75.お人よしの盗賊と
ずっとその場にいるわけにもいかず、ヴィーに話を聞きたがる熊のような男、もとい盗賊の一員であるというドンと名乗った男に連れられて、フィー達は盗賊のねぐらに向かうことになった。
ロイはもう一度探してみたけれど、やはり見つからなかった。「まあ、大丈夫だろう」というヴィーの無責任な言葉にフィーは怒りはしたものの、この国においてこの盗賊以上に人探しが上手い人間はいないとヴィーがこっそり耳打ちしたからしぶしぶ従ったのである。いくら国としてはイオナイアより小さい島といえど土地勘も人脈もない島でいきなり人探しは難しいだろう。
盗賊の頭とか言うロコという青年は、ドンの背で気を失ったままだ。随分ひょろりとしていて貧弱そうだが、本当に盗賊のしかも頭なのかとフィーは思った。それに義賊と入っても盗みは犯罪、おっとりしたこの青年はむしろ盗むより盗まれる側のように思われた。首を傾げるフィーはそっちのけで、興奮気味にヴィーに向かってドンは喋り続けている。
「なるほどあんたがヴィーに、そっちのお連れさんはフィーと。よろしくな!
イオナイアって、あの竜の統べる精霊国か?海を渡ってよくここに来れたもんだ、だがシオンの子孫なら朝飯前ってところか?
それにしてもまさか北の盗賊の創始者の、盗賊の時代と呼ばれる時代を築いた息子、シオンに孫がいたなんて!誰も姿を見ることが叶わず、どんな罠も鍵も彼の前には無意味とあって、心やましいところのある金持ち連中はいつシオンにお宝を持ってかれるかって震え上がってたっちゅうじゃねえか」
「…らしいな。それが誇張でないところが怖い」
まるで壁抜けできる透明人間のように語られる男が、あののんびり笑っていたヴィーの祖父のことらしいと知ってフィーは目を見開いた。ヴィーはなんでもないように、苦笑している。ドンはにこにこしている。
「そうなんだよ。盗賊が思い描く夢そのものの盗賊だった。俺もガキのころにシオンに憧れたもんだ。もっともその頃には王家すらとうとう捕まえることを諦めてて、シオンも行方知れず。唯一ご存知だろう風に聞いてもなぜだか口を割りゃしない、こりゃあ、まだ若えのにとうとうおっ死んじまったかってこの盗賊団でも噂されてたが…ひょっとしてご存命か?」
そわそわとドンは首をかしげた。フィーも首をかしげた。
「…ヴィーの爺さんって、あのしんか」
神官長だよな?と言おうとしたフィーの口元をヴィーはすかさず覆った。その上で、フィーには胡散臭いことこの上ないと感じられる実に神妙な顔をドンへと向けた。
「残念だが、祖父は亡くなった」
「そうか…まあ、生きてたって結構な年だもんな。悪いこと聞いたな」
しょんぼり、とドンは項垂れた。ヴィーは寂しげに首を振った。
「いや、気にするな。…奴が生きいてた頃、俺に昔の冒険譚に加えてここの盗賊の話を良く聞かせてくれたものだ。風に好かれるだけあって気のいい連中だって言ってたよ」
「へへ、なんか照れるな。なあ、あんたも、やっぱり盗賊だったりするのか?」
「まあ技はだいたい学んだ。針金でいかに鍵を開けるか、足音や気配をどう殺すか、果ては煙突からの家屋への侵入の仕方まで」
「直々にか、そりゃ凄い」
「確かにあれは一流だった。だが捕まった場合の対処は残念ながら聞いた覚えがない」
「がっはっは!!そりゃあシオンだ、捕まらないことが前提だったんだろうよ。捕ったにしろな、鎖やお縄を潜り抜けて頑丈な牢の鍵も開けちまったろう」
フィーは、彼らの会話中ヴィーが神官長の生死を偽っているのに抗議しようとしたが、結局ヴィーに手を放してもらえずにそれは叶わなかった。そもそもドンはこの状況をおかしいと思わないのだろうかと感じたが大笑いしているドンを見てフィーは諦めた。そこで口を塞ぐ手の主を睨み上げると、ヴィーはなにやら目配せしてきたので、何か意図があるらしいということを承諾して頷くとようやく解放される。フィーは息をついた。この寒いのにヴィーの手は熱い、と彼女は思う。ロイの手と逆である。ロイの手は、冬には死人のように冷たい。思わず心配してしまうほど。体温というのは人さまざまだな、心の温かさと反対になるという俗説は本当だろうかなどとフィーは思った。
いつの間にかヴィーからのある程度の接触を気に留めなくなりつつあることに彼女はまったく無自覚である。
そんな彼女があの神官長の若い盗賊姿を想像しようとして躍起になる間にもヴィーとドンの話は進み、一行は気付けば崖の上から下方を見下ろすような高台にいた。
それなりの厚着をしていても風は身を切るように冷たく耳が痛いほどにシンセは寒い。身を震わせながらフィーは崖から見晴るかす寒い地方特有の青色をした海の向こうにイオナイアの陸影を求めたが、やはり見ることは叶わなかった。よく見ると波が高く押し寄せる時も、何かに阻まれるようにそれは一定の位置からこちら側へ来ることがなかった。怪異である。風の力だろうか、とフィーは思った。ヴィーの結界のように、この国を覆う雄大な力。
高台の島の内側の方には、背の高い杉の森が広がっていた。その中の道なき道を、躊躇うことなく自称盗賊ドンは進んでいく。それにフィー達は従った。
「どうしてあんたらはここに?」
ドンが尋ねた。
「実は、このフィーの似ていない兄弟を探してここまで来た。ロイと名乗っているはずだ。水色の瞳に薄い金の髪…まあ髪は銀色などに変わっているかもしれないが、見違えようのない実に目の覚めるようなきらきらしい美人だ。残念ながら男だがな。歳は俺とそう変わらない」
ロイの名前が出てきたのでフィーは顔を上げて話を聞いていたが、なにやらここへ来た目的の趣旨が変わっている。確かに目下の重大な関心事ではあったけれど。平然と嘯くヴィーの言葉をあまり真に受けない方が良さそうだとフィーは思った。もとよりそこまで信頼しているわけではなかったが。
ドンはというとあっさり信じた。
「へえ、そりゃ凄い。わざわざこの不可侵の国に足を踏み入れるとは、泣かせるねえ。まあ心配いらねえ、すぐ見つけられるだろう。なんせ美人は目立つからな!…もっとも顔隠してなきゃの話だが。どっちにせよ人探しなら任せてくれ」
「ありがたい、手伝ってくれるか?」
「ああ!他ならぬシオンの孫の頼みとあっちゃあな。代わりといっちゃなんだが、シオン譲りの技いくつか見せてくれると嬉しいよ。秘伝とかじゃないなら」
「それは構わない。恩に着る。…ところで、北の盗賊を加護しているという風の精霊にお会いすることは可能か」
「可能だな。ま、あの風に慕われてたっていうシオンの話を聞いてたときたら当然興味があるだろう。ねぐらに行けば、望もうと望むまいと会えるさ」
「どういう意味だ?」
「着きゃわかる。お、見えてきた」
フィーは言葉をなくした。そこにあるのは塔のような建造物。周囲の異様に高い木々とほぼ同じ高さだが幅はこちらが勝るだろう。それは、ガラスでできているようで中を透かせることなくこちらを鏡のように映していた。上の方に風車のようなつくりのものがいくつか側面につき、からからと廻っていたがそれもまた透明。うっすらとした曇り空から届くかすかな太陽の光を反射して、建物は輝いていた。
「古代の遺物の一つ、シンセの“水鏡の塔”。まさかこの目で見る日が来るとは思わなかった。…美しいな」
ヴィーの言葉にロコを抱えたドンは振り返った。
「お、シオンから聞いてたか」
「まあな」
「やっぱり。北の盗賊のシンボルみたいなもんだからな、これは。生憎中はほとんどすっからかんだが。ま、入れ入れ!」
そう言うと、ドンは門をあけてすたすた入って歩いていってしまう。ヴィーが足を止めたのは、動かない少女がいたからである。
「…おい、フィー?」
ヴィーが呼びかけてもフィーは心ここにあらずだった。半ば予想していたことに苦笑しながらヴィーはフィーの手を引いた。
「中、入るぞ」
「ん…だが」
ぼんやりついてくるフィーはいやいやながらといった様子だった。しかし。
「…フィー、この中、見たいんじゃないのか」
「行く」
ヴィーの言葉に、フィーはヴィーの手をはずすとさっさと先に中へ入って行った。そんなフィーの様子に一つ溜息をつくと笑って、彼は彼女の後を追った。