閑話6
「行っちゃったねえ…」
「うん」
レオナとリュカ、それに父は明日に備えて帰るというフィーたちを屋敷の入り口で見送った。ちなみに彼らは、侘びも兼ねて泊まるよう父に声をかけられたが断られた。王様もそう。彼は何も言わなかったがエルファンド工房に泊まるつもりだろう。ロイさんがそれを予期してかいやそうな顔をしていた。
そんな様子に苦笑しつつも、レオナは明日彼らを見送りに行くと約束し、ナンテスさんもシライを明日から迎えるために工房に行くと言って別れた。
今夜は、またね、と言って別れられたけれど。
ふと寄せてくる感情に、レオナは首を振った。フィーたちがいない間の工房を、職人の人たちとしっかり守っていくのだ。彼らが帰ってきたときに目を見張るくらい立派に回して見せる。私の大切な居場所なのだし。
居場所、か。
家族というのもいいものなのだな、とフィーとシライ、ロイを見ていて思う。彼ら自身お互いの全てを了解しているわけでは決してないだろうけれど、それぞれがそれぞれを愛おしく思いあう温かい感情が確かに彼らの間には漂っていて、すれ違うことが時にあるのだとしてもそれはとても尊いものだと分かった。
レオナの傍らには、彼女の父と、リュカがいる。毒から覚めたレオナは王様が助力してくれたことをメイドの一人から聞き驚いてすぐに礼を述べに行ったが、王様はそんなことはなんでもない、と言って彼女にとりあえず父の元へ行くように言った。
なんだろうと思って訪ねた先で父は淡々と、けれど初めて聞くほど饒舌にレオナに向かって彼女の母と彼の間の昔話を聞かせた。そうして最後に一度だけ彼は言った。
「すまなかったな」
と。いまさら、と思わないわけではなかったけれど。
レオナは彼の部屋を訪れた際一瞬心から安堵した父の姿を見たのだ。父のその表情はすぐに消えてしまったけれど、確かに。そのせいか自分で思っていたよりはるかに、素直に受け止めることができた。
私は確かに父の子供であり、母は父を愛し、父もまた母を愛したのだということを。
今なら、私も、歩み寄ることができるのだろうか。
ここにいない義母も含めて、少しでも。
そんなふうに考え込むレオナは、少し俯いたために傍らの弟が、この屋敷からは少し見下ろす形になる街の灯をじっと見つめているのに気づいた。
思わず微笑む。
「行ってみたい?」
「護衛をつけるか」
レオナがこっそり訪ねた言葉を耳にしたらしい父が、相変わらずの仏頂面で言った。それに驚いて彼女が顔を向けると父は目を逸らした。
リュカが目を白黒させている。確かにこれは天変地異だ。レオナは噴出した。
しかしリュカはその幼い顔に思案気な表情を浮かべてなにやら考えていたようだったが、結局首を振ってこう言った。
「…いつか、祭りの街にも、行ってみたい。でも今夜はみんなで、母上のところに行きませんか」
リュカの目に浮かぶひとつの思いを見て取って、レオナはかつての自分が母に向けた思いを思い出した。
義母は、少なくとも彼女の息子にこれだけ愛されていることに気づけたらいいと願う。
そうして彼らは、屋敷の中へと引き返した。そこは冬の近づく外よりやはり温かい。
私たちは、ひょっとしたら不器用なだけだったのかもしれないのだと思いながら、レオナは少しだけフィーたちのいなくなった寂しさが薄らいでいることに気がついた。
「なあナンテス」
なにやら王様と喧々諤々な様子のロイとヴィー、さらにはシライを横目に見ながら、フィーはナンテスに声をかけた。
「なんだい、フィー」
いつもののんびりした調子で返事が返ってくる。
「なにがあった?」
「なにがって、常に嵐の目となりたがる君たちこそが起こした何かに哀れな道化師たる私は振り回されるだけだったけれど?」
「…なんか、いつになく棘を感じるな。お前とシライの間に何かあったのかと聞いている」
シライからナンテスに何かを頼むということはまず考えられない。そこまで彼らは親しくない。何より自身とロイと離れることを最終的に後押しするかのような選択を、他でもないナンテスが下したことが彼女にはよく分からなかった。
「フィオーレンティーノ!共感というのは突然に起こるものだよ。仮にロイさんの弟であることを抜きにしたってちょっと見ていて切なくなってしまうくらいにいい子だ、それが起こりやすいのは分かるだろう。そして僕が彼に共感を抱いた要因は君が自分で気づくべきだ…渦中にある君があっさりと考えるのを投げ出しにするのかい?」
「そんなこと言われてもな」
彼がシライに何らかの共感を抱いたのは事実かもしれないが、彼が彼である以上それがロイとかかわりがあるのは間違いない。そして彼は基本的にはロイのためになることしかしない。
「私に対してやけに過保護なロイがやたらに私を心配しているのを見ていられなくなった、とか?」
「…中途半端にあってるよ。まったく、何もかも私に言わせるのは酷というものだと思わないかい。誰にとっても恋とは難しく苦いもの、自分ばかり近道をしようとするのはいただけない。僕は僕の思うままに行動しただけだよ」
「そうなのか?」
そもそもなぜ万人にとっての恋の話が出てくるのか。解せない。
「君は」
ふと少し前を歩いていたナンテスがいつになく真剣な目をしてフィーを振り返ったので彼女は戸惑った。
「僕は君を、友人として大切に思っている。だからこれは忠告でもある。変なところでお節介で人を気にするくせに、一方で猪のように直行型の君は、誰より自分に向き合いがちだ。それは悪いとはいえないし生き方のひとつだとは思うよ。でもそれで周りの何かをたくさん見落としているのでないかい?」
フィーは、立ち止まる。どこかで似たようなことを言われたような。
「なんだかレオナみたいなことを言うな」
「おや、先人がいたか。そんなふうに、こんなふうに、君のために囁かれた言葉を願わくば君が後悔と共に思い出さないように願う。君の不幸は僕の愛する人の不幸でもあるからね」
ナンテスは微笑む。
「君は明日から、目的のために旅立つのだろう。けれど旅のさなか、その目的だけに決して捉われないことだ」
「万事に目を向けていたらそれこそ帰って来れないぞ」
「そうだけどね、路傍の花に目を向けることで足元をすくわれずに済むこともあるものさ。きっとたくさんの人に出会うだろう。羨ましいな、僕もロイさんについて行きたいくらいだけれど、僕はこれでもこの王都一の宝石店の跡継ぎだから。あるいはその中で君は、恋をするかもしれない」
「それはない」
「分からないよ?まあ、あのロイさんとあれほど傍にいてこんな風な君だとちょっと僕も確信は持てないけれど。目もかなり肥えてしまっているだろうし。ああ、ロイさん、貴女は月の女神のように」
「いやそれはいいから」
「・・・そう?」
ナンテスは残念そうだ。
「ああ。で?」
「ねえフィー、君自身の持つ感情は強制されるべきではないだろうけれど、君を想う人の気持ちを汲んでみることだ」
「もうほとんど同じこと言うし…」
フィーはがっくり項垂れた。
「君を見てるともどかしいんだよ」
「いやがらせか。・・・でも、ナンテス、ありがとう。まだよく分からないが分かった」
「…多少は通じたようで何より」
「シライをよろしくな」
「ああ」
別れ道まで辿り着くと、ナンテスは手を振ってふわふわとした足取りで器用に人ごみを抜けていった。
都は明日から日常へと帰っていく。その変化への予兆を抱えながら今夜はそれぞれに祭りの最後の日を噛み締めているような気配があった。
明日にはここを発つのだからと当分見納めになる町並みを、フィーは黙って眺めていたが唐突に王様がその静けさを破った。
「フィー、こいつらとは話にならない」
まだやっていたのか。王様はにやりと笑った。
「そうだ、お前の部屋に泊めてくれないか」
「…床なら」
「床か、妥協しよう」
「私の部屋の床は特別固いが」
「構わない」
「そうか」
適当に相槌を打つフィーにロイがきっぱり首を振った。
「いや、駄目だから」
「部屋の主がいいと言っているじゃないか」
「僕が家主。もういい、客室を使って」
「やれやれ、ようやく許可がでたか」
ロイはため息をついた。
「フィー何話してたの、ナンテスと」
「説教のような。よく分からん」
「分からないって、フィー」
呆れたロイの横で、シライが目を見張った。
「どうした、シライ」
「工房から声がする。なんだろう」
「ええ!?」
まだ少し工房は先のほうにあったが、シライは特別耳がいい。
何事かと顔色を変えて彼らが急いで工房に向かうと、辿り着いた先で彼らは職人たちがずらりと食卓を囲んでいるのに出会った。
「遅かったな」
「一応連絡を差し上げたはずですが」
ロイが頭をかしげる。
「ああ、確かに。でもシライも心配だったし。大丈夫そうだね?」
工房の年長者に声をかけられて、シライは、
「ご心配おかけしました、ごめんなさい。もう平気です」
と頭を下げた。
「無事ならそれで良かったよ」
「まったく心配させやがって」
それを工房の人々が取り囲んで肩をたたいたり撫で回したりしている。一通りそれが済むと、彼らを代表するように最年長の老人がフィーのところにやって来た。
「…言うことがあるだろう」
「…はい」
そうして全てを話し終えたとき、俯いているフィーを老人の手がそっと叩いた。
「よう分かった。ロイは」
ロイは、老人の目をまっすぐ見ていった。
「僕も一緒に、行きます」
「ぼくはナンテスさんのところに勉強に行くよ」
シライも続く。
「まったくこの兄弟ときたら」
老人はやれやれと首を振った。
「帰ってくるな?」
「もちろん」
声を揃えて答えると、老人は笑った。
「全員ちゃんと勉強して成長して来い、景気づけしてやろう」
その言葉と、掲げられた酒瓶にフィーは目を見開いた。責めるのでなく、力づけるように笑う面々が集った食卓には彼らが持ち寄ったらしい豪勢な食事が並んでいる。
「知って・・・待っていたのか」
「そうだ喜べ。そして今夜は徹夜だ分かったか」
「はなむけだ」
「死出の旅にならんようにな」
「爺さん縁起の悪いこと言うなよ」
「こんないきなりどこぞへ行く意趣返しじゃ」
「酔ってるよな…既に」
「ありがとう」
必ずここに帰ってこようと。フィーは、そう思った。
泊まらせろとロイにたかっていたくせに、ヴィーがいつの間にやらあっさり消えていたのにフィーは気づかなかった。
ひょい、とヴィーが体に馴染んだ匂いのする暖簾をくぐる。そこで一人テーブルを拭いている、熊のような風貌の隻腕の男は現れたヴィーを見やって笑う。
「本日は営業終了いたしましたが馬鹿息子」
「それは残念だな、帰るか」
あっさりと踵を返そうとすると彼の父にがしりと掴まれてヴィーは止まる。
「まあ待て、どうどう・・・なんかあったか」
「泊めてほしい」
父は呆れた顔をした。
「もとよりお前の家だ、好きにしろ」
「そうする」
苦笑する。フィーたちの中に割り込むのも考えものだったので、工房を出てどこか適当な場所で夜を明かすつもりだったのに、足を向けた先は思いがけず彼の生家。朝まで時間ができたからなんとなく父の顔を見ておきたくなったというのもあったのかもしれない。
彼の父は想像に違わず相変わらずだった。
翌朝。
「で、どうした」
「…ちょっと旅に出てくるからそれだけ伝えようかと思ってな」
いきなりの言葉にも、彼の父は動じる素振りもなかった。何か納得したようにあっさりと言った。
「そうか、わかった。気張って来い」
何があったのかとかどこに行くのかとか少しは尋ねてほしいような気もした。仮にも一国の王でしかも息子に対してとんだ放任主義だ。しかし父らしい。
「行って来る」
「帰って来いよ」
「ああ」
一国の王となっても、その中で城でなく帰る家がある。それは稀有なことなのかもしれない。そんなことをヴィーは思いながら、久しぶりに訪ねた懐かしい酒場を後にした。
さてフィーたちはあの調子で今日発てるのかとふと彼は不安になった。