囚われし者
足音が近付いて来る。重い金属の鎧を身にまとい、剣を手にし、武勲を立て姫の祝福を得ようとする男の足音が。
ではとうとうその時が訪れたのか。島を取り巻く七つの大渦と、ぶつかりあう岩の入江を無事に通り抜けられる者は今までいなかった。
とうとうその時が訪れたのか。囚われの者が開放される時が。
だが彼はまだ魔物たちを倒さなければならない。
かの人の髪は黄金なす波、その瞳は晴れた日の海のように青い。
どんな小鳥より麗しい声で歌い、その姿は内も表も、輝く水面の如くに美しい。
生ける宝、至上の宝。私は幼い姫を塔の中で育てた。人の近づけぬこの島で。
けれど姫は言った、何故あなたは私を捕らえたのですか。
なぜ私を閉じ込めたのですか……と。
足音が近づいて来る。門の魔物も一の扉、二の扉の魔物もやられたらしい。
いずれここへも来るのだろう。そうなれば……。
幼い姫をあの魔法使いから受け取った時から、私の運命は決まっていた。
あの時から。
私は姫に言葉を教え、世界を教え、私の知る様々な事を教えた。
次第に成長する姫を見つめ、私は年月を過ごした。ゆるやかな、そして至福の時だった。
けれどある日、姫は私に言った。何故私を捕らえたのです。何故私を閉じ込めたのですか……と。
――何故私を捕らえたのです――
あの魔法使いは言った。この魔法、私のアナグラムは完璧だと。いかなる者も姫を外界へ連れ出す事はかなうまいと。
ただ……ただこの渦を越え、岩を越え、魔物をたいらげ、そしてお前を打ち倒せし条件を全て満たす者以外には、と。
ああ、あの男がやって来る。五の扉も六の扉も破られた。
条件を次々と身に備え、最後の扉を打ち破らんと。冒険をくぐり抜け、勲を背にした若者が。
胸に火の如く燃える姫への思いをたぎらせて……剣持つ者が私から姫を奪いに。
姫を奪いに……だが私とて、むざむざと姫を渡しはしない。
足音が扉の前で止まった。
* * *
激しい戦いは二昼夜にわたって繰り広げられ、騎士は剣を相手の心臓めがけ、幾度となく振りおろした。
だがいっこうに相手は弱まる気配を見せず、騎士はその敵に恐怖を覚えた。
その時姫の声が響いた。騎士に味方し、支援する声が。姫の声はまた、敵の弱点をも告げ知らせた。騎士は剣を振りかざし、相手の眉間に突きとおした。
* * *
喉も裂けよとばかりの咆哮が、私の口からほとばしる。騎士は私の眉間を突いた。
それはあなたにしか教えていなかった、私の隠れた心臓の場所。
姫よ、ああ、姫よ。あなたは私の弱点を彼に告げた。それ程までに外の世界を欲していたのか。それ程までに私を疎んじていたのか。
けれど私にはもはや止める術がない。止める術がない……あなたは行くだろう、あの男と共に。
魔法使いの予言は成就する。あまたの危地を乗り越え、私を打ち倒せし者が姫を外界へ連れ去るだろうと彼は言った。そして……。
そして。
ああ、姫よ! 私は嘆く。姫よ、あなたの為に嘆く。
この島にいればあなたの花のかんばせも色褪せる事なく、人の世の悲しみに曇る事もなかっただろう。人間の世界に起こる禍つ事に振り回される事も。けれどこれからは……。
あの魔法使いはこうも言ったのだ。あなたが外へ出て一年もしない内に、あなたを救った勇者はあなたから他へ心を移す。
いずれ彼は敵の手にかかり倒れ、やがてあなたを巡り、国々は血を流す事となるだろうと。
そしてあなたとあなたの血筋は戦乱の中、多くの勇者に望まれて、更なる戦いを喚び起こすだろうと。
だからこその封印。だからこその見張り。ああ、しかし呪文は破られ、封印は解かれた。
あなたは行ってしまう。私を滅ぼして。
──何故、私を捕らえたのです──
いいや、姫、いいや。囚われていたのはあなたではない。あなたでは……。
私はあの魔法使いの呪文によってこの世に産み出された、影の生命。
あなたを育て、守ってきた。あなたの為だけに私は産まれ、生きてきた。
囚われていたのは、私の方。
この長い年月の中、私を捕らえていたものは、黄金の髪と青い瞳。
小鳥の歌声を持ち、木々をすりぬける陽光のかけら。星影の音律にも似た世にも稀なる宝、人の子の乙女。
そして今、私は滅びる、ひとふりの剣によって。あなたを解放する剣。そして私の長い苦しみから、私自身を解放してくれる剣。
古き呪文が崩れていく。私は滅び、影の中へと還ってゆく。
……かえってゆく……。
姫よ……けれど、ああ、姫よ!
私はあなたを、想っていた……。
* * *
竜を打ち倒せし勇者に、囚われの身だった姫君は駆け寄った。二人はどちらからとも言えぬ内にかたく抱き合い、くちづけを交わした。
やかて、魔法の解けた島に静寂が訪れる。全ての魔法は崩れ、消えていく。
岩の入江も大渦巻きも消え、城を護る魔物たちも消えた。そしてあの巨大なる竜も。
影から産み出されたものは全て、影の中へと還っていった。
そうして、姫は騎士と共に船に乗る。新しい天地をめざして。
希望に燃えて、絶望と血の臭いに満ちる人の世界へと。
海は穏やかに青く、すすみゆく船を風たちは助ける。若い二人を憐れんで。
船は一路、人の世界の港を目指して突き進む。その背後には、姫のいた島があった。
囚われし者の島は次第に遠ざかり、その姿は波間に小さく霞んでゆく。
きちんとした小説を書いたのは、この作品が初めてでした。童話に出てくる竜はいつもヤラレ役なので、視点を逆にしてみようと思ったのがきっかけです。今見ると、…肩に力入ってるな…。




