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王と細工師  作者: 骨貝
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91.なりたかったもの


『遅すぎたの』


 目的語のないジルフェの言葉を聞いたとき、ヴィーがその後悔の意味を知ることは無かった。

 しかしこの国の昔の欠片に触れることで、それを少し知った思いだった。どこもかしこも何かが歪んで見える異界の地にそれは、半ば埋もれるようにしてあった。


「これのことかと思っていたが……『イヴ』のことかもな」

 ヴィーは独りごちて、砕けた耳飾の荒れた表面を指でそっと撫でた。塚の向こう側、曖昧な花の色をとった光の中を泳ぐようにしてこの地に辿り着いた末に、ようやく見つけたそれを拾い上げたヴィーに、今まで不思議な記憶の幻を見せていた耳飾。今はもう何の力も持たないことを証するかのように、それはヴィーの掌の上で鈍く光ってみせるだけだ。

 国を守る花の咲いていたという塚は、空間をどう越えたものか、この場所へと通じていた。風の精霊によりあの場が結界の柱の場所として選ばれたことから考えると、あるいは元々、あの場所は『ここ』に通じている場所だったのかもしれない。それともやはり、耳飾と花が繋がっていたために起こった現象なのかもしれない。分からない。


 あの夜、ヴィーはジルフェに、花の咲く塚のこと確かめてくるよう、頼まれた。彼女はその精霊としての力ゆえに、それと相反する力に弾かれて近づけないのだと語った。だから、どうかあなたに行ってきて欲しい、と。

 酷い話ではある。魔の住処に人間を一人で行かせようというのだから。彼女はここまであの塚が通じていると知っていただろうか。

 幸いにもこの辺りには魔は暮らしていないようだったが、実際、空間を越えてここに至るまで下級とはいえ何匹かの魔に襲われた。そもそも、今こそこの地に弾かれないほどにその力が衰えているとはいえ、ヴィーとて精霊の力に頼る術師の端くれだ。『ここ』が心地よい場所のはずがない。しかし彼の体の内に眠る竜の力は渦巻く魔の力の奔流から彼を確かに守っていた。そうでなければ、自分が今どうなっていたか考えるとあまりぞっとしない。だがある意味、大変貴重な経験が出来たとも言えなくもない。未知の事柄に関して恐怖よりも好奇心を覚える性質のヴィーとしては、異界を新鮮に感じている部分もあるのも事実だ。


 存在こそ知っていたが、まさかこうしてここを訪れることになるとは、思ってもなかった。精霊術師として単身この地に訪れたことのある人間はひょっとすると自分が初めてかもしれない。そう半ば確信できるくらいには、ここは精霊と関わる人間にとってある種の禁忌だ。ヴィーが辺りを見渡せば、その輪郭を掴むことを拒むように、赤を基調とした人の地の荒野と似たその場所は刻々とその形を変えて目に映った。魔は『ここ』から、彼らの世界にやってくる。大昔に人と精霊と魔が、人の地を巡って争った。その時は魔の世界である『ここ』も戦場になったという。ということは、少なくともその時点では精霊がこの地に来られたということだが、今との違いは一体何だろうか。


 そこまで考えたとき、ヴィーをここまで導いた花色の光が背後で薄れる気配を感じ、彼は思考を中断して身を翻した。その光の他に、『ここ』から帰る手段は無い。


 慌しくその世界を離れる一瞬、ヴィーは何故だかかすかに、いつか再びこの地に来ることになるのではないかという、そんな予感がした。それを振り払うように、「国に帰ったら狸爺を散々からかってやろう」、と彼は呟いた。




 風の国よりはるか遠くにあって、風の国を守る木と同じ木があった。その周りで伸びやかにそよいでいた風は、ふと凝って人の姿をとると、真っ直ぐに北を向いた。


「イヴ……、いや、違う。でも」


 風の精霊の中でもはるか古より存在し、強大な力を持つエウリアとジルフェと並ぶその精霊は、しばらく思案した後、木から果実をいくつかとり、口に含んだ。そしてその後、今度は鳥の姿をとって飛び立った。






 暗闇に微かに明かりが灯り、その黄色い火が丸く不思議な材質の塔の床を照らし、薄く七色に輝かせている。

 そこに飴色の地図を置いて、白い髪の青年がひとり、渋い顔で頭を抱えていた。


「ロコ」

「ああ、ロイナス、だっけ?」


 声をかけると、相手は表情を緩めてこちらを見上げてきた。


「いや、ロイでいいよ」

「じゃあ、ロイ」

「うん。それにしても、明日行くことになるとはね。眠れない?」

 そうロイが尋ねれば、青年は頷いて肩を回した。


「まあ、そうだよ。城にどう入ろうかって悩んでたところ。ジルフェも今度ばかりは制約か何かで途中までしか付き合えないって言ってたし。風の精霊たちも多分そうなんだろうなあ。やっぱり花が枯れた方角から入るのが一番だとは思うんだけど、なあんか、やな予感がするんだ。皆いつもなら一緒になって徹夜するところなのに、なんでか今日に限って手伝おうともしないでさっさと寝ちゃうしさ。ロイは何か用?」


 ロイは目の前の毒気の欠片も無い青年の顔をしばらく見つめた。


「……君と女王陛下の話を、聞いてみたいと思って」

「スティの? 長くなるけどいい?」

「いや、君と、」

「嬉しいなあ。いくらでも話すよ。スティってすんごい人見知りで、昔はほとんど他人を寄せ付けなかったんだよ。僕は大丈夫だったけどね。いや、今こそ追いかけても逃げられちゃうけど、昔は逆で、彼女の方がどこでも僕の行くところについてきたがった。ひょこひょこしてて、ふわふわで、鳥の雛みたいで、たまらなく可愛かったなあ。スティってば、あんなに美人だし、頭もいいのに、全然自覚無くっていつもなんか自信なさそうなんだよね。それでも、なんだかんだ言って結局頑張ってて、謙虚というかいじらしいというか。あと、勘違いされること多いけど、優しい子なんだ」


 放っておけば、いくらでもそのまま話し続けそうで、止めようかどうしようかロイが迷っていると、ロコはふと口を噤んだ。


「昔、一体何があったか、気になった?」

 見透かすような、でも穏やかな灰褐色の目を向けられて、ロイは目を反らす。ロコは別に気分を害した様子も無く、地図に再び目を向けた。


「フィーが、あんなふうに言えば気になるよね。あ、睨まないでよ、別に君の大切な人を責めてるわけじゃない、ってなんで怒るのさ。怖いからその顔やめて、美人が怒ると迫力があるんだよ?」


 何故だか酷く怯えるロコに、なんでもない、と言ってロイはため息をつく。一瞬、鋭い顔をしたかと思えば、すぐいつものようなそらとぼけた調子に戻る。どちらもロコの本質だろうがなんだか話にくい。だからもう、迂遠な聞き方をするのはやめよう、と彼は決めた。


「女王陛下に、殺されかけたって、どうして? そもそも、さっきの話からすると、君は……」

「王族だった、一応ね。アカネもそうだし」


 あっけらかんと話すロコに、ロイは言葉を失った。しかしやがて「そう」、と一言言った。


「あんまり驚かない、っていうか疑わないんだ」

「その方が、いろいろ、納得がいくから」

「僕が似合わないのはもちろんだけど、あのアカネが王子様だったんだよ? まあ、いいけど。もう、僕たち、別人みたいにして生きてるし」

 少し拍子抜けした顔で、ロコは頬をかく。


「親子揃って、あの場所にいたことがあったなんて、今じゃちょっと自分でも信じがたいな。一時はあそこも、そんなに悪い場所じゃなかった。確かに僕にとって『我が家』だったと思う。むしろ、何も知らなかった頃は、楽しかった。父親どうしが兄弟で、僕は母親が物心付いてからいなかったからスティの母上が半分本当のお母さんみたいな感じで、よく会いに行ったよ。スティともいつも遊んでいたし、風の精霊も珍しくみんな揃ってた」


 懐かしむように、目を眇めてロコは城の地図を見て語る。

 この池で水浴びをして大目玉を食らった、大食堂で畏まって食べるより、台所に忍び込んで味見した食事の方がおいしかった。せがんで聴かせてもらった、楽器は巧みなエウリアの、あまりに音痴な歌に城中の人間が耳を疑った。重要な祭儀の折、アカネが居眠りしていて隣で冷や汗をかいた。よくこの部屋で本を祖母に読み聞かされたけれど、自分は眠ってしまって、スティにあとでもう一度話を聞かせてもらった。夜にこっそり屋上や塔の上に登って、星空を並んで眺めて流れ星を数えたり、風に一緒に乗って国中を飛んだりした。

 そういうことを、夜の四十万を破らないやわらかな声で、彼はそっと語った。そしてまた口を閉ざしたが、今度は再び話す気配が無い。何を思い出しているのか、陰に隠された表情はよく分からないが、どこか悲しそうにロイの目に映った。


 無理にその先を聞くことは無い、とロイは思った。女王に反旗を翻すのに格好な状況。女王より国民に愛されているという義賊の頭目。そして、さらに、彼は王族の血を引く。過去形であるにせよ。

 自身の懐疑的な性格と、さまざまな条件のために、ロコのことをどこかで信じ切れない部分があって、確かめたかったことがあって、ここに来た。だが、もういいか、と思った。どう転ぶにせよ、彼がステファニアを悪くすることはないだろうとロイは感じた。

 事の結末も、予想できなくは無かった。女王のいるために王位をなかなか継げないでいただろう王太子。直系ではなくても王族で、術力の強い親子。女王が継ぐことが多いと言われる国で、王位を継ぐ直系にありながら『なぜか』いつも自信がなさそうだった娘。何が引き金だったかは分からないが……、ありえない話ではない。親愛ほど、それが妬みや憎しみに変わったとき酷くこじれるものは無い。


 物思いに沈むロコに、一言辞去の意を告げてその部屋をロイが出ようとしたとき、彼は顔を上げた。


「昔、英雄がいたんだ」

「英雄?」

 ロイが首を傾げると、ロコは頷いた。

「そう。僕は、子どものころ、英雄の敵だった人のことも大好きだった。けれど、その人より英雄とまで呼ばれた存在の自由奔放さにとても憧れて、彼の足跡を辿るうちに、ここまで来た。そして、そうなるまでに、知った。英雄は、自棄を起こしてただけだったらしいって。彼の大事な人を失ったために。その結果が偉業とされたとしても、彼自身はそれで得るものが無くって、だから結局いなくなった。元々探していたものを、諦め切れなくて、手にした地位も名声も全部あっさり捨てて消えた。人の目にどう映ろうが本人は、欲しいものが、始めから違ってたんだ。

 英雄になりたかったよ。でも、今は、違う。いや、多分、僕も、始めから違ってたんだ。気づけばこの手で彼女に耳飾をつけることばかり考えてたから。

 ……そんなわけで、君の懸念しているような、輝かしい僕の姿は見せられそうにない。むしろ、滑稽に彼女に振られて詰られて、右往左往する間抜けな姿しか見せないかもしれない。それでも、君は明日、手伝ってくれるかい?」

「……『それなら』、手伝うよ」


 ロイは微笑み、「君を疑って悪かった」、と詫びて部屋を出た。






「ほらな、あれは魔だったろう?」

「アカネ、あなたは……、馬鹿なの?」


 地下牢の中ですら、飄々と笑う男に、ステファニアは無表情に言った。


「馬鹿だって?まさか、ちゃんと食事を済ませてから事を起こしたとも」

「そういうことじゃないわ。あんなもの、どこに隠し持っていたの」

「ちょうど手元にあったから」


 目の前の男は、険悪な雰囲気の食事が終わるやいなや、目のくらむような威力の術具をヤナに投げつけた。そして彼は、『無事』だった。その瞬間に、ヤナはとっさに隠し持っていた魔の強い力をもって相殺させたのだ。


「もう少し、穏便に済ませていたら、こんなことにはならなかったでしょうに」

 ステファニアはため息をついたが、アカネは鼻で笑った。


「口でいくら聞いてみたって、ああいう輩ははぐらかしてくるだけだろうよ。それより、どういうつもりだ、ステファニア?」

「何?」

「魔と知ってなお、ヤナの方を支持したりして。そうやって私を手ずから介抱するくらいお優しいんなら、ついでにここから出してもらいたいもんだ」

「駄目」


 ステファニアは、小さく首を横に振った。


 ヤナは魔だった。そして驚く間もなく、ステファニアはそれを『思い出した』。まるでかけられていた箍が外れるように、ここのところもやのかかっていたようだった記憶が鮮明になった。そして分かったことは、自分は彼に、ずっと、彼に関する記憶の一部に蓋をされたまま、騙されていたということ。ひょっとすると、操作もされていたのかもしれない。それを理解して、呆然とする彼女の方を向いたヤナは、もはや取り繕う気も無いようだった。かすかに笑い、『今夜、のつもりではなかった。けれど、ちょうどよい時期だったかもしれませんね、ステファニア』、と言った。それはつまり。


「ここでじっと大人しくしていて、そしたらすぐに終わる」

「……何が?」

「騎士軍も混ざった、反乱軍がここに来る。祭司たちの動揺がいかにも演技なのを見ると、彼らもきっと共謀しているのでしょうね。みんな一緒になって、私ひとりを倒そうというわけ。そして『彼らの』王様を、ここの新しい主にするつもりなのでしょう。彼はなんていうかしら、どうするかしら。あなたをここに繋いで、魔と共謀した私を見たら?」

「はてさて、私は例え麗しき女王陛下のためといえど、偽悪に使われるのは御免被るがね」

「あら、全部事実よ。あなたの信念を曲げる必要は無いわ」


 そう、事実だ。


 記憶が戻ってすぐは動揺があったが、ステファニアは落ち着くのも早かった。そして、変わらない想いも、あった。そんな自分が何より一番、自分を打ちのめした。

 その後すぐ、ステファニアは今にも戦おうとするヤナとエウリア、アカネを止めて、ヤナの言うとおりにする、とそれだけ言った。エウリアは心底不服そうにステファニアを見やったが、結局渋々と従った。そうするともう、アカネも何かを諦めたようだった。そして彼は、大人しくヤナの指示でわざわざ目隠しをされ、近衛騎士によって全身縄できつく縛られた挙句に、ステファニアの手でここまで連れて来られたのだ。ステファニアは、あまりにきつそうなその縄を少し緩め、出血しているところを消毒する作業をようやく終えて立ち上がる。そしてアカネが逃げ出さないよう慎重に牢から出ると鍵をかけた。振り返って、牢の中の顔を見ていると、彼を思い出した。もう随分長いこと会っていないから、ひょっとすると自分より成長しているのかもしれない。


 ヤナが、ヤナに関するステファニアの記憶と共に封じていたのは、王たろうとする彼女を支える記憶だった。それがあろうがあるまいが、関係なかったのだと知ってしまった。大好きな祖母から継いだ王位を自分は一体いつから、疎んでしまっていたのだろうか。


「ひとつだけ、ごめんなさい。出て行ったことを責めたりしたこと。私はすっかり忘れていたの、他でもない私が、あなたたちが出て行くきっかけを作ったことを」

 それこそ、ヤナと会うまで、彼女を支えた根幹でもあった。ここに、一人きりに感じるときでも、いつでも。私はああまで、祖母と同じ女王になりたかったのだと、確認できたから。だからこそとも言えるだろう、ヤナと彼を覚えていたし、祖母や自分を置いて出て行ってしまった二人を強く厭う気持ちは残ってもそれだけは、思い出さなかった。どんなことがあっても、忘れないと思っていたのに。自分のした事を。刃を向けられたあの時の、彼の表情を。伸ばされた手を。


「ステファニア」

「『さよなら』、アカネ『おじさま』」


 一瞬目を見開いたアカネを置いて、微笑んだ少女は地下牢を足早に去った。




「いったい、馬鹿はどっちだ?」


 その背を見送ってから、ひょいひょいと白衣の男は縄を抜ける。あの娘が、人に縄をかけるのに慣れているわけがないのだ。


 それにしてもステファニアは、この牢には術力が封じられる仕掛けが施されているために油断したか、あるいは逃げても構わなかったか。

 それとも、相当行き詰って自暴自棄なのか。

 考えてみて、そのどれでも、自分が軽く思われているのは同じな気がしたが、最後のはあまり気に食わない予想だとアカネは顔を顰めた。


「さて、息子に無理やり覚えさせられたもんだが、意外と役に立つもんだな。後は、牢の鍵、だが……どうするんだったか」

 性分もあって、ぶつぶつと独り言を言いながら、髪を縛っていた紐から針金を引き出すと、牢の鍵も彼はさっさと開けてしまった。


「……医者になったのは早計だったか」

 自分でも少々驚きつつ、そこを出て彼は悟った。目隠しをされた意味。わざわざあえてステファニアが彼をここまで運んだ意味。そして、見張りも誰もいない牢の意味を。


 アカネの今いるそこは、どうやら迷路の一角のようだった。

 彼はぼんやり思い出す。城にいた頃、王族だけが知る地下道があると耳にしたことが、確かにあった。

 ――――興味も無いので聞き流していたが、こんなことになるなら、医者になる勉強の合間に子どもらしく城の探検でもしておくんだった。

 そう彼は少々後悔しつつ、風の気配の無いぼんやり壁の光る道を、勘に任せて歩き出した。


お読みくださってありがとうございます。拍手くださった方、ありがとうございます。とても励みになっております。

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