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金髪

作者: 齊川萌

 その本の世界では、大人も子供も自由に人生を謳歌していた。

 僕は今、友達にも会えずにベッドの上で本なんかを読んでいる。金髪に染めて教室に入って行ったら、即刻退場を命じられたのだ。現実なんてこんなものだ。いつも窮屈で、未だに休日の意味さえ知らずに今日まで生きている。

 職員室に引きずり込まれて、島津の発した第一声が「どうしてお前みたいな絵に描いたような優等生が……」だった。島津というのは僕の担任の先生で、体育を担当している。そしておそらくどの学校でもそうであるように、彼もまた例に漏れず生活指導を兼任していた。僕はそれまで全く感じたことはなかったけれど、どうして彼がそんな嫌な役回りを押し付けられているのか、その理由が分かった気がした。いや、正確なことを言えば、押し付けられているわけではなく、むしろ自ら進んで引き受けたのかもしれないということが分かった。

「もし気まぐれでそんな頭にしてきたのなら、今すぐ墨汁でもイカ墨でも頭からかぶって黒くして来い。そうすれば今日一日は学校にいて構わん」と、島津は見た目とは裏腹な静かな声で言った。

髪を染めたのは気まぐれなんかじゃない。僕にだってちゃんとした考えがあるんだ。そう続けようと息を吸い込むと、島津はさらに続けた。「それとも何だ? 何か悩みでもあるのか?」

 悩み……と言えば、悩みなのかもしれない。だがそれをこのスキンヘッドの体育教師に言ったところで伝わるのだろうか。

 そうは思ったけれど、何も言わないことには僕の立場はどんどんと悪くなってゆく。

「黒髪の優等生でい続けるのは、すごく息苦しかったもので」と、僕は言った。「悩み、と言えるほど明確なものではないんです。ただ、漠然とした……強いて言うなら、見た目からプラスに判断されるのが面倒になって」

「すまんな」と島津は頭を搔きながら言った。「俺はお前みたいに頭がいいわけじゃないんだ。もう少し分かりやすく話してもらえるか?」

 やはりだめだった、と肩を落としたのもつかの間、僕は出来る限りこのてるてる坊主にも伝わるように、言葉を選んだ。「……僕は見ての通り……こんな見た目です。暗いですし、見るからにお勉強が得意ですって顔だと、自分でも思います。それに気も利く。自分でこういうのもなんですが、先ほど先生が言ったように、僕は絵に描いたような優等生なんですよ。そのせいでいろいろと迷惑をすることが増えてきたんです。それに疲れたというだけのことです。金髪にすれば、僕の中身を知っている人だけと親しくする生活を送れる、そう思って」

「具体的にはどういうことで迷惑をしているんだ?」

「色々ありますが……一番は『勉強を教えてくれ』と言われることです。それはもう、酷いんですよ。田んぼで群がってくる蛭みたいに僕にまとわりついてくるんです。今まで僕は面識のない奴らも含めて、何も言わずに優しく笑顔で勉強を教えて来ました。だけど冷静に考えてみれば、それは僕の仕事じゃないわけです」

「それなら、断ればいいじゃないか」

「優等生が断ったら、どうなりますか?」と、僕は間髪入れずに言った。どうしてなのか、僕の膝頭が島津のそれに勢いよくぶつかってしまった。「現代の学校の中に閉じ込められた子供たちが暇つぶしにすること、あれの標的には弱い人間がなるわけじゃないですよ。大多数に飲み込まれないように自分を保とうとすればするほど、ターゲットに選ばれるんです」

「なるほど……いじめの標的にならないように、金髪にしてきたということか」と、島津は渋々納得したように何度か小刻みに頷いた。「だがな、もっとほかに方法があるだろう。それにお前ほど優秀な人間なら、周りの人間に手を差し伸べる心の広さも持つべきだ。そうは思わないか?」

「いつもそうだ……」と、僕は聞こえるか聞こえないかというほどの声でつぶやいた。それは自分でも驚くほど平坦な声だった。「僕は今まで真面目に生きて来たじゃないですか。それがどうして、髪を真っ金金にしてきただけで、いきなり勉強する権利も友達と会う権利も剝奪されなくちゃならないんです。僕はただ、普通の人の普通の人間関係を構築したいというだけなんですよ。どうして僕は望んでいないのに毎日のように昼に血を吸われながら笑顔を保たなくちゃならないんです!」

「あ、おい! 待て!」

 気が付くと僕は職員室を走って飛び出していた。廊下で誰かにぶつかって何やら紙がばら撒かれてしまったようだったけれど、そんなことを気にしている余裕はどこにもない。どこか、僕が自由になれる場所……僕が僕だけを大切にしても許される場所——

 そうして辿り着いたのがこの部屋のベッドの上の、さらにこの本の中の世界だった。

 本の中の季節は冬で、大人たちは一年中仕事に打ち込み続け、休みなく働いていた。しかし、それこそが大人たちにとっての人生の楽しさであり、自由そのものみたいだった。その中で悩むこと、悲しむことさえ、今の僕からすれば自由極まりなく見える。僕は島津のようなタコ坊主に一言「謹慎処分」と言われれば、あっという間に自由などなくなるというのに。

 僕は早く大人になりたい、と思った。と同時に、僕は大人になったら、一体何をしたいと望んでいるんだろう、とも思った。

いや、それが見つかる大人なんてほんの一握りか。みんな、やりたくもない仕事をして、乗りたくもない満員電車に揺られて、時間を忙殺されて、夢なんてものは呆気なく塵みたいに粉々になって——

 そこまで考えが至ったとき、僕は片方の唇がめくれあがっていることに気が付いた。僕はまた、大人に一歩近づいたみたいだ。

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