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第十三話

 これまで女性と“デート”をしたことの無い勇次郎にとって、“デート”といえば奥まった場所にある喫茶店や神社といった情報しか持っていなかった。映画館や歌舞伎座という手も無くはないが、学生の身分である彼にとって歌舞伎座は高額過ぎて手が出せない。

 そのようなことを悶々と考えているうちに五日が経ち、結局大した計画も立てられぬまま志づ於との“デート”のために、待ち合わせ場所としていた港沿いの倉庫前に向かった。服装だけは比較的綺麗なものを見繕い、手にしている懐中時計の針は待ち合わせ時刻十分前を指していた。

「あれ? 早いね」

 五分程待った後に志づ於がワンピース姿で現れる。この日は独唱会の時よりも幾分薄化粧ではあったが、ほんのりと甘い香りを纏っていた。それだけのことで幸せな気持ちに浸っていた勇次郎の頭は真っ白になり、早くも本能が疼きそうになっている。

「あっあの……何処か行きたい場所ってありますか?」

「ならさ、一寸行ったところにある公園で梅見でもするかい?」

「公園?」

 志づ於が指差した方向はかねてより利用していた学生街とは逆方位で、四年程住んでいるのに一度も行ったことが無かった。

「知らない? かなりでかいよ彼処」

「えぇ、実は行ったことが無いんです」

「なら行ってみるかい? 出店もいっぱいあるからさ。運が良ければ桃も見られるかも知れないよ」

 志づ於はにこりと笑って勇次郎の手を取った。

「はい」

 勇次郎はひんやりとした彼女の指先を握り返し、二人は公園に向け海沿いをゆっくり歩く。海風に当たる志づ於は気持ち良さげに目を細め、停泊している豪華客船を眺めていた。そこに近付くにつれ豪華な衣装を着た舶来人の数が増え、然程馴染みの無い勇次郎は威風堂々としている彼らに怯みそうになる。

「勇次郎君って郷は何処なんだい?」

 志づ於は緊張の面持ちでいる若者を見上げた。

「畿内の山間部です」

「そう、なら異人さんって馴染みが無いんだね」

「はい、何度か対峙したことはあるのですが……」

 そう答えながら、初めてかつての仲間達と行った音楽喫茶で客としていた舶来軍人に子供扱いされたことを思い出し渋い表情を見せる。

「僕みたいな器量だと子供に見えるらしいんです」

「そうかも知れないね、アタシも五尺無いから若い頃はそうだったよ。港街出身だから異人さんは普通にいる環境だったけどさ、今は軍人が増えてるから前ほど話したりはしないねぇ」

「えっ?」

「蘭語と英語は一応話せるよ。実家が旅館だったからさ、舶来人も受け入れてたんだ。必然的に覚えないと仕事手伝えなくって」

 前回の独唱会で他の歌手とは明らかに一線を画した発音の良さを思い出し、そういうことかと納得した勇次郎は改めて志づ於の顔を見た。彼女は何かを懐かしむように水平線を眺め、付近では釣り竿を垂らしている男性たちの姿も見受けられる。

「父が生きてた頃、たまの休みには決まって釣り竿持ってあんな感じで一日中座ってたんだ」

 志づ於は遠目で釣りに興じている彼らを指差した。

「アタシらきょうだいもよく付いてってたんだけどさ。当時はそこまで好きじゃなかったんだよ、海が」

 彼女は水平線を見つめながら話を続ける。

「父はとっくに亡くなってるんだけど、今の方が海を好きだと感じるんだよ。こうして眺めているだけで家族と繋がれてるような気がして安心するのさ」

 三十路をとおに超えている志づ於には存命の家族が少なく、きょうだいたちも他界していたり兵役に出ていたりで散り散りばらばらとなっていた。

「勇次郎君だと山の方が郷を感じるかも知れないね」

「はい。近くの山麓にある神社できょうだい四人よく遊んでいました」

「へぇ。名前の通り次男坊なのかい?」

「えぇ。姉、兄、妹がおります」

「家は兄二人と弟二人。兄は二人とも他界してるから実家は上の弟が継いでて、下の弟は兵役中」

 勇次郎は現状学生の身分なので徴兵の報せはまだ来ていないが、高等教育を受けなかった同級生の中には志願兵になった者もいると聞く。しかし文系の彼は出来れば避けて通りたいと思っていた。

「あまり大きな声じゃ言えないけどさ、出兵する家族を見送るのは身を切られる思いがするよ」

 国の為の戦い死すことが美徳とされている昨今、生きることに執着する思想は一段下に見られている。世間では芸事を生業にしている者たちは蔑まされる存在で、このところ勢力を伸ばしている軍事政権の介入により表現の制限が掛けられ始めていた。

「戦争なんかとっとと終わってほしいよ、何が楽しくて血の匂いを嗅ぎ合ってんだろうね?」

 勇次郎自身、幼少の頃からお国の為なら喜んで命を捧げよという教育を受けて育ち、将来の夢は兵隊として戦死することに多くの男の子たちが憧れを持っていた。その教えに洗脳された幼馴染たちも何人か兵役に取られ、若い命を散らした者もいる。

 そんな中にいても彼にはその感覚がどうにも理解出来ずにいたが、口に出してしまえば非国民と罵られ、自身の問題では済まされぬ事態になるので表に出さぬよう注意を払ってきた。

「国を守る為、でしょうか」

「さぁ、アタシは男じゃないからそこらの感情はよく分かんないねぇ。何処か余所の地を火の海にしてさ、結果犠牲になるのは其処に住んでる一般庶民なんだよ」

「えぇ……」

 こんな話が警察や軍人に聞こえればしょっぴかれてしまう……勇次郎は周囲の状況が気になって話に集中出来なくなる。

「此処らで止めておこう、この辺は軍人が多いからね」

「はい」

 二人は港沿いを足早に歩き、目的地である公園に入った。

「あっ、今日は出てるね」

 志づ於は屋台を嬉しそうに指差し、そこに向けて勇次郎の手を引いた。そこでは大きな握り寿司を販売しており、下手に気取った洋食店よりも毛頃な価格で腹を満たせる。

「握り寿司、ですか?」

「見たこと無いかい?」

 勇次郎は片手ほどの大きさの握り寿司を見ながら頷いた。

「巻き寿司しか見たことが無いんです」

「山沿いじゃあ見掛けないか。寿司は苦手?」

「好きですよ」

 彼は勧められるまま漬けの握り寿司を食べる。志づ於も同じものを頬張り、相当な寿司好きと見えて満悦な表情を浮かべていた。

「美味しいですね」

「だろ?」

 勇次郎は思い慕う女性と同じものを食べていることに幸福感を覚え、ささやかな会話だけでも胸が弾む。志づ於もまた“デート”というものにすっかり舞い上がっている彼を可愛く思い、まだ純粋だった頃に想いを馳せていた。

「若いって良いね」

「えっ?」

 彼女は若者の口元をハンカチで拭う。

「ふふふ、お弁当付けて」

「あっ……」

 勢い良くかぶり付いたせいで口元を汚し、綺麗な刺繍が施されているハンカチーフに滲みを作ってしまったことが申し訳なく感じた勇次郎は、すみませんと俯き加減になった。

「男の子はそれくらいで良いんだよ、こんなの洗えば落ちるんだからさ」

「しかし……」

 思い人を前に失態を冒したという羞恥心が宿って気恥ずかしさが勝り、まだ残っている寿司を食すことに戸惑いを感じてしまう。

「気にし過ぎだって、食べなきゃ大きくなんないよ」

 志づ於は食事を促すよう口角を上げてみせた。

「今子供扱いしませんでした?」

「してないよ。けど年の差は埋められないもんなのさ」

「確かにそうなのですが……」

「あの子ら見てると幼いと思うだろ? そういうもんなんだよ」

 彼女は近くで鬼ごっこをしている子供たちを見ながら言う。彼らは年格好を見る限り十歳にも満たしていない。

「志づ於さんには僕がああいった感じに映っているのですか?」

「比喩として言っただけなんだけどねぇ」

「むぅ……」

 子供扱いをされて頬を膨らませる若者の表情に、志づ於はアハハと声を立てて笑った。勇次郎は正直な感情を見せる彼女に大人の中に潜む少女のような側面を見出しており、目に映る姿を映写機に残したいと思いながら寿司を完食した。

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