表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/10

孤独な夜の魚

 月は夜空に凛然りんぜんと浮かび、月光は指先が青ざめて見える程に冷たく、不可思議な力を秘めて地上に降り注いでいた。




「ご覧よ。月光の底を泳ぐものたちを」



 彼が言った。夜に満ちる、世界を青と銀に染める波が天の高みからやって来る。その中で奇妙な灰色の魚がねた。



「シーラカンス?」

「夢さ」



 彼は薄く微笑して私の方を見た。



「あれはね」



 灰色の魚たちに片手を差し延べてみせる。



「果たされずに終わった、忘れられた夢なんだよ」

「忘れられた?」

「そう」



 彼の姿を月光が彩る。青く、青く、陰りの色に……。



「人間たちはよく夢を見る」



 跳ねる灰色の魚たちの方を見ながら彼は言った。



「あの魚たちは人の中で育つんだ。夢を抱いたその時から、あの魚たちは夢を見た者の中に生まれ、育ってゆく」

「それが何故、こんな所に? 人の中で育つのだろう?」



 私の問いに彼は微笑した。



「人は夢を見るのと同じぐらい、彼等を捨ててゆくのさ」



 灰色の魚たちの数が増えていた。その中に奇怪な灰色の影が混じる。魚より大きい。海竜の小さなもののように見えた。



「あれは……?」

「あれもお仲間。程度が大きいけどね。多分……そう、形になる程成長してから捨てられたやつだろう」

「みんな、何をしているんだ」

「見ていてごらん」



 灰色の生き物たちは月光の底を泳ぎ、跳ねたり、くるくると回転したりして遊んでいた。


 時折ぱくぱくと口を開け、何かを食べるような仕種をする。それが済むと再び月光のなかに沈み、遊び始める。



「何か食べている……」

「ああ。月の光を食べてるんだ。今夜のように青く澄んだ月光は、彼等の食物になる」

「みんな、月の光を食べて生きているのか?」

「みんなって?」

「夢たち」



 彼はしばらく黙っていた。やがて静かに答えた。



「ここにいるものたちのように、人から見捨てられたものたちはそうしている。月光には魔力があるからね……寿命を伸ばすには力がいる。


 人の中に居続けられたのなら、そんなことをする必要もないのだけれど」



 そう言い、一瞬だけ間をおいてから続ける。



「夢は、夢を産んだ人から離れては、生きてゆけないんだ」

「えっ……」



 私は彼の方を見た。



「でもあの魚たち……」

「今夜の月光でしばらくは生き延びられるだろうけど。じきに死ぬよ」



 そう言ってから私の方を見る。静かな深い、夜のような眼差しで。



「仕方ないんだ。人に忘れられた時点から、あれらは死んだも同然だった。


 それでもいつか、思い出して貰えるのではないかと命をつなぎ、生きてきた。でも、もう……」



 彼は微笑した。全てを悟り、それでいて全てを許す微笑みだった。



「人は忘れても、夢は人を忘れていないよ」



 彼はゆっくりと私の側から遠ざかりながら言った。私は彼に手を伸ばしかけ、その手を止めた。駄目だ。今の私には、その資格はないのだ。



「とても強力な夢の中では、生き延びる為に人に害を成すようになるものも、いるけどね」



 柔らかい声。静かな声。遠ざかる。遠ざかる。彼が。ずっと私の側にいた、彼が。



「私もそうしようかと思った……今夜は本当は、そうするつもりだった。


 でもできなかった。


 行っていい。もう、行っていいよ……私は忘れないけどね。あなたは私を愛したけれど、私もあなたを愛したんだよ。忘れてしまっていいよ。私は……」



 その姿が月光の中に消えてゆく。



「……この中に入るからね」




*  *  *




 月は夜空に凛然と浮かび、月光は指先が青ざめて見える程に冷たく、不可思議な力を秘めて地上に降り注いでいた。


 私は物思いからふと我にかえった。何を考えていたのだろう? 思い出せなかった。何か大切な事のような気がしたが。



「月の光に当たったんだな」



 呟くと部屋に戻って窓を閉めた。気を引締めなければならない。明日から、新しい生活が始まる。今度の仕事はきっとうまくいくだろう。高望みさえしなければ。


 ふと机の上に出しっぱなしになっていた手帳が目に入る。微笑が口元に浮かんだ。学生時代、とりとめもなくつけていた日記帳だった。あの頃は随分、いろんな夢を見ていた。



 手に取ってから引き出しの一番奥へとしまい込む。誰かの影が脳裏をよぎった気がしたが、それが何なのか、もう私には思い出す事もできなかった。



この時のお題は「海の生き物」でした。かろうじて、シーラカンスが入っています…。同時に掲載したギャグバージョン(?)、「逆襲の課題作品」(←それぞれのお題で書いていた穴埋め短編。なぜかシリーズ化してしまった)の方の受けが、こっちと比べて妙に良かった事を覚えています。


…で、ここで確認してみたら、なんて事だ。この作品は、逆襲の課題作品」を書いた後、作品をまとめる作業中に、新しく書き起こした作品と判明しました。…あっちが先だった…。


課題作品シリーズについては、この「小夜曲集」の最後におまけとして載せる予定ですので、よろしければ読み比べてみて下さい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ