84.風の長
「ぴぃ」
ポットの腕の中で、その小さな頭を伏せ、小刻みに震えていたライチが、ようやく顔を上げて鳴いた。
「…いなくなったのか?お前が怯えてる相手」
ライチは、そうだ、というように再び鳴いて答えて見せた。ライチが怯える意味が分かったのは、アカネが出て行く直前のことだ。
あの時、外で風の力が大きく動いた。ひょっとすると、先に外に出ていたロイはそれに巻き込まれたかもしれない。
ポットは、そのときのことを思い出して拳を握った。思わず飛び出していこうとしたポットに、それまでポットに向かって隠れていろとひたすら言い続けていたアカネが、これまで見たこともないような鋭い声で、『足手まといになるからここにいるんだ』、とそう言った。動けなかった。言い返せなかった。それを見て、静かに目をそらしてアカネは出て行った。
ポットは強くはない。そして、アカネがおそらく、自分をやって来た何かから守ろうとしていたんだろうということが分からないほど鈍くもない。だから足手まといという言葉は否定できるわけもない。
だが、それをすんなり受け入れるのが嫌だった。だから子どもらしいとは分かっていても駄々をこねてしまった。
それでも結局、こうして隠れ、今も地下室から飛び出て行けずにいるのは、アカネの冷たい表情を思い出してのことだ。ともかく切迫した事態であるのは間違いなく、強大な力を持った人物がいなくなっていたとしても出て行っていいのか判断がつかない。
それに、アカネの言葉がポットの頭から離れなかった。『足手まとい』。
「畜生」
力がないのが酷く歯がゆいとポットは思った。自分の分からないところで話をつけて、全て終わった後で『大丈夫』なんて言葉を寄越すだけで納得がいくわけはないのに、文句も言えない。戻ってきたらきっとアカネはそうするだろうと予測はついた。
「…戻って、来るよな」
ふと浮かんだ不吉な予感に、ポットは首を振った。あのアカネが、まさか自身が死ぬような場にのこのこ出て行くとは思えない。
「ぴ」
「どうした、ライチ?」
それまで宥めるようにポットの頬に頭を擦り付けていたライチが、いきなりぱたぱたと飛び上がると地下室の出口に向かった。ポットはそれについて立ち上がり、扉に向かう。
「なんだ?アカネとロイが戻ってきたのか」
「ぴい、ぴい」
いやにライチは興奮している。ポットがいなければ扉を突き抜けていけるだろうに、彼がそこを開けるのを待っている律儀な精霊に、ようやくポットは微笑んだ。
「わかった、行こう」
迎えに行こう。そして無駄かもしれないが、ともかく一体何があったのか聞こう。そうして地下室から出たポットは勢い良く表口の方へと向かった。
外では、ロイ、フィー、そしてヴィーの3人と、何人かの盗賊たちが顔を合わせていた。
「無事だったようだな。まあ、一日で死に掛けているようではこの先が思いやられるが」
「…ご心配おかけして、すまなかったね」
否定できない部分もあるので少々歯切れ悪くロイはヴィーの言葉に答えた。
「いや、俺は一切心配していない。お前が転移した先がひょっとして海中だったり火口だったりしたら面白いとおもっ…もとい冥福を祈っていたかもしれないが」
「それはおあいにくさま。…どうやら『そちら』も変わりないようで安心したよ」
「…ああ、まったく悲しいくらいに変わりない。もう少しお前がいなくてもよかったくらいだ」
フィーとヴィーを眺めながらのロイの皮肉に、ヴィーはそう返した。
ロイはそこで軽口の応酬をやめ、フィーとヴィーの連れてきた者へと向き直った。
「そちらの方々は?」
「ああ、盗賊なんだって。ロイを探し出してくれて、ここまで来るのに協力してくれた」
「盗賊ね。…あなたは、どうしてここに?」
フィーの応えを受け、ロイの問うような視線が、盗賊たちのある一箇所に止まる。それを受けて、ロコはにっこりと笑って見せた。
「あ、俺はロコ・マルシェって言うんだ。ここにいるのは俺が盗賊の頭だからかなあ。君がロイだよね?よろし、うぐ」
「ロコ。あなたじゃなくて、私にかけられた問いなのでは?」
ロコのすぐそばにいた大きな鳥が佳人の姿をとると、ロコを遮ってロイに向き合った。
「お久し振りというべきでしょうか」
そんなロイの言葉に、淡い色をした精霊は首を傾げて見せた。
「この姿でははじめまして」
「知り合いか?」
フィーの問いに、ロイは少し迷うように目を伏せる。
「知り合い、というよりも、知っている、という方が正しいかな。無論、向こうはこちらを知っている。なにせ、」
ロイは一瞬間を置き、測るように美しい風の精霊を見やったが、制止する様子がないのを見て言葉を続けた。
「…彼女は風の長だよ。フィー」
「風の、長?」
その事実に目を丸くするフィーを除き、ヴィーも盗賊たちも、平然とした顔をしている。一人驚きつつも、自身の魔力に怯えず、圧倒的な力を持ったジルフェの姿を思い出し、フィーは納得したように、「なるほど」、と呟いた。
「それであなたは何故盗賊のもとに?」
再びのロイの問いに、風の精霊、ジルフェは薄く笑む。
「風は自由。縛られない。知っているはず」
「ですが、精霊である以上、誠を好む。そうでしょう?…契約は?」
「…違えていない。私は守ろうとしているだけ」
静かに向き合うロイとジルフェの間に、雪をはらんだ風が吹きすさぶ。フィー達を運んできた盗賊たちは大人しく様子を見ていたが、ドンを始めくしゃみをしてみたり身震いしたりと寒そうにしている。それを見て、ロコはやおら二人の間に割って入ると声をかけた。
「まあ、寒いし立ち話もなんだし、とりあえず屋内に行くのはどうかなあ」
そう言って、彼がアカネの家の扉を開こうと取っ手を手にしたその瞬間。
「おい、アカネ。終わったんならさっさと入って来い、って、ええ!?」
「…お頭!?し、しっかりして下さい!」
見事、ロコは勢いよく家の中から開かれた扉に頭をぶつけて転倒した。
「じゃあ、やって来たアカネの知り合いに招かれて、アカネはついて行くことになった。それだけだって言うんだな」
「そうだよ。大げさに騒いですまなかったね」
「ふうん」
渋々というふうに頷くと、ポットはロイに向かって溜息をついた。
「なあ。それで、あいつがアカネの言う『ロコ』って奴なわけ?」
「そう名乗っていたね」
「あいつに任せるなんて、大丈夫なのか…?
大体、いきなりやって来といて我が物顔にこの家の中陣取ってるし、何者だよ」
遠目にポットはロコを眺めた。彼は、扉との衝突の衝撃から立ち直ると、お茶でも入れようか、と言ってうろうろしだし、熊のような顔をした大男にそれを止められ、美しい精霊には貶されている。それじゃあ僕が、と言ってお茶の用意を始めようとしたロイに、見知らぬ大勢の来訪に惑うポットはついてきて台所でロイと話していた。
「悪い人じゃないと思うよ。ほら、あの精霊も彼についている」
「それは確かにすごいけど、悪人かどうかは関係ない」
そう言いながらも、先ほどの一件を詫びるポットに、全く気にしていないから大丈夫、と言った時の青年の様子から、あれはただのお人よしだろうとポットは考えていた。せいぜいが変人だ。そんな人間が何故、ライチが先ほどからうっとり見惚れ、憧れのまなざしを向けるような精霊を連れているのかはなはだ疑問だとポットは思う。そんなポットの様子も構わず、さっさとお茶を入れると、ポットに持っていく盆を渡しながらロイは思いついたように呟いた。
「悪人…ああ、そういえば盗賊って名乗っていたけど」
「ふうん。ん?…盗賊!?」
「義賊の類かもしれないし…ポット?」
いきなり顔色を変えたポットに、ロイは声をかけたが、ポットは驚愕の表情でロコの方を向いている。
「…マルシェ」
「え?」
「奴の下の名前。マルシェって言うんじゃないのか?」
ポットから真剣な目でそう聞かれ、ロイは記憶を手繰りながら頷く。
「そうだったかな、確か」
「やっぱり!北の盗賊だ!うわあ、何でこんなところに頭のマルシェまでいるんだ!?」
「北の盗賊?」
一人そわそわしだしたポットにロイが尋ねると、彼は目を輝かせて語った。
「彼らは義賊も義賊、この国の英雄だ!当代も凄腕らしいけど、先代も凄くて、ひどい政治をしてた当時の女王様を懲らしめたらしい。あの綺麗な精霊、当代の頭が、シルフィードを連れてるって本当だったのかな。通りで皆あんなに騒ぐわけだ」
ふと、ロイはアカネの語っていたことを思い出した。
女王の耳から欠けた耳飾。
そして、王族への募る不信感。その一方で、盗賊は。
「…どんなふうに?」
「え?
ううん、と、そうだな。貧しい奴らには凄い人気だし、王族を糾弾する奴らは、北の盗賊のマルシェこそ王にふさわしいって言ってる」
「そう」
ロイは目を細めると、「行こうか」、と浮かれているポットに声をかけた。