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第四話

 伏見の伝で[ヘヴンスシート]への出入りを認められた勇次郎は、授業を終えると足繁く劇場に通うようになっていた。本職の演技は彼にとって刺激的で、劇作愛好会の仲間たちとつるむことが物足りないと感じている。

「勇次郎君、このところとんと顔を出さなくなったが何かあったのだろうか?」

 彼らは稽古に参加しなくなっている勇次郎の行動を訝しげにしていた。

「もしかして女でも出来たか?」

「いや、爵位持ちの男色家に見初められでもしたのでは?」

 彼らは好き勝手な憶測を並べ立てながら面白可笑しく陰口を叩き、勇次郎抜きで稽古に励む。しかし雛形が不在状態のためなかなか思うように進まず、時間ばかりが過ぎていった。

『いいか勇次郎、大学に通えるだけの身分だからこそ勉学はきちんとしておけ』

 両親を早くに亡くし、初等教育もまともに受けられなかった[ヘヴンスシート]主宰唐津は口癖のようにそう言った。

『演劇に関することはここで教えてやる。本気でやるなら付いてこい』

 勇次郎は唐津に心酔し、これまでになく講義を真面目に受けるようになる。昼は大学、夕方から劇場へ通う忙しい生活に変わったことで劇作愛好会に参加する時間が物理的に削られていった。

「勇次郎君、たまには劇作愛好会にも顔を出さないか?」

 大学には通っていても講義を受けるだけで帰ってしまう彼に仲間の一人が声を掛けた。

「済まない、今そこに時間を割けない状況なんだ」

「へぇ、すっかり優等生になられでもしたのかい?」

 唐津の言葉に触発されて勉学に励むようになってから成績を上げており、これまで問題児扱いされてきたのが掌を返すかのように教授たちに期待を寄せられている仲間への嫉妬心も込めた言い回しをする。

「そうじゃない、少しばかり事情があって」

 実際は劇作愛好会に出入りしなくなったことが大人たちの言う“不良”から足を洗ったように見えているだけなのだが、かの仲間たちには勇次郎が全うな道を歩んで出し抜きを図っているように映っていた。

「君もまた裏切りに走るのかい? 本気が聞いて呆れるね」

「本気だからさ。学費を出してくれている親を安心させなければいけないからね、それに……」

 勇次郎は言いにくげに仲間を上目遣いで見ながら、この場をどう切り抜けてやろうかと考える。

「少しばかり借金をこしらえてしまって、日雇いで働いているんだ」

「借金? 君まさか……!」

 嘘の言い訳に勘繰りを入れる彼の言葉に、勇次郎は言葉を返さず目を伏せた。

「あの年増な歌手に肩入れでもしてしまったのかい?」

「……」

 そう思わせておくかと肯定も否定もせず相手の出方を窺う。

「そんなに凄いのか?」

「額はそうでもないのだが……」

「そうだったのか、女絡みでは親御様にも用立ての願いは出し(にく)かろう」

 彼は顎に手をやってうんうんと頷いていた。

「まぁ……こんなことが知れたら劇作愛好会どころか大学にもいられなくなってしまうじゃないか。僕は上京組だから恐らく故郷に連れ戻されて夢への道が塞がれるのは想像に容易(たやす)い、だから今は学業優先を装っているだけなんだよ」

 勇次郎は[ヘヴンスシート]の本職役者たちに倣う芝居で仲間を欺く。

「他の連中には僕から話しておこう、君は借金の完済に努めたまえ」

「そうしてくれると助かる。僕はこれで失礼するよ」

「あぁ、片が付いたらいつでも戻ってくるといい」

「ありがとう」

 彼は弱々しい笑顔を見せて仲間に礼を言い、内心は上手く騙せたとほくそ笑んで教室を出た。これで当面は声を掛けられずに済むと意気揚々と校門を出たところで、聞き覚えのあるような無いような低い声に呼び止められる。

「ぼん、ここの学生だったんだな」

 その声は静かながらも絶対的に引き留める迫力があり、勇次郎はその言霊に抗えず足を止めて振り返った。

「このような場でお会いするとは思っておりませんでした」

 そこには先日港で出会った三白眼男が鉄紺の背広を着て立っている。品性に溢れる佇まいながらも、只ならぬ恐ろしさを携えている彼と学生街とは全く合っていなかった。

「この辺は二〇年くらい振りに来たよ」

「そうですか」

「まぁそう構えるなって。それにしてもまぁまぁな役者ぶりだったな、同級生程度であればだまくらかせるってか」

 三白眼男はニヒルな笑みを浮かべて勇次郎を見る。

「何のことです?」

 このやり取りを仲間の誰かに見られたら先程の芝居が無意味になる……勇次郎は三白眼男をきっと睨む。

「そう怒るなって、一応褒めたつもりだったのさ」

「えっ?」

「[ヘヴンスシート]に出入りできてる学生なんだ、それくらいのことやれねぇと世に出ても通用しないさ」

「……」

 [ヘヴンスシート]を知っている風の三白眼男が何者なのかが気になるところだが、仲間に捕まって時間を費やしてしまったため相手する猶予はさほど残されていなかった。

「俺は須崎(すざき)、覚えておいて損は無いさ。あんたは?」

「志垣勇次郎です」

「売れたら自慢でもしてやろう」

 須崎という名の三白眼男はニヤリと笑って颯爽と歩き去る。何とも怪しい男だと思った勇次郎は、正直に名乗ってしまったことを少々後悔した。しかし今更気にしてもどうにもならないと思い直した彼は、急ぎ足で劇場に向かった。


 とある昼下がり、外出帰りの志づ於が帰宅すると引越し車が入口前を塞いでいた。

「もう少しずれた位置に停められないのかい?」

 そんな文句を言いながら隙間を縫って中に入ると、浅野えつから声が掛かる。

「あなた、余計な揉め事は起こさないで下さいましね」

「一体何の話だい?」

 またそれか……事あるごとに男といざこざを起こしているような口振りで嫌味を言われることにいい加減辟易としていた。

「本日付で若い殿方がご入居なさいますの、あなた素行に問題がお有りだから注意喚起致したまでですわ」

「あっそう、そりゃあご苦労さんだねぇ」

 志づ於は我関せずといった態度で軽く受け流して階段へ向かうと、新入居者となる伏見が階段から降りてくる。

「あんただったのかい」

「つれない言い草だな、同じ屋根の下仲良くしようじゃないか」

「アタシは家でくらい静かに過ごしたいんだよ」

 志づ於はやれやれといった表情で溜め息を吐き、握手を求める伏見をすり抜けて二階の自室に入った。伏見は手持ち無沙汰になった右手を頭に乗せ、今日も振られたと失笑する。

「あの女は危険ですわ、深く関わらない方が宜しくてよ」

 志づ於の尻を追い掛けて二人の様子を覗き見た浅野は、助言を装って伏見に擦り寄った。しかしそれには応えもらえず隙間風が彼女の心を冷やす。

「男ってのはああいった毒のある女に惚れちまうもんなんだ。こればっかりは本能だから頭ではどうにもならねぇ」

「……」

 浅野は引越し車に向かった伏見の背中を寂しそうに見やった。伏見はそれに気付かず引っ越し作業に没頭し、折角の好機を活かして志づ於をどう落としてやろうかと思案していた。

 そんな彼の思惑を良しとしていない須崎はその様子を遠目から眺めている。彼は志づ於の周囲を蝿が如く飛び回る伏見の存在が目障りで、隙あらば殺してやるかと拳銃とナイフを常時携帯していた。裏稼業で生計を立てている彼は報酬次第で殺しも請け負っており、それそのものに対する抵抗はさほど無い。

 ただ殺るのもつまらない……かと言って意外と小狡くない面もあり、敢えて決闘という選択をする。志づ於が不在の時を狙って伏見の新居住地を訪ね、有無を言わせず銃を突きつけた。

「あんたこの前の……」

 突発的すぎる事態に伏見は恐怖心すら沸かず平然としている。過去に兵役を経験しており、武器に対する免疫も心得も多少あった。

「志づ於を賭けての決闘と洒落込まないか?」

 彼は物騒な代物を突きつけながら半笑いで決闘を申し込む須崎に、恐怖を通り越して笑ってしまう。

「その前に飯と酒だ。越してきたばかりで散らかっているがあんたも一緒にどうだい?」

 ここで怯めば主導権を握られる……身長の高さと生意気な性分が伏見の心を奮い立たせ、本領発揮とばかり肝の据わった美丈夫を演じてみせた。

「毒殺でも企んでんのかい? 面白い男だな」

「仮に思い付いてもご覧の通りそれどころじゃねぇ」

 部屋の中はまだ片付ききれておらず、紐がけされたままの箱が積まれている。決闘であるお陰で多少の猶予があると踏んだ伏見は余裕綽々の態度で肉を焼き、未開封のワインを二本開けた。

「まだグラスを出していないんだ、このまま飲んでくれ」

「なら遠慮なく。景気づけならこの方が良い」

 二人は焼いたそばから肉を食らい、ワインをラッパ飲みする。決闘のことを考えると生きた心地などしない伏見だったが、酒で酔わせてしまえば一縷(いちる)の望みはあるかもしれないとあるだけの酒を勧めた。

 須崎は調子良く酒を飲み、余裕の表情で雑談を始める。伏見の思惑以上の酒豪ぶりだったが、話の方は殊の外弾み、二人共食事の手を休めなかった。

「ところでさぁ」

 酒で気が大きくなっている伏見は、無造作に置かれてある拳銃に手を伸ばす。今なら殺れると立ち上がったが、足元がふらついて体が大きく揺れた。それに気付いた須崎は酒を飲んだとは思えぬ機敏な動きで大男の体を支え、今殺るつもりは無いと側にあった踏み台に座らせる。

「俺は須崎、あの界隈では“ジャック”で通ってる」

「“ジャック”……ってあんたのことだったのか」

 伏見は港の倉庫街近くにある花街に出入りしているので、あの界隈の事情は多少知っていた。“ジャック”という名の男は歓楽街一帯では知らぬ者無しと謳われる悪漢で、敵に回すと季節一つ跨がぬうちに命を取られると恐れられている。

「ハハハッ、“ジャック”に見初められたとは俺も少しは名を上げたか」

「流石に知っていたか。[ヘヴンスシート]の伏見創介だってなかなかの有名人じゃねぇか」

「そらぁ光栄だねぇ」

 伏見はへへと笑いながら残りのワインを飲み干した。須崎は未開封のワインを開けて半分ほど一気に飲み、残りを伏見に手渡す。

「久し振りに楽しい時間を過ごさせてもらったよ」

「そいつは良かった、今日はとことん楽しもうではないか」

 伏見は受け取った瓶を掲げて上機嫌でワインを飲み、二人は時を忘れて宴を楽しんでいた。

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