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王と細工師  作者: 骨貝
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58.祭り最終日(3)

 金髪にモノクルという目立つ風貌の男が神殿の廊下を音無く歩き続けていた。


 いまだその体にいくつか痕を残したものの、もともと丈夫な性質であるこの男、クェインは神官長による癒術と怪しげな薬湯によってどうにか体調を取り戻し、王のいる癒術室へと向かっているところだ。

 部下が「あなたは化け物ですか、我々の涙を返してください」などと泣いていたが、クェインは自分でも、負ったはずの傷が塞がれていたことに不審を抱かずにはおれなかった。

 『何者か』による止血が為されていたゆえに死なさずに済んだと神官長は言った。あの人はまた何かを隠している、とその老いてなお輝く悪戯心を忘れない瞳を眺めてクェインは思った。神官長との会話を思い出す。今朝のことだ。




『おや、起きましたか。皆で心配していたのですよ』

 目を覚まして最初に見たのは、短くない付き合いの中でクェインが敬愛してやまない老人の心底ほっとした笑顔だった。

『体調は?』

『もう動けますよ、でも』

 神官長に答えて、クェインは冠をおめおめと盗まれてしまった昨夜の一幕を思い出す。


『…私は、なんてことを』

 静かな沈黙が落ちた。国の象徴であり、契約と誓いの証。それはあろうことか闇に渡った。

 項垂れるクェインに神官長は落ち着いた声音で諭した。

『…あなたに守れないのなら誰にもあの冠を守ることなどできなかったでしょう。あの孫ですら。ですからこれは、起こるべくして起こったこと。あの冠の為にすでに全てが動き始めている。そもそもあれほどの闇に一人で対するなど誰であれ不可能な話です』

 いっそあなたに任せた孫が悪い、とまで神官長は言った。彼が、どうやら闇がソラに似た少女であることには気付いていないらしいことに気が付き、クェインは息をつきつつも続けた。


『…いや、あいつの寄越しただけの信頼に答えられなかったのです。償いのためなら、どんな罰も受けます』

 それこそ辞職でも、死でも。


『やれやれ、相変わらず極端ですな、クェイン。あなたの剣を枕元に置かなくて正解でした。ここで切腹などされては堪りません。自死などくだらない、なにごとも生きて償うのがこの私の弟子になる条件と教えたはず』

 力づけるように老人の穏やかな目が笑った。

『神官長…』

 クェインは伏せていた顔を上げた。


『…まあ、なによりどうせ今から死にかねないほどの過労の日々が待ち構えておりますから』

『神官長?』

『いえいえなんでも』

 独り言のようでよく聞き取れなかった言葉を聞き返したのだが、答えを得られず首を傾げながらも術と剣の直接の師である人物に励まされて、クェインは落ち着きを取り戻しつつあった。実は王に仕える覚悟を込めて、毒を歯に仕込んでいたのだがそれを噛むのをやめてクェインは身を起こした。


 神殿の石造りの窓から覗く晴れ上がった空を眺め、神官長は、どこか遠い目をしていた。ふとクェインはソラに似た闇のことを言おうかと迷った。だが彼が何か言葉を発する前に神官長が言ったことに彼は気をとられてしまう。

『病み上がりに頼むのは悪いのですが、あなたの上司がいまだに目を覚まさないので喝を入れてやってきてくれませんか』

『…ヴィーが、倒れた?』




 いまだ目を覚まさないとはよほどひどい傷でも負ったのかと尋ねると神官長は答えず、詳しいことは孫に聞いて欲しいと言ってクェインを追い出した。あの王に限って負ける事など考えられないが、それならばどうしたというのか。クェインは首を傾げた。


「クェイン?」


 延々と続くように見える神殿の石の廊下に、くわん、と声が反響したのにクェインは顔を上げる。するとそこには見慣れた黒髪に碧眼の男が佇んでいた。大きく円形にくりぬかれた採光用の窓から差し込む昼の日の強さの割りに、通路はやけに冷えてどことなく荒涼とした気配を漂わせていた。男はそこにやけにしっくりと納まっている。


「先ほど目を覚ましたよ。そちらももう調子を取り戻すとは、さすが俺の親友、だな」

 片眉を上げて、愉快げに男は呟いた。


「…あなたの親友になった覚えはないですが」


 クェインがそう答えると、男は目を瞬かせて、

「これは冷たい」

 と言って苦笑した。


 クェインは眉を寄せた。彼の友人は、いつだって対抗するのが馬鹿らしいほど力強く凛とした、辺りを照らすような術力を漂わせる人間だった、だが今目の前にいるこの男は。


「…あなたは誰ですか、魔」

 どんなに姿を似せても明らかにヴィーとは違うと彼にはそう分かる偽者を、クェインは睨んだ。


「…流石は、王の親友、だな。早々とばれたか。…そうだな、王様とでも呼んでもらおうか?」

 答えた男のその青いはずの目が、一瞬金色に見えたように思えたクェインは目を細めた。何者だろうか。


「ご冗談を、偽者の分際で」

「…シオンは何も申さなんだか。嘆かわしく態度が悪いことだ。王都を今守るのはかの愚王ではなくほかでもないこの我だぞ、敬ってへつらえ」


 その言葉にはっとしてクェインは王都にめぐらされた結界の気を探った。

 それは、彼の友の力に似せながらも、あくまで歪んだ魔の力に確かに間違いなかった。


「…これは、あなたが? その姿はどういうわけで? 一体何が狙いですか?」

「まったく、そうつんけんとしてくれるな。これから当分、長い付き合いになるのだから」

「どういう」


 問おうとすると、気に食わない笑いを残して王そのものの姿をした魔はその姿を消した。

 ……意地でも王を起こして事態の推移を問おうと、クェインは癒術室へと足を速めた。


 しかし。


「ばかな」

 たどり着いた部屋の中で、ベッドはすでにもぬけの殻だった。ご丁寧に整えられたその上には印籠の施された封筒が一つ。

 呆気に取られつつクェインがその中身を取り出すと、2枚だけ手紙が出てきた。

 ヴィーの性格に似合わないが間違いなく彼のものである流麗な字で、一枚目には昨晩の経緯とクェインを労わる言葉があった。そして二枚目。



――

 いつか狸爺が言ってた言葉を前にも話しただろう?石を鍵にするとか言うあの予定だ。あれが思っていたより少し早まっただけ…と言いたいところだが、まあ実際は状況も随分変わってしまったな。

 ソラに似た闇が現れたり、胡散臭い魔がこのイオナイアを守ったりすることになるなんて流石の俺だって考えもしなかった。しかし魔の方は少なくとも狸爺の知り合いらしいし悪くはしないだろうと思う。……多分な。お前の傷をふさいだのもあいつらしいから一応感謝はしておけ。そもそも、あいつがチットとか言う賊がぶち切れる原因を作ったんだがな。まったく。


 ともかく、こんなわけで、俺は国とフィオレンティーノと竜に対して責任をとるためにも冠を取り返しに行って来なければならないようだ。悪いがもう行く、フィーの奴せっかちどころじゃない短気なところがあるから、今日明日にかけて旅立ちそうなんでな。

 それでは後をよろしく頼んだ。じゃあな。


  ―――ヴィエロアより国一の石頭に可能な限りの理解を求めて

――



 …もう冬そのもの、といえそうな冷たい風が、ヴィーが逃亡のために使ったのであろう窓から吹き込んできて、立ち尽くすクェインの金の髪をさらりと揺らした。


「…あの馬鹿王!」

 無人の癒術室にクェインの声が空しく響き渡った。






 クェインが一人癒術室で立ち尽くしていた頃、エルファンド工房にて。


 朝食、というよりもはや昼食の後、フィーは部屋に引きこもって出てこないし、シライは「ちょっと出かけてくるね」と言っていなくなってしまった。


 あれから一階の工房で、ロイは術具を作っていた。幾人かやって来ていた仕事好きの職人達に軽く挨拶を交わした後は、一人ただ黙って作業するロイを気のいい職人達はそっとしておいてくれた。


 …祭り中の今は開店休業のようなものだからいいけれど、明日にはフィーのことを言わなければならないな、とロイは思う。もう自分に彼女は止められない。フィーが決めたことを、心から願って決めたことをロイは結局止められないのだから。

 彼らは、どう反応するだろう。

 あるいは帰ってこれないような旅に出るという彼女のことを、一体どう伝えれば。いや、フィーに話させるべきか。


 頭の片隅で考えながら色ごとに石を分けていく。

 静かにロイは基盤となる術具それぞれの用途に合わせて分けた石を嵌めていった。それが済むと、石に術を籠め、細工には紋を刻んでいく。

 石に籠めるのは護身の術が一般的だが、ロイの作るのはそれに留まらず攻撃用のもの、心身の痛みを和らげ精神を落ち着かせるものまであった。竈から発せられる熱で工房は少し暑いくらいだった。ロイの白い額を珍しく汗が伝う。

 ただ、集中して術具を作り上げていく。

 彼にとってそれは一番集中できる作業だったはずだった、それなのに。


 がり、

 という音を立てて、彼は鏨で指を刺してしまった。どっ、と血が出るのを、ぼんやりロイは見つめた。細工を作る折に傷を負ったのは、一体いつ以来だろうと惚けたことを考えた。確か、まだ習いたての頃以来だな、とフィーや母の慌てた顔を思い出す。


「…ろ、ロイさん!?」

「店長!?大丈夫か、おい!」

「まさしく白魚のようなお手に傷が!」

「きゅ、救急箱、いや、神官を呼ぶんじゃ」

「じゃ、じゃあ俺が」


「いや、そんなたいした傷じゃないから」

 どうやら横目でこちらの様子を窺い続けていたらしい、お節介で愛すべき工房の職人達が狼狽して寄ってきたのに苦笑しながらロイは答えた。


「…店長?」


 不安げな目がこちらを向いた。確かに声がやけに空ろな調子だな、と自分で思ったのだからそれも仕方ないことかもしれない。水場で傷を洗っていると、背後から声が上がった。


「あのな」

 それは、ロイが生まれる前からここでずっと勤めていた古株の職人の老人のしゃがれた、低い声だった。きゅ、と水を止めると、ロイは振り向いた。老人の深い緑の目がロイを静かに見つめた。本当の祖父のように慕っているその顔の深い皺を眺める。固そうな顔は老いてなお逞しい。


「わしは正直前店長がいなくなった時にな、どうなるかと肝を冷やしたもんだった。そりゃあここにはフィーっつう天才職人もいれば、どいつも腕は悪くない。だが前店長の人柄や才覚を慕ってやってきたものもいるし、大体経理も分からんだろう表にあまり出たがらないひよっこロイが店を継ぐとなると、はて工房は立ち行くものかと心配した」

「…そうでしょうね」


 ロイは微笑んだ。己の容姿が過剰に人目を集めるのを嫌い、学校を出た後は工房に篭って術具作りに没頭していたものだ。確かにあの頃の自分が頼りになるなどとは誰にも思えなかっただろう。


 母が生きていた頃のことだ。彼女が、

『外に出て、あんたの容姿で客を引いて来てくれると助かるんだけど』

 などと遠慮なく言ったことがあった。

『それは嫌』

 知ってるからわざと言ってるに決まってるだろう、と母は笑った。

『まあ思春期なんてそんな時期もあるかな。好きにしなさい。私はあんたが大抵のことはやればできる子って知ってるから。…ただ、ちょっと日に当たったほうが健康的とは思うけどね、ロイ?大体私のほうが息子より色黒って事実がちょっと堪えるからどうにかして欲しいなんてわがまま、母さんは言わないんだから!…言っちゃったけど。容姿なんて嫌でもいずれ衰えるんだから、堂々としてりゃいいのよ。全部ひっくるめてあんたはこの私の自慢なんだし』

 そう言っていつもの豪快な笑みを浮かべた。どこから一体あの自信は湧いてくるのだろう、というような衒いの無い鮮やかな笑顔。


 フィー同様、ロイも母の笑顔は誰にも負けない力があったように思う。懐かしい。

「だがな、」

 老人の続く言葉に、記憶から意識が引き戻される。


「小さい頃からおぬしを見とる所為か、どうも子ども扱いしすぎるきらいがあったのは認めよう。背は伸びたが相変わらずの優男ぶりで体力もあるものかというようなおぬしはしかし、よく仕事をこなしたからな。この工房の誰よりもおぬしが働いていたのは知っとる。母であり師であり竜細工師のおぬしの母がなくなったのは誰より痛手だったのはおそらくロイ、おぬしだったろう?だが弱音一つ吐かんかったな。いや、そんな暇も無かったか。不眠不休でおぬしの母親の遺作を整理して、それが済んだころにはフィーの細工を売り出して、術具で独自の顧客も掴んだ。時には容姿を利用することになっても厭わなかったな、おぬしはこの工房を継いで守ろうといつだって必死だった」


 老人は溜息をついた。


「気付きながらも頼りきりですまんと思いつつ今までなんもせなんだ。あまりに鮮やかに一人でこなしてしまうでな。…こちらは細工に専心するだけでよかった。思えばかなり楽をさせてもらったものだ。ロイよ、もう十分この工房はやっていけるようになったとわしは思う。一時くらいならわしらだけでもまわせるくらいにはな。だからな、あー、もし必要なら長期休暇くらいとったってぜんぜん構わないんじゃ、ロイ」

「…どういうことですか?」


「必要じゃろう?例えばおぬしのやんちゃな弟弟子に付き合ったり、な」

 老人はウィンクした。職人達も同意するように頷いた。


「知って」

 ロイは息をつめた。

「ありがとう。でも僕には」


「…シライか。あいつにも何か考えがあるようだったが。

 シライ、あの子は本当に痛ましいくらいに気がきくな。いろいろ話した後にはどこぞへいってしまった」

「あの幼さでしっかりしてるよな」

「ロイさんに似てますよね、どこか」


「…シライがフィーの話を? シライはどこへ!?」


 気を緩ませたようだったロイが途端声を荒げたことに工房の人々は驚きつつ首を振った。そう言えばシライにしては珍しく行き先を告げずに『行ってきます』とだけ言っていたことを彼らは思い出した。


「しまった」


 戸惑いを残す職人達を残し、ロイは外へと駆け出していった。


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