7.冠の謎と王の呟き
王冠は純金のみで出来ている。それを目の前に腕を組んで考え込んでいるとふと思いついたことがあった。
「なあ」
「なんですか、王。喋る暇があるなら仕事してください」
俺に応じる補佐は実に素っ気無かった。
この前、王に付く補佐といったら、優秀なだけでなく豊満な美女がいいというとこの補佐は笑って、あなたアホですか、と言った。この補佐は文句なく優秀だが、男で、しかも仕事人間と来ている。最悪な組み合わせだ。
そんなわけでこいつの命令を聞く気はない。俺は補佐の言葉を無視して続けた。
「この冠どう思う」
「シンプルなデザインですね」
「当たらずとも遠からずだ」
「なんですか、なにか他に言って欲しいことでも?」
「シンプルすぎるんだ。何故、石が埋まってないのだろうな?」
「はあ?」
「輝きが足りないじゃないか」
「十分きらきらしていますよ。そんなごてごて飾り物してたら邪魔です」
「冗談だよ。いや、これでは力が半減するように思われて、な。お前黄金の力ってなんだと思う」
「…伝導、ですか」
ほう。分かってるじゃないか。だから石がもし付いていたらば王の力はより大きなものになったろうと思うのだが。
「その通り。純粋に竜神の力の受け皿となるためといえば、まあ、それまでかもしれないが」
「それでいいじゃないですか」
「うーん」
細い糸を編んだかのようなつくり。そこには石を当てはめられそうな5つの穴がある。その隙間を、デザインと見るか、欠損と見るか。
「さて。どうしようかな」
「何かひっかかっているなら私じゃなく神官長へどうぞ」
「狸が正直に答えるかな」
「聞き方によるんじゃないですか。分かりづらくてまどろっこしいことこの上ない深遠なヒントくらい、くれるかもしれませんよ」
「そのために努力する気は起きないな。……他に聞いてみたい者ならいるが、あれは答えてくれるかな」
会う口実にはなるか。
「王」
「なんだ」
「顔がにやけて気持ち悪いです。あと、判子曲がってます。書類を私が見た後だと言って一顧だにせず機械的に押していくのは止めてください」
「信頼の表れだ」
「ちっとも嬉しくありません。働け」
「働いているだろう、馬車馬のごとく」
「厩舎に行って彼らの爪の垢をせんじて飲むことをお勧めします」
「不味そうだな」
「あなたにはいい薬でしょう。大体、昼間はどこ行ってたんですか」
「慈善事業?」
「どこが。たんなる散歩でしょうが。確かに私も紅茶は好きですが、いたずらに城下に行くのはよしてください。あなたがいくら強いとはいえ、街中で正体がばれたらあなたの愛する民に押しつぶされて、うっかり死ぬかもしれませんよ。いい気味ですけれど」
「生き汚いから心配するな」
そう答えると、はあ、と溜息をつかれた。急に真面目な顔を、補佐はこちらに向けた。
「闇を払って。あなたは大体何を望んだんですか。王位じゃなかったんですか?」
「なんだろうな」
「まじめな問いにはまじめに答えてくださいよ」
「まあ、とっかかりは楽しかったことだな」
「戦うのが?」
「そう。別に最初は大層なことは考えてたわけじゃない。いつのまにか、ここにいたんだ」
「へえ、大物ですね」
呆れた口調だ。戦闘狂と暗に罵られている気がする。
「そうか? うん、だがまあ、平和は嫌いじゃない。それを望んで戦ってきたのも事実だ。夜の酒場と色町に人が集えるのはいいことだし」
「…それがあなたにとっての平和というなら羨ましいくらい暢気なことですね」
「普通だろ。お前ももう少し世俗にまみれたらどうだ。かったい石頭しやがって。俺はいつもお前のぶつけてくるカドが痛い」
「良識に痛む良心があなたに幸運にも少しはお有りのようで、よかったですよ」
「なんか遠まわしに馬鹿にしていないか」
「もっと直截的に申し上げた方がよかったですか」
「いい。なんだかもう疲れた」
「強壮薬でも持ってきましょうか」
「狸の薬は例外なく辛いからいい」
例の爺お手製だ。薬なのだから、苦いなら分かるのだがなぜか奴が寄越すのは口と喉が火傷しそうなくらい辛いのがいただけない。嫌がらせとしか思えない。
ああ、はやく仕事が終わらないものか。
「あなた次第です」
「心を読むな」
「顔色を読んだんですよ、失敬な」
「お前はたまに何も言わない俺と会話ができてることがあって怖いんだよ」
「そうですか?
……ああ、王、1ヵ月後に舞踏会がありますよね、覚えてますか?」
「なあ、お前は俺の記憶力がないものだと思っているよな?」
「まあ極度の健忘症とは思っていますが」
「…覚えてるよ、何かあったのか」
「出席が確定した招待客の一覧を作っておいたので、お目通しください。それぞれの客の詳細はすべて暗記しておくこと」
「無理」
「お願いしますね、それでは私はもう休みますので失礼いたします」
「だから無理だって」
「…なんとかしろよ、鳥頭」
優秀な部下は暴言を吐いて立ち去った。
出来ないことはない。だがしかし、招待客が何百人いるか分かっているのだろうか。面倒なことこの上ない。
舞踏会か。
呟いて、天井をぼんやりと眺める。
ガキのころは、そんなものの存在すら知らなかったのにな。それなのに無邪気に、「王様になりたい」と言っていた自分。
俺は、何を求めて王になったのか。親友で元同僚である補佐の問いへの答えは、半分は本気だ。しかし、そもそもは食いっぱぐれないために、しがない飲み屋の息子は夜を占領した闇に立ち向かうことにしたのだと言ったら、呆れられるだろうか。
…そんなことをつらつらと考えていると、なんだか滑稽だと思った。いろいろなことが。
親父は今頃、再び人の手に帰ってきた自由な夜に浮かれて、酒盛りをしているのだろう。一度城に招いたが、結局来なかった。「そんな、どん詰まりに息が詰まるとこはごめんだ」と、そう言って。でも、よくやったな、さすが俺の息子だ、と言われたときは少し嬉しかった。
「がんばれよ」、とも言っていたか。
……とりあえず仕事をしよう。そう思い、口うるさい補佐が置いていったリストを持ち上げた。ふと、その時手の甲に夕方に付けられた赤い傷が目に入った。彼女のしていた指輪に傷付けられた跡だ。もう血は止まっている其処を、丹念に指でなぞってみる。一瞬目に止まった彼女の指輪は、単純なつくりに見えるのに実はよく見るとひどく凝っていて、美しかった。きっと彼女の作品なのだろう。俺の顔は今緩んでいるだろうか。
憎悪に燃える琥珀の目を思い出す。躊躇無く切られた短い薄茶の髪が夕日に燃えてまるで鬣のようだった。彼女の憎悪は“あのひと”を思い出させて愉快だ。もういないあのひと。
初めて会ったとき、その感情を隠そうとして隠し切れない、少年のような彼女に興味がわいた。何が彼女にあのような憎悪を起こさせるのか気になって。そうでなければ、戴冠を邪魔する人間などさっさと追い払っていただろう。
そうだ。
彼らを舞踏会に呼ぼうか? すると会いに行く手間が省ける。
…楽しみになってきた。彼女は果たしてどんな格好で訪れるだろう。
断られない勝算があった。王は、くつりと笑った。