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私の最愛の婚約者を奪った義姉の末路

「なにを睨んでいるの? はやくなさい」


 言葉とともに飛んでくるのは平手打ち。それだけならいいけれど、腕や足を拳で殴られたりムチ打たれたりする。


 なにも言い返せず、なにも出来ず、ただなすがまま。なされるがままになるしかない。


 右頬のつぎは左頬。


 最近では、人目に触れるところでも平気でぶたれてしまう。跡が残っていようとかまわないらしい。


「いいわね? ちゃんとフォローするのよ。なにせわたしの素敵な婚約者が帰ってくるのだから」


 義姉のニヤニヤ笑いは止まりそうにない。


 そう。今日は特別な日。


 今日、婚約者がやって来るのだ。



 婚約者のチャーリー・オールストンは、王家が定めた婚約者である。


 オールストン公爵家は、代々宰相を務めるエリートの家系。侯爵家であるわがアンダーソン家とは、控えめにいっても仲がよくない。つまり、政敵である。


 が、今回だけは違う。


 亡くなったお母様が、コーニリアス王国の王子のひとりヘンリーと将来王子のご学友になるチャーリーの乳母を務めた。その縁で、王家にオールストン家とアンダーソン家の婚儀を命じられた。


 その命を受け、当時まだ幼かったチャーリーとわたしが婚約した。


 当時、わたしはそんな事情はわからなかった。


 そんなことは露知らず、王子とチャーリーとわたしとで、裸で走り回ったり取っ組み合いのケンカをしたりしていた。という黒歴史を刻んでいたらしい。


 もちろん、わたしは覚えていない。


 が、王子が人質同然で隣国へ留学することが決まった。それもまだ自国の言葉さえ書けない年齢で。チャーリーは、学友としてついて行くことになった。


 そのとき、ふたりの間で約束を交わした。


『大人になってぼくが迎えに行くまで、手紙を送り合おう』

 

 てっきり冗談だと思った。まだ字を書けない年齢である。当然、社交辞令という言葉も知らない。


(彼は、冗談か調子のいいことを言っている)


 子ども心にそう思っていた。


 が、チャーリーは本気だった。


 最初は絵だった。彼自身が見たもの、好きな食べ物、王子や隣国の王子たちの似顔絵等々。


 だから、わたしも彼に絵を送った。


 残念ながら、わたしは絵の才能がなかった。彼がとても上手なのにたいして、わたしの絵は子どものレベルにしても悲惨すぎた。


 絵がダメならと、字を覚えた。絵が描けないから、せめてはやく字を覚えて言葉で伝えたかった。


 文通はずっと続いた。当時はいっときのことで、ふたりともすぐに飽きてしまうと思っていたのに、つい最近まで続いたのである。


 文通では、おたがいの近況を伝えあったり、好きなことや苦手なこと、夢や希望や将来のこと、ほんとうにたくさんのことを綴り合った。それこそ、おたがいのことを知り尽くすほど。


 その間、様々なことがあった。


 お母様が亡くなったこと。お母様が亡くなるずっと前から、お父様の愛人とその娘が屋敷に乗り込んできて居座ったこと。お母様が亡くなったと同時に、愛人が義母にその娘が義姉になったこと。その後、お父様と義母と義姉に虐げられたこと。


 これらのことは、書くことが出来なかった。


 彼に心配をかけたくない。


 その思いがあるから。




 月日が流れても、文通だけはかわらなかった。


 幼い頃に別れて以降、チャーリーには一度も会ったことがない。だけど彼が優秀だという噂は、隣国やこのコーニリアス王国だけでなく諸国に知れ渡っている。幼い頃にいっしょにすごしたチャーリーと王子は、だれもが称讃する優秀な主従として有名になっていた。


 それなのに、チャーリーの手紙はいつも謙虚だった。


 そしてついに、チャーリーと王子が帰ってくることになった。


 彼らが帰ってくるのである。




「わたしがリオよ。わたしがリオになって結婚するわ。そうなる運命なんですもの」


 彼が帰って来る二日前、義姉がそんなことを言いだした。


 わかっていた。なんなくだけど、そう言い出すと思っていた。


 義母と義姉は、控えめにいっても男性のことが大好きである。昼夜を問わず、ふたりしてサロンや夜会に出ては男性と仲良くしている。貴族が相手だとすぐに噂になるので街で有力者や商人と遊ぶこともある。ときには、街の男性をひっかけたりもしているらしい。そういうことを、ふたりで自慢しあっているのを耳にしたことがある。


 義母は浮気をしている。しかも複数人の男性と。そして、義姉は同時に何人もの男性と付き合っている。その上で、さらに複数の男性と遊んでいる。


 もっとも、お父様も浮気をしているのだけど。


 それはともかく、噂に名高い男性がやって来るのだから、男性好きの義姉が知らん顔をするわけはない。


「ですが、すぐにバレてしまいます」


 ポートレートを交換したり送ったりしているわけではないので、最近のおたがいの容姿はわからない。だけど、手紙で散々やり取りをしている。おたがいの雰囲気というか人となりは分かる。


 義姉とわたしは正反対。すべてが対照的。


 会話を交わせば、バレるのも時間の問題。


「バレるものですか。向こうだってあんたを見ればがっかりするわ。大丈夫。わたしは慣れているの。うまく向こうにあわせるから」


 義姉は、どういう根拠からかはわからないけど自信満々である。


 再度止めようとしたけれど、口を開く前に平手打ちをされてしまった。


 だから、なにも言えなかった。


 チャーリーをだますことになる。


 そのことが気がかりでよく眠れなかった。


 そして、ついに彼がやって来た。


 自分の屋敷に戻る前に、わざわざ立ち寄ってくれたのだ。


『彼の目に触れるな』


 お父様と義姉にきつく言われている。


 だけど、一目だけでも見たい。


 二十年近く文通を続けた相手である。せめて遠くからでもその元気で立派になった姿を見たかった。


 結局、玄関が見渡せる木の陰に隠れてそっと様子をうかがうことにした。


 チャーリーは、約束の刻限にやって来た。


 派手ではないけれど重厚感の漂う馬車から降りてきた彼を、ドキドキしながら見守った。


「チャーリー? チャーリーよね?」


 義姉の男性に媚びを売るときの艶っぽい声が流れてくる。

 彼女は、問いかけが終る前にその人に抱きついていた。


 正直、ひいてしまった。


 わたしなら、ぜったいに、ぜったいに、ぜったいにあんな礼儀知らずなことは出来ない。はしたない、というより礼儀もなにもない「人としてどうなの?」と問いたくなるようなことは、ぜったいに出来ない。


「え、ええ、ええ。ぼくがチャーリーです」


 戸惑った声。その声は、男性にしてはソプラノすぎる。


「えっ、あなたがチャーリー? なんだか、思っていたのと違うわね」


 義姉が抱擁を解き、一歩下がって言った声はトーンがかなり下がっていた。


(彼がチャーリー? とても可愛い)


 失礼だけど、想像していた彼よりずっと可愛い。


 恰幅がいい? ぽっちゃり? とにかく、まんまるで可愛いのである。


 すぐに思い浮かんだのは、図書館から借りる書物に出てくる「白豚王子」や「白豚子息」だった。


「ほんとうに? ほんとうにチャーリー?」


 義姉の声は、さらにトーンが落ちている。


 そうとうな美貌やカッコいい好きの彼女である。ぽっちゃり系やどっしり系は苦手なはず。


「ええ、そうです。そういうあなたはリオですか?」

「……。ええ、そうかしらね?」


 義姉は、すっかり不機嫌になっている。


「とにかく、どうぞ」


 お父様が慌てて中に招じ入れた。


 そのとき、馬車からもうひとり降りてきた。


 その瞬間、周囲が明るくなった。という表現をしたくなるほど美貌の青年が、馬車から降り立ったのだ。


「あら、いい男」


 義姉のテンションが上がるのもムリはない。


 とりあえず、一行は屋敷内に入った。


 お父様と義母と義姉は、わたしをこき使うことを生きがいにしている。ひとつは、メイドの数を減らせるからということもある。


 居間にお茶を運んだ。


 このときばかりは、近づかざるを得ない。


 着古してしまっているメイド用の服装で、出来るだけ顔を見られないよう俯いたままでお茶をセッティングし、居間をあとにした。


 義姉は、チャーリーの執事らしい美貌の青年にばかり話しかけていた。


 その艶めかしい声は、あきらかに青年に媚びを売っている。


 義姉のことである。公爵子息であるチャーリーの妻になれば、何不自由なく暮らせる。いまもたいてい贅沢に暮らしているが、贅沢をしすぎていて破産しかけているというのが現状。だからこそ、義母はつぎの裕福な相手を捜しているし、義姉は贅沢し続けられる結婚相手を捜している。


 宰相の座も継ぐであろうチャーリーならうってつけ。彼と結婚し、美貌の執事とも……。


 彼女の考えそうなことである。


 心の中で溜息をついてしまった。


 チャーリーが気の毒すぎる。


 やさしくて気遣い抜群で思いやりのある彼が、気の毒でならない。手紙でも、いつもわたしのことを心配し、気遣ってくれていた。


 そんな彼をだましている。


 たまらない気持ちになるとともに、いますぐにでも居間に戻って真実を告げたくなる。


 が、その勇気はない。


 お父様や義姉に折檻されることは言うまでもなく、チャーリーに嫌われることが怖くてならない。


 自分自身を責めつつ、その現実から逃避する為にバラの手入れをすることにした。


 お母様の唯一の形見となってしまった。ドレスや装飾品は、すべて義母と義姉に奪われるか売られてしまったから。


 お母様が手塩にかけて育てていたこのバラたちも、近い将来めちゃくちゃにされるかもしれない。あるいは、売られてしまうかも。


 バラは、というより植物は敏感である。だから、頭と心から雑念を払って手入れに勤しんだ。


 義母と義姉は、バラの美しさや気高さがわからない。


 彼女たちにすれば、お金になるかならないかで価値が決まる。


 ただ咲いているだけのバラは、どれだけ美しく気高く癒してくれる存在であっても、彼女たちにすれば価値がまったくないのだ。


「きれいなバラですね」


 低いけれど澄んだ声音にハッとわれに返った。


 顔だけ後ろへ向けて視線を上に上げると、美貌の青年がこちらを見下ろしている。その瞳は、声同様澄んだ蒼色。しばしその瞳に見惚れてしまった。


 見惚れていると、彼はわたしの隣に両膝を折って目線を合わせてきた。


「お茶、とても美味かったです。いままでの中で一番美味かった。心がこもっていてね」


 美貌にやさしい笑みが浮かぶ。


 なにも言えなかった。ドキドキが止まらない。止まりそうにない。心臓は、いまにも口から心臓が飛び出してしまいそうなほど胸の中で飛び跳ねている。


「チャーリーに任せてきました。『あとは当事者同士仲良くすればいい』と言ってね」


 なにも言えないでいると、彼のやさしい笑みがいたずらっぽい笑みにかわった。


「きみ、もしかして殴られているのかい? 失礼」


 隠す暇はなかった。彼の右手がわたしのそれをつかんだ。という間もなく、彼の左手がわたしの右の袖をめくり上げ、右腕があらわになった。


 いろいろな跡が現れ、彼の美貌がけわしくなったのがわかった。


(ああ、不愉快な思いをさせてしまった)


 申し訳なさでいっぱいになる。


「顔も……」


 詫びる言葉さえも出てこない。彼は、そのわたしのパッとしない顔をのぞき込み、わたしの左頬を手でなぞった。


「すまない。つい……」


 穴があったらすぐにでも入りたい。忸怩たる思いの中、彼は手を放してさっと立ち上がった。


「レディ、会えてよかった」


 わたしも立ち上がると、彼の美貌にやさしい笑みが戻ってきた。


「ああ、ほんとうにきれいなバラだ。そして、きみも……」


 彼はそう言いかけ、背を向けた。


 去っていく彼の背を見つつ、あることを確信した。


 

 チャーリーと彼の名も知らぬ執事の青年は、毎日のように義姉に会いに来た。


 が、義姉は美貌の青年にベタベタくっつき、チャーリーとまともに接することはない。


 あるとき、チャーリーがバラ園にやって来た。


「なんてきれいなバラだ。手紙から想像していた通りの美しさと気高さだ」


 ぽっちゃりした体を揺らしながら、彼は一輪一輪愛でている。


(なんて可愛らしいのかしら)


 その様子は、わたしにとって癒しでしかない。心からほっこりした。


「先程の料理はきみが?」


 ランチにシチューとサラダとミートパイと焼き立てのパンを出した。


 お父様は、賃金を支払いたくないからと料理人まで解雇してしまった。


「は、はい。とてもお出しするようなものではないのですが……」

「いやいや。いつもとても美味いよ。じつは、ここに来る最大の目的はきみの料理なんだ。彼女に会う為ではなく、ね。どうやら、ぼくは彼女に嫌われているらしい。彼女は、ぼくではなくぼくの執事に興味があるようだから。でも、やけ食いってわけではない。ほんとうに美味い。なにより、心がこもっている。祖国に戻ってきたと実感出来る。だから、ついつい食いすぎてしまってこんなになってしまった」


 チャーリーはその場でクルクルとまわった。


 そのおどけた様子がまた可愛すぎて笑ってしまった。


「その笑顔、最高だね」


 彼がおべんちゃらを言ったときである。


「チャーリー、逃げないでくれ。おれを彼女とふたりきりにして、ひどすぎるぞ」


 彼の執事がプリプリしながらやって来た。


「おおっと、すまない。きみがこの前話してくれたバラを見たくなったんだ。リオの手紙にもあったしね」


 チャーリーと彼の執事とわたしとで、しばらくバラの話で盛り上がった。


 途中、ふたりはなにか言いたそうにしている気がした。バラのこと以外に、である。


 が、それも義姉の呼ぶ声で尋ねることが出来なかった。


 それよりも、なにか無性に懐かしい気もした。




 何度か外出する機会があった。


 チャーリーと義姉が、である。その際、執事の青年がわたしを屋敷から連れだしてくれた。


 彼は、チャーリーの執事だけでなく護衛の役割も担っているとか。


 執事の青年は、お父様とお母様に「チャーリーと義姉を護衛するカモフラージュにカップルを装いたいので、わたしを連れて行きたい」と適当にいい繕ってくれた。


 わたしがもっているまだマシなドレスでも、控えめにいっても着古してしまっていてみっともない。そんな恰好のわたしを連れていれば、彼に迷惑がかかる。だから、何度も断った。が、彼は無頓着だった。


 そうして、チャーリーと義姉から距離を置きつつ、外出を楽しんだ。


 訂正。楽しむのと緊張のひとときをすごした。


 彼が美しすぎ、キラキラしすぎていて目立ってしまう。老若男女問わず注目するので、恥ずかしくてならない。


 人々は、彼を称讃する。一方で、くっついて歩いているわたしを非難する。


 想像すると、ますます彼に申し訳なくなる。


 それでも、チャーリーと義姉がカフェや劇場を訪れたり、ショッピングをするのを遠くから見つつ同じ体験をした。


 緊張はするけれど、けっして居心地は悪くない。


 いままでにない経験。いままで抱いたことのない感情や思い。


 しあわせだった。ときが止まって欲しい。


 分不相応な願いを抱きさえした。


 彼とは、名前も教え合っていない間柄である。しかし、そもそも名を呼び合う必要などない。


 名も知らない彼は、わたしを傷つけない為かいつもやさしくやわらかい笑みをその美貌に浮かべ、つねに気を遣ってくれる。


 一方、遠くから見る義姉は、つねに面白くなさそうだった。不満気で怒っているようだった。


 そして、チャーリーはいつも悲しそうだった。傷ついているようだった。



 ある晴れた日、いつものようにやって来たチャーリーと執事の青年は、タキシード姿だった。


(プロポーズ?)


 すぐにピンときた。


 この日、公式にも非公式にもタキシード姿で出かけるような催し物はない。もしもそうなら、義姉にもドレスアップするよう伝えているはず。


 プロポーズをしに来たとしか考えようがない。



 いつものように、お父様と義母に無理矢理出迎えさせられる義姉。


 彼女もまた、二階の窓から馬車を降りる彼らを見て察している。


 結婚となると、あきらかに自由を奪われる。爵位や地位や将来性を差し引いても、不自由さと相手の容姿がネックになる。


(義姉は断るのかしら? だとしたら、王家の命に背くことになる。なにより、一生懸命なチャーリーが気の毒すぎる)


 義姉がチャーリーを嫌っているように、チャーリーもまた義姉を嫌っている。というより、チャーリーは義姉を嫌っているというより苦手なのだ。


 彼は、誠心誠意義姉に尽くした。苦手は苦手なりに、歩み寄り苦手意識を克服しようとがんばっていた。


 その結果がプロポーズである。


 義姉は、そんな彼の努力や誠意を簡単に踏みにじってしまうのかしら。


 それとも、爵位と地位と将来性を優先し、あとのことには目を瞑るのかしら。


 義母がそうであるように、義姉もかなり要領がいい。浮気や火遊びをすればいいだけのこと。うわべだけの夫婦生活を送ればいいだけのこと。


 実際、彼女はチャーリーの前で執事の青年に平気で色目を使っているし。


 もろもろのことを考えながらお茶を淹れるものだから、二度も失敗してしまった。


 三度目になんとかお茶を淹れ、居間に持って行った。


「お断りよ。生理的にムリ。寝台の上でブヨブヨとした体とわたしの素敵な体を重ねるところなんて、とてもではないけれど想像が出来ない。ぜったいにムリ。痩せてから出直してちょうだい。あるいは、金貨を積むかね」


 チャーリーは、すでにプロポーズをしていた。


 お茶をテーブル上に置いている最中、義姉はじつに独創的な断り方をした。


 あまりにもひどいその拒否に、腹が立った。


 自分のことではいつも諦めているので腹が立たないのに、チャーリーのことはムカついた。


 そう。ムカついたという表現がピッタリなほど、義姉にたいして腹が立った。


 厚化粧のお蔭で美しい義姉の顔を、ぶん殴ってやりたい衝動に駆られた。


 このままではほんとうに義姉をぶん殴ってしまうかなじりそうなので、急いで居間を出ていこうとした。


 が、扉近くに立っている執事の青年が留まるよう目顔で合図を送ってきた。


 だから、彼の隣に立った。


「そうですか。あなたは、ぼくチャーリー・オールストンのプロポーズを断るのですね? ほんとうのほんとうにいいのですね? 名や家柄を抜きにして、ぼく自身のプロポーズを断るのですね?」


 チャーリーは何度も念を押した。しかも、奇妙な確認の仕方までしている。


「しつこい男ね。ブヨブヨはお断りよ。やはり、男は見た目よ。もちろん金貨もだけど。あなたは、見た目が悪いばかりか公爵子息のくせにケチくさいでしょう。もっとこう散財しないと。財産、減らないわよ」


 義姉は、平気で問題発言をする。


 ケラケラと笑う彼女は、もとからバカなのだ。いろいろな意味で。


「いまのをきいたか? プロポーズを断られたぞ。ぼくもだがきみもな、チャーリー・オールストン」


 チャーリーのプヨプヨした頬にニンマリと笑みが浮かんだ。


 彼がそう声をかけたのは、わたしの隣に立っている執事の青年である。


「ええ、殿下。たしかにききました」


 隣で即座に返答したのは、執事の青年である。


「では、つぎはきみの番だ。チャーリー、きみのね。言っておくが、この貸しは大きいぞ。なにせぼくは人として全否定され、大恥をかかされたからね。偽者のリオ嬢にね」


 いままでチャーリーだった彼は、プヨプヨした手で義姉を示した。


「ええ、殿下。承知しています。この借りは、一生かかってでも返しますよ。おれはこの先ずっと、王太子殿下、いずれ国王になるあなたの使い走りをいたします」

「きみを顎でこき使えることが楽しみでならないよ、チャーリー。おっと、すまない。はやくきみの用事をすませてくれ」


 お父様と義母と義姉は、なにがなにやらわからずに呆然としている。


 そのような中、チャーリーがわたしの前に立って片膝をついた。


「きみも気づいていただろう? いまさら名乗る必要などないよね? リオ・アンダーソン、長い間待たせてすまなかった。約束通り、きみを迎えに来た。これからは、ぜったいにきみをひとりにしない。きみに寂しい思いをさせない。きみを全力で守り、全身全霊をもって愛する。だから、どうか妻になって欲しい」


 そう。彼の言う通り、再会したときに気がついた。


 彼が本物のチャーリーであることに。それから、偽のチャーリーが王子であることに。


 だって、ふたりとも裸で走りまわったりケンカしたり笑い合った仲だから。


 わたしたち三人は、つねにいっしょだったから。


 わからないはずはない。気がつかないはずはない。


「リオ、すまなかった。きみのことをそこにいる名ばかりの家族の仕打ちから守れなかったことが、おれの人生最大の不覚だ。悔やんでも悔やみきれない」


 本物のチャーリーは言ってくれたけど、彼のせいではない。


 わたしが一番悪いのである。


 わたしがもっと毅然とした態度を取れば、あるいははやめにチャーリーや他のだれかに頼ればよかったのである。


「きみがおれに心配をさせない為に、手紙になにも記してくれなかったのは当たり前のことだった。きみの、いや、殿下とおれの母ともいえる夫人が亡くなったこと。そのあとのあそこにいる連中のきみへの仕打ち。こういうことは、きみの文面の微妙な変化で気付くべきだった」


 あとで知ったことだけど、お母様が亡くなった頃からわたしの文章に若干の変化が見られたらしい。いま彼が言ったのは、そのことである。


「いいえ、チャーリー。あなたのせいではありません」


 ようやく笑みを浮かべることが出来た。といっても、ひきつった笑みだったけど。


「チャーリー、ほんとうに? ほんとうにわたしでいいのですか?」


 確認せずにはいられない。


「『きみでいいのですか?』だって? いや、違う。きみでなければならない。きみ以外ありえない。ずっとずっと昔からね。そして、これから先もずっとずっと。きみしか愛したことはないし、きみしか愛せない。そして、これから先もきみ以外愛するつもりはない」

「チャーリー……。わたしも、わたしもあなたを愛しています。ずっとずっと愛しています。これから先もです。わたしも、あなたしかいません」


 そう必死で言葉を紡いだつもりだったけれど、こみ上げてくる感情でうまく伝えられたかどうか自信がない。


「リオ……。ありがとう」


 彼は、わたしの右手に口づけしてくれた。それから、立ち上がって抱きしめてくれた。


 その抱擁は、これまでのあらゆる寂しさや苦しさや悲しみや口惜しさを打ち消してくれるほど、あたたかくてやさしくてしあわせに満ちていた。


「さあ、行こう。父上や母上や兄弟姉妹たちが待っている。きみのあたらしい家族がね」


 彼の家族もまた、わたしのことを心配してくれていた。様子をうかがってもくれたらしいけれど、わたしの名ばかりの家族は巧妙に隠し通していたので確信にまではいたらなかったという。


 彼の家族も彼同様わたしを救い、守ることが出来なかったことを悔やんでいるらしい。


「というわけで、きみらはリオの家族ではなくなった。それから、きみらは然るべき機関に調査された後に処罰されるだろう。そうだ。リオの件や数々の余罪だけではない。ぼくへの名誉棄損も付け加えておかねば。ちなみに、きみは損をしたよ」


 王子は、義姉を見てニヤリと笑った。


「チャーリーとして、ぼく自身として二重にプロポーズしたんだがね。いずれも断ってさ。チャーリーはともかく、ぼくは来週王太子の座に就く。祖国に戻ることが出来たのは、その為さ。きみは、見てくれだけでぼくを評価した。残念ながら、きみは王太子妃、いや、王妃になりそこねたというわけだ。もっとも、きみみたいな性格ブスはこちらから願い下げだけどね」


 王子は、大笑いした。


「そ、そんな。殿下、先程のは間違いです。違うのです」


 そして、義姉はいまさらながら訂正している。


「もう遅い。本物のチャーリーも偽者のチャーリーも、きみのことは大っ嫌いだ」


 王子は、こちらに近づいてきた。


「リオ、チャーリー、おめでとう。残念だよ、リオ。きみがぼくの婚約者だったらよかったのに」

「殿下」


 笑ってしまった。


「その笑顔、最高だよ」


 まだ小さかった頃、彼はいつもそう言ってくれていた。それをいまだに覚えていたのが自分でも驚きである。


「リオ、ハグをしてもいい?」

「もちろんです、殿下」


 ハグしてもらう。彼もまた、やさしくてあたたかい。


「では、お暇するとしよう。ぼくが自由でいられるのも今日かぎり。いまから三人で街に繰り出し、祝杯をあげよう。それとも、宮殿の子ども部屋に行って真っ裸で走り回ろうか?」

「殿下」

「殿下」


 チャーリーとふたりで同時に言っていた。


 彼の顔もわたしの顔も真っ赤になっている。


「リオ」


 王子にかわり、チャーリーがふたたび抱きしめてくれた。


「たったいまからしあわせになろう。ゆくゆくは、きみとおれと子どもたちでね」

「チャーリー、気がはやすぎ……」


 最後まで言うことが出来なかった。


 彼に唇をふさがれてしまったから……。



                                                                                (了) 

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