プロローグ 前編
遠くで聞こえる警報。
聞こえるはずもない義母の声。
ただの肉塊と化してしまった目の前の義母だったモノに私は涙し決意する。
復讐…復讐だ復讐だ
私は絶対にあいつらを許さない。
◆アナザードロップ~裁きの漆黒眼◆
東京・世田谷区三軒茶屋。
今時の若者といえば今時の若者とも言える僕、森宮 創は、北海道から飛び出すように東京の某高校を受験、入学、卒業。そしてそのまま都内の大学入学、卒業し… 今。就職活動を経て、ここ、“Cafe Drop”へ正社員として働く事となって店内掃除をしていた。
大きな店とは言い難いけれど、都心近くで働ける喜びと、優しい同僚達と共によりよい接客と料理を提供できる喜びを分かち合える充実さは確かなもので,漁を生業としていた実家を煩わしく思っていた事を考える間もないほど、それなりに忙しく過ごしている。
え?前置きなんていらない?そもそもなんで店内掃除なんてしているんだって?
そりゃ、店じまい時になれば、それなりに汚れる部分もでてくるさ。そりゃ、掃除だってする。そんな時間帯だからね。
店がカフェという事もあって、夕飯前には閉店する。その後の掃除は普通ごく簡単なものだけれど、翌日の事も考えてたまに大掛かりな掃除をすると、店を出るのが20時近くになる事もある。
今日もそんな一日だったようで、掃除が終わった頃にはカーテン越しから見えるガラス窓に映る外は、すっかり居酒屋の店だけが灯りをともす街並みへと変貌していた。
「わ~…もうこんな時間かあ」
「創君、社畜かってぐらい熱心に働くから時間なんかあっという間でしょう」
くすくす笑いながら、店長がカチャンとカウンター脇に出してきたのは温かな香りと共にこの場を和ませてくれる紅茶。カップから漂う香りはおそらくこの店自慢のオリジナルブレンドティーだろう。店長自らブレンドしているブレンドティーは一般的な店で販売されているような加工ブレンドではなく、数種類の茶葉をミックスしているらしい。それぞれの茶葉の配合具合や再焙煎度などについては企業秘密らしく、まだまだ勉強が必要なのだと思わせてくれる。
「さ、冷めないうちにどうぞ。」
「店長の紅茶ですか?!洗い物増やさせてしまってすいません」
「いいんだよ。いつも熱心に働いてくれている君達へのご褒美ぐらいさせてくれ」
「きゃー!店長の紅茶!私これお気に入りなんですよね。嬉しい!」
傍で素直に喜んでいる同僚の女性、小此木さんは躊躇いもなくカップを手に取ってゴクゴク飲みほしていた。
「ほら、創君も」
「は、はあ」
ス、と目の前にあるカップを手にとって、紅茶色の温かな液体に口づけて体内へと入れていく。その瞬間に薫る茶の香りと味わいを楽しむ瞬間が好きだ。一口、二口と飲みこんで一度はあ、と口から息を吐く。
「…やっぱり、店長の淹れる紅茶はすごいです。とても美味しいし、癒される」
「そう言ってくれるのが私にとって一番のご褒美だよ」
フフっと笑ってくれる店長。男勝りの女性店長という事もあって仕事モードの彼女は厳格を体で表しているような人だけれど、仕事を終えると優しく、飴と鞭を綺麗に使いこなしているように見える。こういう人が、都内のカフェで働いている、というのもなんだか不思議な感じがするけれど人の事情はそれぞれ。僕だって、実家から逃げるように都内に移り住むような形になっているのだから人の事は言えないしね。
ゆっくり紅茶を楽しんでいても、外は夜。そろそろ帰らなきゃな。2階が住居となっている店長に礼を言って、同僚と共に僕は店を後にして帰路についていった。
翌日朝。またCafe Drop中心の一日がはじまる。
金曜と言う事もあって翌日、翌々日分の食材の確認から僕の仕事ははじまった。
昨日の閉店後の掃除が効いていて開店前の掃除は店長が済ませていてくれたからその次にするべき事をこなす…はずだったのだけれど。
「あれっ 店長!明日の分は大丈夫だけど日曜の分の珈琲のブラジル…足りない、かもしれません」
「えっ?!あ、ホントだ!ごめーん!今日は私がこっち入っているようにするから、創君、卸業者のとこまで買い出し行ってきてもらっていい?私が行ってもいいのだけど、多分それだと逆に回らなくなるでしょ」
「うっ」
「あー…」
僕がするミスは殆どないけれど、小此木さんの凡ミスは一週間に一回は見かける。そして、材料の買い付けは僕か店長のみで行っているのでどうしようもない決定事項だ。「ごめんなさいー」と横で嘆いている彼女を放置して、エプロンをはずしながら僕は言う。
「仕方ないですね。他に追加ないかチェックしてから買い出し、行ってきます」
結局足りない物は珈琲だけだったので、それほど遠くない店まで足をむけて行き、すぐに仕入れる事ができた。店内で提供する用の為、それなりの重さがあるのでカートを引っ張り出して来ておいて正解だった。カートの中に珈琲をしまって引きずるとすこし、ほんの少しだけど重い気がする。しかも、タイヤ部分の動きが悪いような。
店が所狭しと並ぶ商店街を、ソレを引いて歩いていると、なんでか途中でもっと重くなっていく気がした。疲れ・・・てるのかな?
しかも、歩くたびに逆方向に通り過ぎる人達、僕が目に映った人達の視線が、なぜか笑っている気がする。モヤっとして、そっと自分とカートを見直した。
・・・カートのタイヤにそれはひっかかるようにいた。汚い布…のようなもの。それに包まれた女の子。
そう、明らかに現代の女の子がしていい格好とは思えない風貌の子がそこにいた。
「…えっ?」
よく見てみるとその少女は包まった布は明らかに、その辺の店のゴミ置き場にあったような襤褸布…もとい服だったらしき物から、布製の鞄らしき物までが存在を示していた。
ところどころに結び目が見えるのは彼女が繋げたもののなのだろう。
夏らしい暑さが終わり、秋、というか冬を予測させるような寒さがちらほらと見え隠れするこの十一月には夜はさすがに冷える。しかもその布の隙間から見える彼女の衣服はこの時期には寒いだろう袖無しのボロボロなワンピースだ。
さすがにこれは無いだろう。保護者は一体何をしているのだと怒りさえ湧いてしまう。
警察に届ける事も考えたが、一度店に戻って店長に相談するのがいいだろうと思い。ひっかかった部分を外して、彼女を背負いながら走って店に戻る事にした。
「店長!」
バン!
と扉を押し開けると店内は常連さんが2人いるだけだった。
店の扉を開けてしまったので正直まだ客足が少なくて助かった。
「どうしたのー創く…えっどうしたのこの子?!」
驚くのは無理もないと思う。僕にだって何がなんだかまだ解っていないのだ。
「僕も解らないんですけど、帰りに不慮の事故?でこの子を拾ってしまって…」
「不慮の事故ぉ?なんだそりゃ」
背負っている女の子の頭を撫でながら店長が言っていると、食器洗いをしていた小此木さんがこちらまで寄ってきて衣服のチェックをしだしてきた。
「えっこの子、下、夏のワンピじゃない?」
「あれ、本当だ。なんでまたこんな時期に」
すぐ傍で珈琲を飲んでいた初老の常連客も井波さんと同じく服が見えたようで怪訝な顔をしている。
「そうなんです。もしかして事件性があるんじゃないかって思って…心配になって。通報するのはすぐにできますけど買い出し品の事とこの子のメンタル考えたら急いで一旦こちらに帰ってくるのが賢明かなって」
「そうね…解った。じゃあ一旦店は閉店扱いにしましょ。所持品の確認もしときたいし、この子、お風呂にいれてあげたほうがいいしね」
「あ、ありがとうございます!」
実家暮らしをしている訳でなく単身で都内暮らしをしていると、頼りにできる親族や友人が少ないのは時にネックになる。そういう事もあってか、こういう時に店長に頼れたのは本当にラッキーだと言える。
常連さんは珈琲を飲みきると、僕達の代わりにと女の子が着るのに丁度よさそうな服を買いに行ってきてくれている。この時間だと無印も開いているし、中古品店もある。少し距離を延ばせばドンキもあるからそこそこの物は手に入るだろう。
また、小此木さんはというとひとまず、眠っている子をそのままにしておく訳にもいかないからと二階の風呂場へ運んで(店から二階へ運んだのは僕だけど)、湯を張った湯船に置いて体を綺麗にして貰っている。本当なら起してからのほうが良いかもしれないけれど、起きてくれる気配がまるでないので仕方ないだろう。
そして、僕はというと店長と一緒にあの少女の所持品の確認をしていた。
「えっと…服の類は別として。これ、短剣…?なんでこんなもの…」
「で、こっちは…なんじゃこりゃ。本、か?何か書いてあるようだけど…何語かも解らんぞ」
少女の所持品は殆どと言っていいほど無く、その代わりにあったものは短剣と、よくわからない文字で綴られている本、それにアクセサリーのようなものがいくつかあるのみだった。もっと言えば、彼女は首元には鎖のようなものが何重にもかけられていて、どこかのファンタジーRPGだと奴隷にされているような格好にも見えて、現実的でないように感じる。そういえば、彼女には腕輪もつけられていた。外し方は普通ならば手首に向かって下ろすようにして取れるか、割れ目があってパカッと開けられるような仕組みになっているはずだと、外し方はどちらにも当てはまらず、結局そのままになっている。
どういった仕組みになっているのか全く検討もつかないまま今に至っているけれどそれは今は置いておこう。
問題は、刃物を持っていた事だ。短剣…というより、ダガ―、と言うにふさわしい短い洋剣らしきもの。いかにも、なものが使い古されているに相応しく、うっすらと手垢や血らしきものの痕が見えてゾッとする。所持品を見れば見るほど、少女が何者なのか不安を覚えるしかなかった。
キャアアアアア!!
小此木さんの叫び声に、はっとした。考え込みすぎて一瞬意識があらぬ方にあった様だ。
それにしても、先程の叫び声はなんだったのだろう。先に気付いて風呂場に駆け込んだ店長の背後から風呂場を覗きこむと、少女がようやく起きたのか目を覚ましていた。
いたのだけど…え、どういう事?!
少女は、風呂場にあった剃刀を手にとって小此木さんの目、ギリギリの所にやって攻撃の姿勢にいた。完全に威嚇されている。
フー、フーッと水浸しのまま攻撃態勢にいるものだから止めるにしてもちょっと怖い。
「創はそのまま。」
店長の一声で、僕は動かずにいると、店長は小此木さんと少女の間を縫うように割って入り、「そこまで」と言って二人を引きはがした。
少女はそれでもなお、威嚇してこようと体勢を整えようとするが、それすらも店長は制止させた。抱きかかえて、ぽん、ぽんと背中を軽く叩いてあやすように。
バッと、少女は店長から離れようとするものの、なぜか離れる事ができないのか、ジタバタと反抗して見せていた。何語か解らないが、まるで「何をする!」と言っているようにも見える。
「もう大丈夫、だから。安心しな。」
店長が言う。
少女は、目を見開いた。
何故、と言うように。
「ここ、は…地球、に、ほん、なのか…?」
カラン、と音がした。
剃刀が少女の手から放れていったようだった。
震えてしまいどうしようもなくなってしまった小此木さんは風呂場から出る事になった。
その結果、店長が少女の着替えや風呂場の開片づけをする事になった。
小此木さんはまだ落ち着かないらしく若干震えていたけれど、お茶を出してやると少しだけホッとした顔をしていた。
「小此木さん、一体どうしてあんな事になったの?」
悪いとは思ったけれど事実確認はしておかないといけないと思い、彼女に問い正す。
「あ、あたしにも何が何だか…目を開けたと思ったらいきなり、だったんだもの」
「そっか・・・ごめん、怖い思いさせたのに急にこんな事」
「ううん、気にしないで。多分一番不安なのはあの子だと思うし」
へへ、と苦笑交じりに言う彼女。彼女の優しさがよく伝わってくる。
少し落ち着いたかなと判断できる状態になると、僕も腰をソファに降ろして一休みしようとした。しかし、下のほうから「おーい」と声がする。おそらく少女の為に衣服を買いに行ってくれた常連客が戻ってきたのだろう。店の扉は“CLOSE”のプレートをかけて鍵を閉めてしまった為、裏から入ってもらうようにお願いしてある。
ガサガサと買い物袋の音を鳴らしながら階段を上がってくる気配がした為、僕は落ち着く間もなく立ち上がる事となった。
「お二人とも買い物ありがとうございます。後でお金お返ししますね」
買い物袋を受け取りながら僕がそう言うと、常連さん二人はぎょっとした。この2人は老長い付き合いらしい友人同士らしく、時々喧嘩腰でおしゃべりしている人達だ。奥さん方はとうに亡くしているらしいけれど、子供夫婦と一緒に暮らしているらしく不自由している訳ではないらしい。そんな彼らだからこそ何かを思う所があるのだろう。
「創君、困った時はお互い様だよ。お店の事とか私達の事とかは一切関係のない所で起きた事だ。まだ小さな子供があんな状態だなんて、あんまりじゃないか。私らからも何か手伝わせてくれ」
「うんうん。それに、創君どこから金を出すつもりだったんだい?ここの給料が悪いとは思わないけど、君だって一人暮らし大変だろうに」
畳みかけるように言ってくる二人。
「うっ
そ、それは…でも、いいんですか?」
ご好意はありがたいけれど良いのだろうか?いくらなんでも頼りきりな気がして気が引けてしまう。
「ワシらの事は心配さんな。ひ孫にプレゼントするようなものさ。あの子だってまだあんなに小さいんだ。多分小学生ぐらいの年齢だろう?それぐらいはしたって罰は当たらんよ」
「そうですか…?気を使わせてしまってすいません。」
「創君、こういう時はそうじゃないだろう?」
正論を言われてしまう。確かに、こういう時は素直に、お礼を言うのが良いのだろう。目をパチパチさせた後、はは、と空笑いしてから僕はゆっくりとお礼を言った。
「…ありがとうございます。」
買い物袋を引き取り、常連さん2人を返して後、タグを切り取って、店長の元へ行った。
「店長、そちらのほうは落ち着きましたか?」
「ん?ああ、もう大丈夫。相当酷い場所にいたんだろう。精神的にまいってたんだろうね。ようやく安全だって解って、お腹すいてきたんだろうね。うまそうにサンドイッチ食ってるよ」
キッチンテーブルに左ひじをつき、右腕を椅子の背もたれにひっかけさせてワイルドな格好で言う店長の真向かいで、少女はあんぐりと口をあけてムシャムシャと目の前のものを無心に食べている姿が見えた。
よく見て見ると少女の髪は、伸ばし放題だったようで髪の毛を横に掻き分けておかないと髪の毛まで一緒に食べてしまいそうな勢いだ。口を大きくひらいて、店長が作った店のオリジナルサンドを頬張っていて、その様は彼女の心の平安がついさっきまでなかったのではないかと実感させられる。サンドイッチの横にあったカップにはホットミルクが入っているのか、うっすらと口の周りにミルクのあとが見える。
クスクス笑いながら、ようやく落ち着いた小此木さんがその子の口の周りを拭いてやる。
少女は「んう~」と唸って、拭かれるのを嫌そうにしているけれど、先程の攻撃的な態度とは一変し、反抗するでもなく従順になりつつあるのは確かなようだった。
「ねえ君、そろそろ聞きたい事があるのだけど、いいかな?」
僕はテーブル横にある空いている椅子に座ると、彼女に質問をはじめた。
「う?」
不思議そうにこちらを見てくる瞳は、よく見てみると、右目の瞼周りが刃物か何かで傷つけられた痕跡が見える。その中央で存在を示す瞳は、左目とは違い、翡翠の色をしていて、オッドアイである事を、おそらくハーフであるのだろうと言う事を悠に語っている。また、サンドイッチを掴む左手。腕から掌にかけて、墨か何かをぶちまけられたかのように、とぐろ巻いているようにしてべったりと描かれていた。
小此木さんが風呂場で体を洗ってあげていた時に、取れるか分からずゴシゴシ擦ってみたらしいが、殆ど取れる事はなかったらしい。
傍から見ると、一瞬その手は焦がされたか何かにあったかにも見えて、とても不吉な物のようだ。
そうは言っても、この事を目の前の少女に尋ねても嫌がられるだけだろう。だから僕は先にまず聞くべき事を口にした。
「あのね、君の名前、なんて言うのかな?
あと、住んでいた場所とか、お父さんお母さんの事、解る?」
彼女は、頬張っていたサンドイッチを口から放して、ようやく言葉を発した。
「…れい。日高、零。私、住んでいたのは日本、じゃない。国は忘れた。おかーさんは、在日村だよって言ってた。お父さんは、私が生まれてすぐに死んじゃったからよく解んない。おかーさんも、もう、いない…」
泣きもせずに、というよりも無表情のまま、淡々と零というその少女は言う。純粋な日本人でないとはいえ、少女のような年齢の子が、ここまで淡々としていて良い訳がない。何もできない悔しさに、握りしめていた拳に力が入ってしまう。
「しかし、在日村か…ロシアか?それとも北京か、あるいは…こりゃ、骨が折れるね」
傍で唸る店長は、国際問題を気にしているのだろうか。それを抜きに考えるにしても、両親をすでに亡くしているのならば親戚をたどるにしても手間がかるのは目に見えている。
「店長、その辺はまた後ででいいですか?」
「ん?ああ」
零を見つけた時の格好は全てが異質だった。身に纏う衣服に、ぱっと見でも目立つ汚れ、乱れた髪に古傷とはいえ目立つ傷痕の右目瞼の刀傷。
これは、ただの外交問題だけで済む事ではないだろう。
「零、もうひとつ聞くけど。ここまではどうやって来たんだい?」
僕の質問に、彼女はびくりと震えた。
「わ、か、らない。ここに、来る、前、は、お世話になってた、孤児院に、いたんだけど、火事にあって…、それから、「もういい!」
カタカタ震えながら涙目で言う姿に、店長が零をぎゅっと抱きしめた。辛い事を思い出させてしまったせいで、情緒不安定になってしまったのかもしれない。失敗、したかもしれない。
「ごめんね…零、君を安全に保護するために、解る事は聞こうと思って黙っていたけれど…、もう、いいから…もういいからね」
辛そうに言う店長。時々店長から垣間見える陰は、気付いていた。もしかして、過去の出来事とダブって見えたのかもしれない。