(17)頭痛
(2022/11/8)昭和の段落、頻度の情報を追記しました。
……いや、頭痛に昭和も令和もないので、単に、私の頭痛症状の変遷という一身上のトピックになる。
昭和時代――すなわち、ランドセル背負ってたころには、すでに頭痛持ちだった。
当時は「頭痛」には理解がない時代だったし、地方でのことだったし、つらくても我慢するか、せいぜいお布団の上で呻いているしかなかった。
なお、私の場合、「頭痛」と「気持ち悪い」はセットである。……まあ、自律神経がやられるから、そうなるか。――私だけではないかもしれない。
それにしても、昭和時代――とにかく若手の熱血教師が多かった。
放課後、全員を運動場に集めて、ソフトボールの練習をするという。それも、毎日。……勘弁して。
もともとインドアな性格だったのに、授業が終わってからまで拘束されるとかあり得ない。
付和雷同の日本人はそこで同調圧力に迎合してしまうのだが、なにしろ私は当時からこまっしゃくれた小学生だったもので、数日間だけは我慢したが、意を決して、担任に「もうソフトボールはやらない」と宣言した。
……すごく落ち込んでいたらしい。
今から思うと、きちんと理由を説明するべきだった。
――頭痛がつらいし、活動的な性格ではないので、課外学習はご容赦ください。
今なら言える。田●先生、ごめんなさい。
――この当時の頭痛は、とにかく頭が痛いのに発熱はなかった。いや、むしろ、頭が痛いときに限って、低体温だった。この状態は、成長してもしばらくは続いた。
平成に入ると、確実に頭痛は重くなった。お守りのように、鎮痛剤を持ち歩いていた。
そのころには「頭痛外来」がテレビでも紹介されるようになって、頭痛に対する世間の理解も深まってきていたように思う。
常備薬のバ●ァリンが効きにくくなってきたので、意を決して頭痛外来に飛び込んでみた。長く服用を続けていると、効きにくくなることもあるよ――という主旨のことを、専門医から言われた。
私の頭痛は典型的な片頭痛で、脳内の血管が膨張することによって神経を圧迫し、痛みとなって表れるというもの。鎮痛剤というのは痛みを紛らわせるための薬剤なので、根本的に血管の膨張を抑えるトリプタン系の薬剤を処方してもらった。
……しかし、これが、体質に合わない。
たしかに服用すれば頭痛は治まるのだが、その代わり、どっぷりと疲労感が押し寄せてくる。
平日は日本社会に埋もれる社畜なので、仕事に支障があってはと薬剤に頼るわけだが、結局のところやっぱり仕事に支障が出てしまう。……なんだかなあ。
しかし、専門医のカウンセリングを受けることによって、自分の頭痛の傾向がわかってきた。
どうやら、緊張が解けてリラックスモードにシフトすると、頭痛に見舞われる――という感じ。女子特有の、周期的なバイオリズムも働いてはいるようだが。
……というわけで、頭痛とは上手に付き合うしかないと悟った。
どうしてものときはトリプタン系を投与するしかないが、軽めのときのため市販の鎮痛剤を開拓した。アセチルサリチル酸(いわゆるアス●リン)が効きにくくなってるなら――と、アセトアミノフェン系、イブプロフェン系とかを試してみて、イ●が合うことを発見した。ロキ●ニンは処方されて服用したことはあったが、私には今イチだった。……そもそも、当時は市販されていなかったし。
――そして、令和。
実は、前述の専門医から、怖い宣告を受けていた。
イワク、「脳の血管が老化で固くなると、拡がった血管が元に戻りにくくなるから頭痛も長引きます。さらに老化が進むと、今度は血管が拡張しにくくなるから、頭痛は減りますよ」――という主旨の予言。
それを裏付けるかのように、最近は頭痛に悩まされる頻度が減っている。……ぐがが。
今の私の頭痛は、どうも天気――つまり気圧に作用されているような気がする。
もともと片頭痛持ちだから低気圧には弱いのだが(頭痛どころか眩暈星に吹き飛ばされたこともある)、逆に、高気圧が来ても、かつてとは違う類いの頭痛に襲われる。脳内イメージは、某ミュージシャンがあの衣装で頭の中を暴れ回ってる感じ。――とりあえず市販薬で対処可能なレベル。
オフィスでも、頭痛持ちは多い。女性に限らず、男性も。
――皆様、ご無理なさらずお過ごしください。
世の中には「怖い頭痛」もあるらしいので、痛みがいつもと違うときなどご注意あれ。
……あ、頭痛外来、お勧めです。
お薬とか治療法も気になりますが、なにより専門医とお話ししてみることで、自分の頭痛と向き合うことが出来るかも……です。