(33)期間限定商品
十二月目前のこの時期、世の中はクリスマス商品で溢れ返る。ようやく「ブラックフライデー」が定着したかなと思ったら、次は「サイバーマンデー」――新しい用語がポコポコ生まれてくるが、はてさて次の時代にいくつ残るやら。
ほんの先週ぐらいまで、栗とか安納芋とか秋スィーツがコンビニを席巻していた。季節のスィーツ、大好物。昭和の時代だって、春には柏餅、秋には牡丹餅、十二月にはクリスマスケーキ……年中行事に応じたお菓子が揃っていた。
しかし、賞味期限が長いスナック菓子については事情が違っていて、カー●は三種類(うすあじ・チーズ・カレーがけ)あったが、ポッ●ーにアーモンドが参入したときは画期的だったし、ポテトチップスにコンソメ●ンチは鮮烈だった。まだまだ現在のような「期間限定」「地域限定」という概念はなく、多様化前夜の一億総中流時代――日本人は常に唯一の価値観を追い求めることで、自らのアイデンティティを維持していたのかもしれない。
――前置きが長くなってしまった。
幼児期を同一環境で育った兄弟姉妹という存在は、自分自身を映す鏡でもある。
数年前のこと、コンビニ族の私は新商品が出てみると試してみたくなる性質なので、ついつい「き●この山(さくら味)」を手に取ってしまった。自宅に帰って、二歳年下の妹と食べ始めた。
ひとつ味わっただけで、妹の手が止まった。
表情も微妙。――むしろ無表情に近い。
「美味しくないの?」
「姉さんも食べてみて」
――パク。
ひとつ食べて、私も無表情になった。
幼児体験というのは恐ろしい。姉妹揃って遠い目になるとは。
きの●の山(さくら味)は、絶対的に美味しかった。しかし、私たちの嗅覚が「サクラ香料」を受け付けなかった。幼児期に集落の診療所で出されていた小児用の風邪薬(シロップ薬)には二種類あって、オレンジ色とピンク色。さくら味を口にしたとき、私たちはあのピンク色がC9H6O2クマリンであったことを瞬時に理解してしまったのだ。
――以来、サクラ風味の強いものは避けるようになってしまった。傾向値がドンピシャリのものだけが苦手なだけなので、普通のサクラ味は美味しくいただいています。
――恐るべし、幼児体験。
実は、このような事例はほかにもあって。
遥か昭和時代の幼児期。
私が通園していた保育園には、当然ながらお昼寝の時間があった。当時から寝付きの悪い子どもだったので、お昼寝の時間はとても憂鬱だった。しかし、今回のテーマはここではない。
お昼寝から覚めると、「おやつ」の時間。
……実のところお昼寝以上に憂鬱だった。
摩耗が激しくて劣化したアルマイト製のお皿に、クッキー菓子が二本。それから、脱脂粉乳。
同じ世代でも別の地域のひとには驚かれるし、小学校では普通に瓶の牛乳だったので、本当に最後の脱脂粉乳世代かもしれない。終戦から続くカロリー不足の時代に栄養を摂取するには効率がよかったのだろうし、現在でもスキムミルクに似た製品として存続している。脱脂粉乳の名誉のために言及すると、当時の調理法にも問題があったと私は考えている。
ただでさえ白いドロドロの液体――ぶっちゃけ気持ち悪い。昭和の田舎では停電・断水が日常茶飯事だったから、撹拌機が使えないとさらに悲惨。調理人さんはせっせと手作業で混ぜてくれるのだけど、出来上がりは生ぬるいダマダマ。――保育園児にこれを飲み干せとは拷問か。
……そのような事情で、私はいまだに「温めた牛乳」が苦手である。ついでにいうと、一緒に出ていたクッキー菓子――美味しいはずのホワイトロ●ータも苦手である。
先日、例によってコンビニで「贅沢ル●ンド芳醇ミルク」を購入した。
ルンルン気分で濃厚ミルク風味を期待していたのに、――サクラ味を食べたときと同じ衝撃、再び。
……そう、タブーとなっていたホワイ●ロリータの成分を、私の嗅覚はン十年ぶりに察知してしまったのだ。
気にせず食べれば間違いなく美味しいのに、気にせずにはいられないという人間の習性。
――本当に恐るべし、幼児体験。