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いのちの詩(仮題)

我を貶める詩

作者: 浮き雲

以前にも同じようなことを書きましたが、自分の生ぬるさを書いて自分を貶めることが、妙に心地よい時があります。


他人に矛先を向けるのは余計な重荷を増やすだけですし、向けてみたところで、必ず自分に返ってきます。その返ってきたもので傷つくくらいなら、いっそ、自分で傷つけたほうが、よほどスッキリとします。


そこには、歪んだ「自己イメージの回復」のようなものがあるのかもしれません。例えば、病気を治すために悪い血を吸い取るという治療が、前近代的な文明の中で行われていたということを聞いたことがありますが、それに似たようなことかもしれません。自分で自分を傷つけて、その傷口から余計なものを流してしまう。


それに、「大丈夫、まだ、やれる」といったようなポジティブな言葉よりも、「お前は馬鹿だ。それくらいのことでへこんでいるなんて、どうしようもない奴だ。皆、もっと、大変な状況を笑顔で乗り越えているじゃないか。それくらいのことで挫けるお前は、どうしようもない役立たずの阿呆だ。」というようなネガティブ(あるいは自傷的)な言葉のほうが傷に染みこんで消毒してくれるような気がします。


もっとも、こういうことが言えるのも、詩に書いている通り、本当に深刻な痛みに晒されていないからなのかもしれません。




哀しきことを詩に(うた)


その淋しさを胸に抱き (こご)えるように、ただ詠う


まだ、精神も肉体も (つい)え尽くすに早すぎて


他人よりみれば、しあわせの なにかも知らぬ()れ者が


哀しきことを詩に詠う




苦しきことを詩に詠う


他人の痛みを知りもせず 我が痛みだけ、ただ詠う


(えぐ)る言葉に、自意識(じいしき)の 悲鳴をあげる人たちの


つくり笑顔の苦しさも (したた)る血さえ、知りもせず


苦しきことを詩に詠う




(くや)しきことを詩に詠う


比べられては見縊(みくび)られ 悔しさゆえに、ただ詠う


それでも、他人と比べれば 如何(いか)にか(ぬる)き悔しさと


知ることはせず、透明な 箱の中より、恨みもて


悔しきことを詩に詠う




「我は阿呆(あほう)」と詩に詠う


我は貝には成りきれず


耳を(ふさ)いで、(から)を閉じ 言葉を捨てて息をする


ただ、息をする、それだけの 覚悟は持たず、知恵もなく


詠う言葉も枯れかけて


「ただの阿呆」と繰り返す




別に精神的なマゾヒズムの嗜好があるわけではありません。もちろん肉体的にもありません。

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