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第三話

 「今日も宜しく頼むよ」

 港の煉瓦倉庫の裏手にある音楽酒場[パラディス]では、ほぼ毎日のように生演奏会が催されている。この日は()()という名の年増な歌手が舞台に立つ予定になっていた。彼女は異人が多く降り立つ九州の港街出身で、元は舶来人を相手にしていた芸者であった。彼処は舶来品が多く輸入されるため幼少期から目にする機会も多く、下手な都会人よりも洗練された美意識を持っていて歳を感じさせぬ若々しさがある。それが証拠に齢三五にしては客の人気が高く、外国語慣れもしているので通訳としてもうってつけであった。

 志づ於は舞台中央で定点証明を浴びながら英詩の曲を熱唱する。男たちは年増の歌声に魅了され、中には花束を投げ込む者もいた。彼女はそれを拾い上げて口づけをし、魅惑的な微笑みを残して舞台袖へとはけていく。

「お疲れさん、今日は格段に良い出来だった」

「ありがとう」

 酒場の店主小澤(おざわ)にお褒めの言葉を頂いた志づ於は真っ赤な唇をくっと押し上げた。

「今日もお出ましだよ」

 彼は客席にいる白一色の背広男を指差して言う。

「またかい?」

 志づ於は舞台袖から客席を覗き見して苦笑いを浮かべた。白一色の背広男は秀麗な顔立ちをしており、座っているだけでも絵になるほどに目を惹く男で()ある。

「一度くらい楽屋に入れてやってもいいんじゃないのか?」

「冗談じゃない、アタシ坊やは好きじゃないんだよ」

「そうは言っても彼奴は[ヘブンスシート]の若手成長株だぜ。先物買いで相手してやりゃお前さんの株も上がるってもんじゃないか」

「やだよぉ。アレ相手するくらいならこの前会った坊……何でもない」

 彼女の脳裏には先日港で出会った学生の綺麗な顔が映り、見た目の割に鍛えられた腕っぷしを思い出していた。

「何だ? 目星い男でもいたのか?」

偶々(たまたま)そこの海沿いで会っただけの学生だよ。そこそこ綺麗な顔してたから憶えてただけ」

「へぇ、見てみたいもんだな」

「来やしないよ、女も知らないおぼこだったからさ」

 志づ於はぶっきらぼうな口振りでそう言うと、足早に楽屋に入って帰り支度をする。

「今回の給料、爵位持ちの旦那でも混じってたのかも知れないな」

 小澤はいつもよりも分厚い給料袋を差し出した。それを受け取った彼女は外に出ると、白一色の背広男が待ち伏せをしているのを見て溜め息を吐く。

「つれないじゃねぇか、連絡一つくれないなんてさ」

「生憎電話機が無いんだよ」

「嘘言っちゃいけねぇ、あんたが住んでる集合住宅は電話機が使えるのが売りなんだからな」

「聞いたことが無いよそんな話」

 確かに男の言う通り志づ於が住んでいる集合住宅には管理人室に電話機が設置されている。表向きは自由に使えるのだが、実際は通信費用が高額なため滅多に使えなかった。

 彼女は背広男を無視して帰路に向かうとどういう訳か勝手について来る。面倒だから用心棒代わりにでもしてしまえと放置したまま自宅に到着すると、ふくよかな体型の女性が仁王立ちで睨みを効かせていた。

「夜毎殿方を連れ込まれるのは止めて頂けない?」

「わざわざお出迎えご苦労様だねぇ、管理人ってそういうのも仕事なのかい?」

 志づ於は何かと毛嫌いしてくるこの女がどうにも苦手であった。管理人である浅野(あさの)えつは生家が爵位持ちの家柄であることを鼻にかけ、自身よりも器量の良い彼女に嫉妬している。

「風紀が乱れますの、お止めにならないと申されるなら退去して頂くことになりますわよ」

「あんた普段そんな口の聞き方しないじゃないか、そこの男に惚れでもしたのかい?」

「相変わらず品の無いお方ですわね」

「偽物よりマシってもんさ」

 志づ於は流行の女言葉を使う管理人に眉をひそめ、背広男を追い払う仕草を見せてさっさと中に入った。ところが彼も付いて入ろうとするので、浅野が慌てて引き留める。

「部外者の入館は九時までですの」

「いや、引っ越しのことであんたに用がある」

「まぁ、あの女がお目当てであればお断り致しますわ」

 管理人は踵を返して中に入り、ぴしゃりとドアを閉めて鍵を掛けた。

「ケチ臭ぇ……」

 男は捨て台詞を吐き、この日は諦めて夜の街へと消えていく。そんな姿を三階の自室窓から覗いてやっと帰ったかと息を吐いた。この背広男が巷で人気の若手俳優伏見創介であることは承知しているが、一方で女癖の悪さも評判であった。そのような男に好かれても嬉しくないと突っぱねてもあの調子で付きまとい、そこいらで女を誑かしておきながら毎日のように酒場を訪ねて自身にもちょっかいを掛けてくる。

「軟派な男は嫌いなんだよ」

 彼女は独り言を呟きながら開けていた窓とカーテンを閉め切った。


 そして翌日も[パラディス]での独唱会に出演した志づ於の前に又しても伏見が現れ、二日連続で自宅までついて来られたら間違いなく追い出されると思った彼女は花街の近くにある寂れたバーに寄り道する。

「いらっしゃい、久し振りだな」

 ここの店主とは顔馴染みで、先日一緒にいた三白眼男とも接点があった。最悪あの男が来ることを願おうとカウンター席に座る。

「何でもいいから強いの頂戴」

「はいよ。そっちの兄さんは?」

「ラガーを貰おうか?」

 店主ははいよと返事してから志づ於に話し掛けた。

「あの兄さん、連れじゃないのかい?」

「違うよ」

「固いことは抜きだ、酒くらい付き合ってくれよ」

 伏見はそう言いながら彼女の隣の椅子に座る。志づ於は嫌そうに背を向けて煙草に火を点けて酒が来るのを待っていた。店主はすっと灰皿を置き、赤褐色の酒を小さなグラスに入れて志づ於の前に差し出す。

「あんた、そこまで逃げるってことは男いるのか?」

「だったらどうだって言うのさ?」

「俺に鞍替えしないか?」

「遠慮したいね、アタシ追い回されるの好きじゃないんだよ」

「女ってのは追い回されてナンボなんだ、魅力の無い女になんか誰も見向きしねぇもんさ」

「面倒臭」

 彼女は酒の入ったグラスを手に取って一気に飲み干した。それを見た店主はグラスを下げ、伏見の前にラガービールを置いた。

「もう一杯、飲まないかい? 奢るからさ」

「要らない」

 志づ於は伏見に背を向けたまま誘いを断る。伏見は軽く笑ってからラガーを飲み干し、席を立って彼女の前に回り込んだ。

「男からの好意ってのは無碍にしちゃなんねぇもんなのさ」

「欲しくもない好意ってのは迷惑だってことも覚えときな」

 志づ於は口に入れていた煙草の煙を伏見に吹っ掛けてやる。

「強がらねぇで(なび)いた方が楽だぞ」

「坊やな上に自惚れ野郎とは呆れたもんだね」

 そう言った彼女は再び伏見に背を向けて煙草を咥えた。そこに鉄紺の背広を着た男が入店し、蒸留酒を注文すると二人の姿に吹き出した。

「お前何時からガキ好みになったんだ?」

「随分と大きな鼠だろ?」

 二人は伏見を無視して笑い合う。それが気に入らない伏見は間に割って入って三白眼に睨みを効かせた。

「おい、邪魔すんじゃねぇよおっさん」

 見知らぬ男の乱入に気分が削がれた伏見は三白眼男に食って掛かるも、店主がカウンター越しから腕を伸ばして制止する。

「止めときな兄さん、この男を敵に回すな」

「何言ってやがる、邪魔立てしたのはあっちだぞ」

「死にたくなきゃここは引け。お代はいいから」

 店主は伏見の肩を押さえて首を横に振り、不機嫌な白背広の男を体良く追い出した。それを見た志づ於は一杯目と同じ酒を注文し、三白眼男と乾杯を交わす。

「あの蝿は邪魔だな」

「又物騒なこと考えてんじゃないだろうね?」

 彼女の言葉に笑顔を向けた三白眼男だが、一度だけ振り返って入口方向に鋭い視線を送っていた。

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