52.フィーを追って
フィーが、おかしい。
祭りの賑やかな人ごみの中走ると、花の妖精の格好なんて選んだためにひらひらした服があちこちひっかかっていらいらしてしまう。もっとシンプルな格好をして来ればよかったのだけれど、可愛いものは譲れない。
……私が今、何故走っているかというと、フィーが私たちを置いていくようにして行ってしまったからだ。彼女は考え事をしているとき、それに夢中になって周りに構わず無意識にすごい速さで歩いていってしまう癖がある。その為に周りを置いていってしまっていることに、本人に自覚は無い。今がまさにその状態だった。
「ちょ、ちょっと待ってよフィーってば!!」
フィーは、息を上がらせながらその名を呼ぶ私に振り向いてもくれない。
まるで私が告白する前のフィーのようなそっけなさだ。……フィーを好きだったことを後悔はしないけれど、ふとあの頃を思い出してちょっと悲しくなる。私がフィーに振り向いてもらいたくてどんなに積極的になっても軽く受け流され続けてきた。そうだ、この比ではない扱いを受けてきたんだからこれくらいでめげはしない。私は気を取り直して、人ごみに埋もれそうなフィーの姿を見失わないよう睨むようにして彼女を追いかけた。
精霊と名乗る人たちが去った後。
どんな関係なのやら知らないけれど、なにやら親しげに王様と話しこんでいたフィーは、彼の元から私たちのところにやってきた。俯きがちなその時の彼女の顔は、私が知っているどの顔よりも深刻で複雑な表情だった。
どうしたというのだろう。
いぶかしげに彼女を見つめる私の視線に気付いたのか、私とシライの傍まで来たフィーは、笑おうとして失敗したみたいなへたくそな笑顔を浮かべる。それに酷くどきりとした。
フィーは言った。
「レオナ、シライ、心配かけてすまなかったな……もう済んだから。行こう?」
そのまま歩き出してしまった彼女の様子に、一体どうしてそんな顔をしているのか問い詰めようとした私は何も聞けなくなってしまった。
思えばあの時、問い詰めてしまえばよかったのだ。
なぜならフィーは、その直後に走っているのではないかという速さで闘技場をすたすた歩いて後にしてしまったのである。いきなりの彼女の行動に、わけが分からないまま私たちはあっさり大きな距離を置かれてしまった。
取り残された私たちは、人ごみを器用に縫って歩くフィーを慌ててみんなで追いかけた。しかしロイさんは、フィーを一緒に追いかける途中で工房のお得意さんというかロイさんのファンであるお嬢様方に出会い、捕まってしまったので脱落。シライも彼にそっくりなところに目をつけられて…もとい、気に入られてしまったようで一緒になって拘束されてしまった。その時、ロイさんに目顔でフィーを追いかけろと託されたのだ。……お嬢様方に笑顔で応対しているのに、彼の目がその一瞬鋭い光を帯びたのはとても恐ろしかった。
別にそれに押されたというだけではないけれど、必死になって私は今人語を話す虎猫と共にフィーを追っている。
「一体どうしたって言うのよフィー……ねえ、あなたは分かる?」
「ニャー?」
どうやら彼は人語を操るのを辞めたらしい。やはり猫は猫、人の言葉を話すのは酷く疲れるのかもしれない。
けれどなんとなく、彼も首を傾げているような雰囲気を私は感じた。
「あなたにもわかんないかー……どうしたんだろうね、フィー」
祭り最終日を明日に控えて今日は仮装で一晩踊り狂う。道に溢れる人々の間を抜けていくのは至難の技だ。けれど人々の纏う原色が目に痛い中、フィーの黒いシルエットはやけに目立つためどうにか見失わずにいる。
フィーに関して私に分かるのは、私が会ったことのない彼女の師匠の冠をどうやら盗まれてしまったらしく、それにひどくフィーが驚愕と憤慨を覚えていたらしいこと。そして、多分それに関連してあの王様と何かあったのだろうということ。その何か、がよく分からない。
他に、ひょっとしたらと思っていることがある。フィーは、あの王様のことをどう思っているのか、ということだ。剣舞のときと試合のときのフィーを思い出す。……横目でふとフィーを見やったとき、彼女はずっと王様の一挙一動に見惚れていた。でもそれは他の観客だって同じだったはずなのに、私はそのフィーに少し見蕩れた。だってその目は少し潤んでいて、全体的にどこか切ないものが混じったとても綺麗な表情だった。
「ねえ。フィーは、王様を……うぎゃっ」
考え事に気をとられていた所為か、隕石の散った欠片に躓いて私は見事にこけてしまった。私の少し前を走っていた猫が倒れた私に潰されてもがく。苦しそうな鳴き声に、慌てて身を起こす。
「あ、ごめんね、今、どくから……。うわ、痛い」
見ると、ぶつけた膝小僧から血が出ている。どうにか立ち上がって辺りを見回しても、フィーは見当たらなかった。どうしようかと途方にくれる。
たくさん溢れる人。その中でただ立ち尽くす自分。それを感じたとき、ふと、とても冷たいものが心の中に落ち込んできた。忘れようと思っていたのに。
「フィー…どこに行っちゃったのよー…」
あてどなく歩き出すと、猫もひょこひょことついてきた。怪我した私に合わせたゆっくりとしたペース。気遣うようにこちらを見上げるそのなにやら心配げな顔に、少しだけ感じていた孤独が薄れた私は、つらつらと猫に話し出していた。
「ねえ。私実は王様の結婚相手候補になっちゃったんだよ。信じられる?」
その言葉に猫は少し目を見開いた。
「信じられないよねー。私だってそう。今日王様を見てて、確かに凄く素敵な人だとは思ったよ。でもさ、私お妃様なんかになりたくないの。あの家ときっちり縁を切って、平民の人と結婚して町暮らしするのが私の夢なんだ。……私は誰か自分で見つけた好きな人と結婚できないのかなあ」
猫はちいさく首を傾げたようだった。その仕草に微笑む。
「うん。私も諦めたくはないけど。
それにしても、フィーが男の人だったら、私はプロポーズだってしたのに。そうしたらフィーと結婚して幸せなお嫁さんになっていたかもしれないよねー。……まあ、ふられちゃったと思うけどね」
……今日、継母は父がその話を持ち出した朝から様子がおかしかった。
いつだって私に対する彼女の態度はお世辞にもいいとは言えないけれど、今日は特に酷かった。慣れている無視に加えて、彼女の瞳に色濃く覗いた敵意と憎悪が嫌で予定より早く家を出た。私が出て行くことをあんなに望んでいたのに、彼女は一体何が気に入らないのだろう。今の私の望みだってきっと知っているだろうに、私の不幸をいっそ喜べばいいのに。
私は、王様と結婚してしまうことになるのだろうか。でも、そうしたらフィーは?
「どうなっちゃうのかな、いろいろ」
「ニャー」
この祭りが終わったら。
なんだか全て動き出すのではないのかというそんな予感がなぜかあった。これは、なんだろうと思う。なんだか不思議なその予感と足の痛みを振り払うように、フィーが向かっていたはずの方向へと私は足を速めた。