ──いや、神の声は肉声ではなく、頭の中に直接響いてきた。それだけでも目の前の存在が見た目通りの獣でないことが否応なく理解できる。
──さて、どうやって切り出そうか……
ノームの商人が事前に想定していた会話パターンからどれを選ぼうか思考を巡らせていると、先にディアンの方から踏み込んできた。
『我が子らよ。我はこの者と内密の話がある。貴様らは席を外せ』
『はっ!? し、しかし──』
『二度は言わぬ』
『…………』
ディアンの有無を言わさぬ神威に気圧されてオークの長と戦士は渋々その場から立ち去る。いくらノームの商人を信用しているとはいえ、それと自分たちの神を二人きりにするのはまた話が別。しかし神には逆らえない──そんな苦悩が背中から滲んでいた。
オークたちが席を外し、完全にその気配が遠ざかった後、前置きも駆け引きもなく、いきなりディアンが本題に切り込んだ。
『さて、アルマスの信徒よ。此度の訪問の用件は、忌まわしき■■■■に対抗するための同盟の申し出か?』
「────」
いきなり自分が地母神アルマスの関係者であることを言い当てられ、ノームの商人は目を丸くする。
その様子にディアンは心なし得意げに続けた。
『ふん……その身から漂う女神の気配は隠しきれるものではないわ。女神本人と契約を結んでいるわけではないようだが……』
「ご賢察の通りです。私は女神の分霊たる精霊と契約を結んでおります」
ノームの商人がそういうと、その横に鹿の姿をした土精霊がスッと姿を現す。ディアンはそれを一瞥し、
『──脆弱だな』
その精霊の力を鼻で笑う。
ノームの商人はそのことに怒るでもなく、内心で『こいつはカモだな』と嘲笑し、穏やかに微笑んで見せた。
「おっしゃる通りです。しかしそれはかの一神教の勢力の前では皆同じではありませんか?」
『…………』
僅かばかり不愉快そうな空気を滲ませるも、ディアンはそれを否定しない。
「御身の口から真っ先に“同盟”という言葉が出たのも、そのことを感じておられるからでしょう」
『……人間ごときが偉そうに』
「これは失礼いたしました」
ノームの商人はあっさりと頭を下げて謝罪する。ディアンはその態度に自分がムキになっているのが馬鹿馬鹿しくなったのか溜め息を吐いて続けた。
『……まあ良い。それで、具体的に貴様は我らに何を望む?』
「有事における共闘の誓いを」
『……共闘と言えば聞こえは良いが、彼奴等が侵攻してきた際、真っ先に狙われるのは我らではなく貴様らであろう。助けてくれ、の間違いではないか?』
「否定はしません」
ディアンの侮蔑的な言葉をノームの商人はサラリと流す。
「その対価という訳ではありませんが、我らは皆さまに生活の糧と侵略者に立ち向かうための武器を提供いたしましょう」
『……善意を装って我が子らに蜜の味を覚えさせ、鞭ではなく飴で囲いこむつもりか』
「いかように解釈いただいても結構です。悪意をもった目で見れば、何事もそのように見えてくるものですから。この際問題なのは与える側の意図ではなく、それが皆様にとって有益か否かではありませんか?」
『…………』
ディアンはノームの商人の本音を引き出そうと敢えて挑発的な言葉を吐いていたが、どうやらそれは難しそうだと沈黙する。
駆け引きめいたやり取りをしてはみたが、実際問題ディアンやオークは申し出を断れるほど余裕のある状況になかった。最近の一神教の伸長は無視できないものであったし、可能かどうかは別にして他勢力と同盟も当然に考えていた。また戦略的な意図を無視しても、生活水準の向上のため彼らとの交易は継続したい。
強いて問題を挙げるとするなら、あちら側の戦いに巻き込まれないか、そしてどこまで彼らが信用できるかということだが……
『……まあ良い。では具体的な契約内容だが──』
「それに関しては御身に誓いを立てて頂く必要はございません」
ディアンが申し出た“契約”を、ノームの商人は固辞した。
「御身はただオークの皆様に私どもと同盟を結ぶことを宣言してくだされば結構です。細々した内容はオークの皆様と直接調整致しますので」
ディアンはその申し出の意図を吟味する。
細かい取引内容は実際に物資を必要としているオークに委ねた方が合理的だしディアンとしても楽でいいのは確かだ。契約で互いを縛らないということは、その気になればいつでも取引を反故にできるということでもあるが、この場合オーク側への支援が共闘よりも先に発生するため、反故にされた場合のリスクはオーク側にはない。
『……良いのか? それでは我らは何時でも貴様らを裏切れることになるが?』
「ははは。私が御身と契約したところで、御身がその気になれば破棄することは難しくはないでしょう?」
ノームの商人の言葉は事実だった。
魔術契約は神であれ決して無視できない強制力を持つが、それはあくまで互いの力が近しいことが前提となっている。人間社会でも法的契約が権力や暴力で覆されることがあるように、両者の間に圧倒的な力の差があれば契約を一方的に破棄することは難しくない。
無論、相応にリスクはあるが、ディアンと目の前のノームとであれば、契約を破棄したところで精々力の二割を一時的に損なう程度で済むだろう。
全く無視できるほどではないが、いざとなれば痛み覚悟で踏み倒せる──神と人間との契約とは概ねそうしたものだ。
とは言え契約そのものは結んでもノームの商人に損はない筈だが──
「私どもはいざという時にオークの皆様に仲間として共に戦っていただけるよう、日頃からしっかりと関係を深めるよう努めることといたします。契約などで縛るより、そちらの方がよほど健全でしょう?」
『……あ──』
『ああ』と頷こうとし、そこでディアンはノームの商人の狙いに気づく。
もしここでディアンが目の前のノームと契約を結んだとすれば、契約破棄のリスクを負うのはディアンとノームだ。オークたちはノームとの関係に慎重になり、過度に関りを深めることを躊躇うかもしれない。
だが契約が存在しなければ、オークたちは遠慮なくノームの支援を受け入れる。そして単純な彼らはノームに感謝し、そこから得られる食料や利益を惜しんで積極的にノームに味方するようになるだろう。
更に言えば、契約が無いということはノーム側もいつでも支援を打ち切れるということだ。すぐに一神教の天使たちと戦う機会が訪れる可能性は低い。一方的な支援を不安に思ったオークたちが、戦い以外の面でもノーム側にすり寄っていくだろうことは想像に難くない。
そうなれば契約などなくとも、オークもディアンもこのノームの商人の蜘蛛の糸に絡めとられたようなもの。裏切るどころかいいように支配されかねない。
──だが、それに気づいたところで……
向こうが契約不要と言っているのにこちらから契約を強行するのは理屈に合わないし、オークたちに『いずれ自分たちの方から裏切る可能性があるからノームと親しくし過ぎるな』と言うのも筋が通らない。
このままでは絡めとられ取り込まれるリスクがあると理解している。
だが理解していても、苦境に立たされている自分たちは申し出を拒否するという選択肢を選べそうになかった。
──まあいい。この様子なら、我らに一方的に不利な条件を押し付けてくるほど愚かではあるまいよ……
ディアンはそう自分に言い聞かせた。
「……何か?」
突然黙り込んでしまったディアンにノームの商人は不思議そうに首を傾げる。
ディアンはそれに何でもないと答えようとし、ふと全く別の問いを口にしていた。
『いや。そう言えば、名を聞いていなかったと思っただけだ』
「……ああ。これは失礼しました」
オークたちから既に伝わっているだろうからと名乗りを忘れていた自分に苦笑し、彼はその名を告げた。
「私が所属する組織の名は輪廻保護機構アークス。私は仲間たちからは『地面師』と呼ばれております」




