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第十一話

 『どうして私を愛してくださらないの?』

 あなたの婚約者は私なのよ……そんな思いを抱えながら定点証明を浴びる恋人同士を恨めしそうに見る女。家柄も良くそれなりに美しい女で、何事も無ければ貴族階級の嫡男との結婚が約束されていた。ところが彼は使用人の娘にご執心で、二人は人目を盗んで愛を育んでいた。それが偶々女の視界に入り、猛烈な嫉妬心を湧き上がらせる。

 そんな矢先隣国との戦争が勃発する。そちらから渡ってきた人たちは処刑される前に逃げるように帰国し、使用人の娘もその中に含まれていた。貴族男性は娘の面影を忘れられず塞ぎ込むようになり、そんな姿を遠目から見ているのが堪らなく辛かった。

 しかし邪魔だったあの娘はもういない……女は貴族男性の元へ赴き、娘が住んでいる街が戦場となってしまい亡くなったと嘘の情報を吹聴する。それを信じた貴族男性は絶望して一度は自殺を図ろうとするが、そこに女が現れて『彼女は後追いなど望んでいない』と引き留め、どうにかして生き延びさせようと献身的に尽くす。

 それに救われた貴族男性は、当初の予定通り女と結婚して三人の女の子を儲けた。しかし彼は騎士団長として召集がかかり、家族を置いて戦地に赴く。その間妻である女は、子供たちを育てながら夫の帰還を待ち続ける。しかし戦死という報せが届いて未亡人となってしまい、失意に暮れながら三人の娘と共に実家に戻った。

 しかし貴族男性は敵地とは別の場所で生きていた。戦地で深手を負い、行方不明状態であったため戦死扱いとされてしまっていた。深手を負った彼は隣国の隣国へ逃げ延び、とある一家に救われた。そこで娘と同じ顔をした女性と知り合い、残した家族の存在を忘れて彼女を愛してしまった。後々彼女は娘の従姉妹と知り、娘は戦地となった隣国から逃れはしたが病死したことを伝えられた。

 二人は娘の墓に花を手向けてから互いの愛を確かめ合い、貴族男性は従姉妹の女性に求婚する。しかし彼女は貴方には郷に置いている家族がいるという理由でそれを断り、怪我が癒えたら家族の元に戻るべきだと言った。

 怪我が治った貴族男性は、娘の従姉妹に追い出される形で郷に帰還した。しかし実家はもぬけの殻となっており、それで両親の他界を知る。妻と子も死んだのか? 彼は一か八か妻の実家を訪ねると、妻は自身を見て驚きの表情を見せていた。聞くと戦死の報せが届き、跡取りがいない彼の実家は没落してしまったと言った。それでも妻は彼を待っていたと言い、愛しげに彼を抱き締めた。しかしすぐに離れ、貴方の中に私はいないと寂しい表情を浮かべた。

『私は貴方に嘘を吐いた』

 妻は娘が死んだのは虚言だと言って泣きながら詫びた。しかし今となっては娘は本当に世を去っており、男性は妻の嘘を責めなかった。子供たちは皆元気に育っている、ただ貴方は亡くなっていると思っているから、鉢合わないうちにここを出てと促した。そして新天地で幸せになってほしい、貴方にとって運命(さだめ)となる女性と共に……妻はそう言って男性を送り出し、彼が去った後一人ひっそりと涙を零す。


 「……」

 夢の中でまで演目の世界にいた勇次郎は、重い痛みを引きずりながらベッドから這い出て台本を読み直している。唐津から受けた指導が、伏見との性交で理解出来る箇所が格段に増えていることに彼自身が驚いていた。実際濡れ場といっても抱擁と接吻くらいなのだが、物語の表面に出ない部分が性交を知ったことで自身の演じる役への理解を深くしている。

 恵まれた環境で生まれ育った女が初めて味わった挫折、それによって生まれた醜い嫉妬心。別の女を思う男の姿に寂しさを恋情を募らせ、嘘を吐いてまで男の心を手に入れようとした彼女がたまらなくいじらしく感じた。

 演目内では悪役となる彼女はただ一途に貴族男性を愛し、大きな嘘は吐いたが自身の心には正直に生きた……手に入れた愛は真実のものではなかったかも知れない。それでも全身全霊をかけて愛していたからこそ、彼の気持ちを敏感に感じ取ったのだろうと考えているうちに稽古に参加したくなってきた。逸る気持ちを抑えきれず台本を持って立ち上がったはいいが、やはり腰から股間にかけての鈍痛が残っており、結果すぐにしゃがみこんで腰を擦る。

「痛た……」

 昨日の性交相手伏見に対しちょっとした恨めしさはありながらも、難儀していた役の解析には大いに役に立ったので憎悪までの感情は持っていない。これまでに無い良い芝居を見せて驚かせてやると心に決めた勇次郎は、鉛筆を手に台本と向き合っていた。


 翌日以降の稽古も終え、いよいよ新作の本番を迎えることとなる。勇次郎はこれまでになく良い役柄なので否が応にも気合が入り、手足も多少震えていた。

「固いぞ勇次郎」

 緊張で表情が固くなっている勇次郎に伏見が笑いかける。

「緊張してます……」

 今更虚勢を張っても仕方がないと、正直な気持ちを吐露してから手足を振って緊張をほぐした。

「大丈夫よぉ勇ちゃん、あんなに頑張ったんだからぁ」

 同じく雛形の巨漢役者が髭面を勇次郎に擦り寄せる。

「わっ!」

 ざらざらとした感触に逃げようとする勇次郎だが、巨漢なだけに強靭な腕っぷしを持っている彼に抱きつかれてしまった。

「やめろ衆道野郎、勇次郎が汚れる」

 そこに伏見が割って入り、女装している後輩を救出する。

「酷い言い草するわねぇあんた」

 巨漢役者はむすっとしながらも深入りはせず、着衣を整えて本番に備えていた。

「先程札止めになりました」

「ほんとに?」

 比較的若手の先輩役者たちは、緞帳の端をめくって薄明るい客席を覗き見する。

「前売は不調だったのに……」

「何があったんだろう?」

「そんなのどうでもいいことでしょお? 私たちは演るべきことを演るだけじゃなぁい」

 古株である巨漢役者は我関せずといった態度で、手鏡を持って化粧を気にしていた。

「満席……」

 勇次郎はなかなか無い吉報に怖じ気づきそうになる。

「これは絶好の好機だ、良いもの魅せて顔を売れ」

「はい」

 彼は志づ於に前売切符を売ったことを思い出し、気合を入れるため頬を軽く叩く。直後幕開けの待機のため緞帳の降りている舞台に入り、これまでの成果を見せるべく演目が開演した。


 先日立ち寄った喫茶店で[ヘヴンスシート]公演舞台の前売切符を購入していた志づ於は、ほぼ満席状態の観客席内にいた。大した盛況振りだねぇなどと思いながら開演を待っていると、空席状態の隣席に須崎がやって来る。

「来てたのか」

「まぁね。前売買ってたんだよ」

「奇遇だな、俺もなんだ」

「へぇ」

 などと言葉を交わしていると無機質な合図が鳴り、客席が暗くなって緞帳が上がった。舞台上には男とは思えぬほど美しく着飾った勇次郎が物憂げに立っており、観客席からは感嘆の声が漏れる。二人もそれにつられて勇次郎に視線を注ぎ、少しばかり変化した雰囲気を感じ取っていた。

「あんなだったかい? あの子」

 志づ於は色のついた学生役者を見やりながら、隣席の三白眼に耳打ちする。須崎は何かに気付いたように軽く笑った。

「男……いや、オンナになったか」

「どういうことだい?」

「まぁ観てな」

 志づ於は言われた通り舞台に視線を移し、勇次郎の芝居に注視する。彼は主人公である伏見を恋しげに見つめ、恋仲の娘に対し猛烈な嫉妬心を見せる。この前会った時はまだおぼこかったのにと思いながら、若々しくも艶を増した芝居に惹き込まれていった。

「……」

 一方の須崎はやや引き気味に演目を眺めている。主演として舞台中央で演じている伏見、女性使用人の格好で恋人役を演じている雛形俳優、そして勇次郎をつぶさに観察していた。

 物語は西洋の古典戯曲らしく恋仲の二人を引き裂く事件が起こり、主人公と恋人は世情に抗いきれず離れ離れになる。そこに付け入るかのように、勇次郎が扮している役の女が主人公の空いた心を埋めようと奔走する。それに絆された男は女に靡き、女は更に繋ぎ止めるよう接吻をするところで一旦幕が閉じた。


 本来であれば、自死を図ろうとした主人公を引き留めて見つめ合うのみで幕が降りるはずであった。しかし緞帳が引っかかったようで、舞台裏では大わらわになっていた。このままでは間が持たないと感じた勇次郎は、手で口元を隠してから目を閉じた。

 そういった秘密裏的な表現はなかなか表に出せない昨今においては多少過激ともいえ、観客席からは小さな悲鳴が漏れる。しかし舞台裏の事故から視線を逸らす目的は果たされ、観客たちは二人の濡れ場を凝視していた。

 ところがそれを面白がった伏見は、口元を隠していた手首を掴んで引き下ろしながら唇を合わせてきた。それに一瞬怯んだ勇次郎だったが、性交の免疫が活きて徹底的に役なりきった状態を保ったまま体を寄せる。そうしているうちに緞帳が降り、まだ序盤を終えたばかりにも関わらず客席からは拍手が沸き起こった。

「どうして本当にするんですか?」

 緞帳が降りて我に返った勇次郎は、赤面して伏見から離れる。

「いいじゃねぇか、減るもんでもなし」

「減りますよ」

「そんな顔するな、もう一回お見舞いするぞ」

「遠慮しますっ」

 勇次郎は逃げるように楽屋に駆け込み、幕間の僅かな空き時間のうちに衣装替えを始めた。

「もぅ、検閲が入ったら間違いなく違反扱いよぉ」

 巨漢女優は女装から男装に着替え、化粧も男性仕様に変えている。

「その際を攻めるのが芸能ってもんだろうが」

「それが間違いだとは思わないけどねぇ、アレで何人の若手が逃げたと思ってんのよぉ?」

「あの程度でいなくなる奴なんか実になるかよ」

  伏見は真っ白な燕尾服に着替え、純白のドレスに身を包んでせっせと化粧を直している後輩の背中を見やった。

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