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今日、私は貴方の元を去ります。  作者: 蓮宮 アラタ
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闇夜の一幕

 ウィンゼルキネラ王家の第二王女によってとある真実が明かされる少し前。

 ゼストによって呪いが祓われた深夜。


 グライブル王国王都、悠久の女神を信仰するアルジュラ教の総本山、聖アルシェラント教会の上階の一角では悲痛な声が響き渡っていた。


「がああああああああ!!」


 声を上げるのはまだ年若き男。

 常ならば見るものを魅了するであろう端正な顔立ちを苦悶に歪め、豪華に彩られた家具を押し倒しながら男はのたうち回る。


 その拍子に司教冠(ミトラ)が床に落ち、祭服の上から胸を掴み、苦しむ青年の周りには黒い(もや)がその身を取り巻いていた。

 呪詛返し。精霊王ゼーレストによりキネーラの第一王女を蝕んでいたはずの病を返され、青年――大司教エルノアはその身を焦がすような苦痛を味わっていた。


 油断した。

 全身の骨が軋み、皮膚という皮膚を鋭利な刃物で抉られているような痛みに必死に耐えながらエルノアは後悔する。


 ()()()()に唆されて聖女の託宣を偽り、目障りなエルダイン公爵家の娘を追放したまではよかった。彼女は公爵家令嬢ということもあり妙に聡かった。長年の計画を邪魔されても困る。そのために第二王子と結託し、お茶会での騒動を最大限に脚色し、追放する口実を作った。


 だというのに。誤算だった。昔、使えない不良品だからと捨てた野良犬(ゼスト)がクラリス・エルダインに拾われたと言うことは聞いていたのに。

 不良品だからと気にも止めていなかったのが悔やまれる。


 忌々しい精霊め。まさか力を取り戻していたとは。そう毒づいた瞬間一際強い痛みが走り、エルノアは再び痛みに耐えきれず絶叫した。


「クソ、くそう……」


 こんなはずではなかったのに。あともう少しで三年にも及ぶ呪詛は成就され、キネーラの第一王女はこの世を去るはずだったのに。

 そうなれば忌々しい第一王子諸共処分してキネーラとの全面戦争に持ち込めたというのに。

 第一王子ルイスの最有力婚約者候補と言われていたメドウィカ王女。


 秘密裏に進められていたこの婚約。キネーラの王女とグレイブル王国の王子が結婚すれば、やがて友好条約が結ばれ、二国間の関係はより強固になるだろう。


 ()()()()()()()()()()()()

 平和などいらない。得体の知れない下等な精霊などを信仰する野蛮国(キネーラ)との友好など女神を信仰するグレイブル王国には不要。


 女神とその加護を受けた聖女を有するグレイブル王国こそが至上である。

 他国はその威光に平伏すことはあれど、並ぶことは許されない。あってはならない。


 ――女神唯一絶対主義。

 グレイブル国内のアルジュラ教の中でも過激派に属するこの思想がエルノアをここまでつき動かしていた。


 女神主義派の信念は女神を崇拝し、その証として女神の愛し子である聖女が御座すグレイブル王国は頂点に立つに相応しい国であるということ。

 他は属国として女神の国(グルイブル)に降るべきというのがこの派閥の主張だ。


 精霊を信仰するキネーラを『野蛮』と蔑み、その国と友好関係に在ろうとする第一王子をこの派閥は良しとしなかった。

 そのために密かに王位を狙っていた第二王子レインとエルノアは手を組み、第一王子を貶めるため一計を案じたのである。


(さわ)り』を利用した呪詛は例え強力な精霊の加護を受けていようと解呪することはできない。

『障り』を浄化できるのは聖女だけ。そして聖女(リーン)はグレイブル王国にしか居ない。


 エルノアは第一王子ルイスの名を使ってメドウィカ王女に呪物をおくり、呪詛を行った。

 婚約者である王子からの贈り物ならば王女は警戒心を抱かない。なんの迷いもなく贈り物に手を触れるだろう。

 そして計画は上手く行き王女は()()()()病に倒れてしまった。



 ――だと言うのに。


「忌々しい……精霊王と、あの娘……」


 呪詛を通して見えた忘れもしないあの水色の髪。

 漆黒の長剣と化した『障り』を見ても臆せずに立ち向かった忌々しいもう一人の聖女。

 さらにその彼女を守護する番犬(ゼスト)


 呪詛を返されたということはメドウィカを巣食っていた『障り』は消え去り、王女が一命を取り留めたということ。

 計画は失敗だ。第二王子になんと報告申し上げればよいのか。この計画が上手く行けば枢機卿に取り計らってもらい更なる地位と名誉を得られるはずだったというのに。


 エルノアは24という若さで大司教という地位に上り詰めた実力者だ。

 まだ若く才能溢れる彼は、今の状況に満足などしておらず、更なる権力を手に入れることを目論んでいた。

 痛みに身体中を侵食されて尚、エルノアは憎悪に燃えていた。


「この借りは……絶対に返す……!!」


 許さない。許さない。

 忌々しい聖女(クラリス)と、精霊の番犬。


 ――絶対に後悔させてやる。私を侮ったゼストも、私の邪魔をした聖女も、絶対に同じ目に合わせてやる……!!


 その仄暗い執念に釣られたのか今や全身を黒い靄が取り巻き、エルノアと一体化しようとしていた。


『障り』は基本、人間に災厄しかもたらさない。

 しかし『障り』はもともと悲しみや怒り、憎しみと言った人間の負の感情が凝り固まり具現化したもの。

 その際限ない負の感情は同じく負の感情を力とし、取り込むことができる。

 エルノアの異常というべき執念と怒りは返された呪詛をも取り込み、エルノア自身の力へと還元される。


 いつまでそうしていたのか。

 エルノアは、ふと全身の痛みが引いたことに気づいて、目を開けた。

 さっきまで確かに全身を激痛が襲っていたというのに、今は嘘のようにその痛みを感じない。


 それどころか――。

 エルノアは立ち上がると、意識してグッと拳を握る。

 その瞬間黒い靄が拳から溢れ、エルノアの白い皮膚を鱗のように覆う。

 いつしかその黒い靄は全身へと広がり、エルノアは力が溢れて来るのを感じていた。


 今までにないくらい意識がハッキリしている。

『障り』と一体化したことにより漆黒に変わった両眼は力の流れを正確に映し、新たなる力をどう扱うべきか教えてくれる。


「災い転じて福となす……か? はは、これはいい……。実にいいチカラだ……」


 聖職者たる自分が魔の力に堕ちるというのもなかなか面白い。

 何よりこの力があれば聖女とも張り合えるし、逆に穢すことすらできる。

 純真な穢れなき心を持つという聖女を自ら貶め、穢すというのも耽美な響きだ。


「ふはは……待っていろ。クラリス・エルダイン……その純粋無垢な心ごと……私自ら黒く爛れさせてやろうぞ……!!」


 最早人間ですらなくなった全身漆黒の鱗に覆われた怪物は自ら思い描いた夢幻の未来に想いを馳せ、ただ嗤う。



 一方そのすぐ側の窓の外では笑い狂った堕ちし大司教を――邪な気配につられてやって来たグルイブル王国の聖女(リーン)は、窓から見えたその光景に、極上の笑みを浮かべてピンクサファイアの瞳を細めるのだった。






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