表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

混沌の女王

 十と五つの時が流れる。封印の時が過ぎ、幾度目かの決断の時が来る。




 この国の、私は女王。民を護り、城を護り、長い年月のなか、この国を治めてきた。


 他国の侵略を許した事も、民を飢えさせた事もない。私は常に国の事を第一に考えて行動し、生きてきた。


 誰よりもこの国を愛していたのは私。どの王よりもこの国を護れたのも私。


 そうして私は長い年月を玉座に就いて過ごした。長い、気の遠くなるような歳月を。




 今、私は鏡の前に立つ。古えよりこの国を護り、代々の女王に受け継がれてきた、今や私の魂と言っても良い鏡の前に。


 他国の者は私は魔女だとののしり、恐れる。民たちですら、おそらく時には。


 私は非情な掟で国を護ってきた。この国に害をなす者を私は許さない。何があろうとそれを滅ぼす。そうして君臨してきた。統治する者として。国の護り主として。そうやって女王として生きてきたのだ。


 鏡には、私の姿は映らない。


 古い鏡。女王たちの鏡。何人もの女王を映し、その魂を捕らえ、映し出した。


 私の運命を操るもの。この国の運命を映し出し、そして私の娘……今や国民全てに愛されている一人娘の誕生を告げ知らせた存在。


 そこに映るものは人の姿をしていない。普段、民たちの前にある私の姿はそこにはない。


 私がこの国の女王となった時から、この鏡は私の姿を−ー人のかたちをした私の姿を映さなくなった。そこにあるものは深遠たる闇と、その中で燃え上がる巨大な炎。


 これが私なのだ。これこそが私の姿なのだ。


 国を護る執念が私をこうしてしまったのか。


 私は女王。この国の。魔力でもって君臨し、呪力によって愛し続けた。


 だが、約束の時は過ぎた。十と五つの年が消えてゆく。『始まり』の足音が近づく……そうはさせない。させてはならない。私は女王。この国を統べる者。戻さなくては。時を。全てを。


 私は娘を、殺さなくてはならない。





 一人目の娘は、鏡が飢饉を映し出した時に生まれた。予言された飢餓が来た時、娘はこの国土に実りをもたらした。私の使い、私の姫として。


 民はそれにより飢えを忘れ、国土に花はあふれた。そして飢饉の去った三年後、私は娘を殺し、その心臓を呑み込んだ。


 二人目の娘は、鏡が洪水を映した時に生まれた。予言された災害の訪れた時、娘は姫として働き、私の力を受けて水を去らせた。……この娘も二年後に私が呑み込んだ。


 三人目は、地震の時。四人目は、戦の時。


 五人目も六人目も、私が殺した。


 娘たち。私の娘たち。美しく賢く力を持ち、そして何ひとつ知らなかった娘たち。


 その美と力の故に国の姫であり、愚かさ故に私の娘であった。雪のように白く、血のように赤く――いずれも美しい姫たちだった。


 私より生まれた、私に似通った愛しい者たち。私の手の中で息づいていた娘たちの心臓。私はそれを食らい、その血をすすった。


 私から出た者を再び私の内へ戻すことにより、私は不死のと永遠の若さを手に入れた。


 今、七番目の娘の死が近づいている。


 彼女を殺さなくてはならない、己の意思に目覚めぬうちに。


 彼女が世界を望まぬうちに。世界が彼女を知らぬうちに。


 そして彼女が……そう、彼女が生きることを望まぬうちに。


 娘の心臓を手に入れて、再び完全な者とならなくては。ああ、けれど時を伸ばし過ぎた。私の力が弱まり始めている。人をやらなくては、誰か――兵士か猟師かを。一刻も早く娘を殺さなくては。殺してその心臓を。


 私は生き続けなくてはならないのだ。




*  *  *




 今、私の前には煉獄の炎の原が広がっている。果てがないかのように、延々と続く地獄の火。


 私はその中を、人々の苦悩と叫びでできた鉄の靴を履いて渡ってゆかねばならぬ。真っ赤に焼けた鉄の靴はだが、私が送ってきた人生程には辛くはなかろう。


 私は敗れた。


 娘に。私の姫に。いいや、あの兵士が娘に同情し、逃がしてやった時からそうと定まっていたのかもしれぬ。


 私は運命に負けたのだ。


 鏡の中の炎は、日を追って弱まっていき、私の力は穴のあいた壺から水がこぼれるように失せていった。


 その水の行きつく先はわかっていた。だからこそ殺さねばならなかった。


 私は弱まり、小さくなっていった。それにつれ娘は強く、大きくなっていった。彼女が己の意思を見出し、成長するたびに私は力の失せていくのを感じていた。


 殺さなくては。何としても殺さなくては。そう思った私は策を巡らし、娘に近づいた。


 だが……娘は運命に勝った。


 最後の手段にと毒を盛った私の行為も、彼女を完全な人間に変える手助けをしただけだった。今や彼女は生きたいと望んでいる。切実に。


 その燃えるような欲望が、私から最後の力を奪っていく。


 やがて私には、人の姿を留める事すら難しくなっていった。


 この国に、女王は二人もいらぬ。私は敗れ、全てを失っていく。そうしてある日、気付いた。私の炎が映らなくなり、代わって鏡に地獄の業火が映っている事に。


 娘よ。だが、娘よ。


 はるかな昔、私がそうしたのと同じように、お前は生を手に入れた。私が前の女王を打ち負かした時のように、お前は私を打ち負かした。


 その先にあるものを、だが、お前は知らぬ。娘よ。ああ、娘よ。


 いずれはお前も気付くだろう。女王として生きねばならぬお前自身に。


 生きる事を望んだ時から、お前の前に用意された運命に。


 私が娘たちに愛情を抱いていなかったと、皆、思っている。後にはそう伝えられよう。


 娘たちの心臓を呑み込む度、私の心臓も血を流していたと……誰が知ろう。


 だが私は私は、生きねばならなかった。


 国の為、民の為。


 この国を護るため、私は弱くなるわけにはいかなかった。それ故非情でなければならなかった。


 娘たちは私から分かれた炎。その全てを生きるに任せていれば、彼女等の成長と共に、私自身が分散され、最後には目に見えぬほどに小さくなり、消えてしまっていただろう。


 そうなれば、


 この国は『護る者』を永久に失うことになるのだ。

 

私が生きるか、私を吸いつくした娘が新たに生きる事になるか。そのどちらかだった。そして私は敗れた。





 暗い炎の闇が私を招いている。


 行かねばならぬ。時は尽きた。


 最後の身支度を整えた私は、鏡に向かって手を差し延べた。


 そして鏡の中に映る、私の為に用意された真っ赤に焼けた鉄の靴に足を入れ、その先にある闇の業火の中へと歩んでいった。


 行きつく先はあの業火の中。代々の女王のように私も身を焼かれ、終わるあてもない時を過ごすのだ。その果てには何があるのだろう。いつか、救いはあるのだろうか。


 娘よ、娘よ、いずれお前の夫も死に、お前は否応なく女王としてのお前自身に対面する。国を護り民を護り、炎と化さねばならない運命に。そして……娘を産む。娘たちを。


 それともお前には、別の生き方ができるだろうか?


 誰でも良い、あの国と私の娘を助けておくれ。私のような運命から、彼女たちを遠ざけておくれ。


 雪のように白く血のように赤い、そうして闇のように黒い、若い頃の私と同じ名で呼ばれる彼女を。






 彼女の名は、白雪姫。


これは「鏡」のお題があったと思います。とにかく四千文字程度で、で、悩んだ挙句に思いついたのがグリム童話でした。挿絵を描いてくれた方が、とても可愛いメルヘンな絵をつけて下さったのが、申し訳なかったです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ