50.ヴィー
43番目の相手と戦い始めて、半刻は経っただろうか。
いまだかつて出会った中で、父に次ぐ斬り合いにおける最長記録を目の前の痩身の男は更新し続けている。口調といい、おどけた仕草といい、ただふざけているように見えてかなり腕が立つ赤毛の青年。ヴィーと同程度に剣が使えると言っていい。魔法使いと言ったが果たしてどのような訓練を積んだらこんな人間が出来上がるのか。魔法使いになるのすら、困難であるというのに。
「どうしたの~、王様?」
「いや、なんでもない」
「…ねえ、愉しいね。そう思わない?」
その言葉にヴィーはふと我に返ったようにそうだな、と言った。
「戦うのって楽しいよね。ルールは単純、ただ相手を殺っちゃうだけ」
剣をぺろりと舐め、愉悦に歪むチットの表情。それを見て、自分もチットと同じ顔をしていたに違いないとヴィーは思った。
なぜならヴィーは歓喜していた。相手の刃が頚動脈や心臓を掠るそのたびに。ヴィーを上回るその速さを実感するたびに。
そうして半ば宝石のことを忘れて、夢中で斬り合っていた。確かに愉しかった。久々に遠慮なく力を出せるということが。
…惜しむらくは、少々不公平な状態であること。ヴィーは術を使えないが、チットという魔法使いはこちらに間接的に影響のある魔法は使える。それは目くらましであったり、幻術であったり。ヴィーも術を使えないこともないが、民を守る結界に影響が出るのは万一にも防がなければならないために出来れば剣術で倒したいところだ。
互いに、なかなか生じない勝機を窺っている状態が続く。
長引く、か。正直分が悪い……
と、ヴィーが考えていたとき。隙の無かったチットが、何かに気をとられたようにこちらから離すことのなかった視線を揺るがした。
それを逃すヴィーではない。
「おっと…しまった、なあ」
ヴィーの剣が閃き、チットの体から、血が飛んだ。それを見て、観客から歓声が上がった。しかしチットはぺろりと唇を舐めて、妖しく笑っただけ。ヴィーは苦い顔をした。
「こんなに血が出たの久しぶり~」
「…避けたか」
勝負を決定付けるほどの手傷ではない。ヴィーは構えなおした、が。
チットの傍の空間が、歪に歪んだ。
そこから現れたのは半ばどす黒い血に染まってはいるものの確かに鮮やかな青をした服の少女。盛り上がりを見せていた観衆が、いきなり降って沸いた惨状にざわめきだす。
立ち尽くして、ヴィーは、息を呑んだ。
もたれかかるように、ヴィーと対峙している男に倒れこみ、目を瞑って浅い息をしているその少女は。
「ソ、」
「ギル!?ちょっと、うわ、どうしてこんな怪我して…」
名を呼ぼうとしたヴィーを遮り、彼との試合を放棄するように手に持った剣を投げ捨てて、チットは少女を両腕で支えた。少女がうっすらと開いた目は確かにヴィーがかつて心から愛したとび色。
血塗れた少女はヴィーのほうを向くことは無くチットに向かって静かに答える。表情は、無い。
「ち、と…ごめんなさ、…傷負ったけど、かん、むりここに、あるから、…予定ど、お」
「喋らないで!!今止血する」
少女に手を掲げて澱みなく呪文を呟くチットの言葉にも、少女から流れる血は止まらない。少女は再び目を瞑ると、気を失ったようだった。
「…なんで!!」
歯噛みするチット。チットはそのまま着ていた上衣を脱ぐと躊躇無く裂いて止血を始める。
…そんな二人を前にして、ヴィーは動けなかった。今斬れば、とどこかで囁く自分の声がやけに遠い。
代わりに心臓が激しく脈打ち、ガンガンと頭で反響を続ける疑問。
あの人は、ソラ、なのか?
止血を終え、まるで自分の熱を分けようとでも言うように、少女を抱きしめたチットの赤毛の先が黒く染まる。彼はそれに構う様子は無く、そのまま立ち上がった。そして呆然としたヴィーを一瞥し、静かに声をかけた。
「なあ王様、ショック受けてるとこ悪いけど試合は棄権ってことで…」
「待て!冠を返せ!!」
舞台の階段から響く声に、壇上の二人は顔を向ける。そこにいるのは血濡れの少女と似た色の、けれどもっと短い髪を持ち男装している少女。
息を切らしたフィーがギラリと光る目でチットを見据えた。
チットは、フィーを見て目を見開いたが、ふと表情を変えて睨んだ。
「ねえ、ギル刻んだのってあんた?…ギルの怪我から感じる魔力の匂いが、あんたと同じなんだけど」
「…違う」
「じゃあ、なんで冠のこと知ってるの?ねえ?」
チットの目に浮かぶ狂気をはらんだ様子に、フィーはけれど怯まなかった。彼に一方的に斬りかかられた記憶が蘇った。…ただでは、済まないだろう。
「魔に、聞いた」
「へえ。…じゃあ、あんたが、そいつの飼い主?なら、ペットの不始末に責任取るのも当然あんただよね、フィオレンティーノ」
陽気さを取っ払ったチットの声は、無機質だった。チットは少女を片手で抱き上げ、そのまま空いた方の手を掲げた。
「あんたが竜細工師だからって、その体、古代禁呪にまで耐えられるかなあ。あんまり歪み受けるの嫌だから本当は使う気無かったけど、今は例外。だって」
片頬をゆがめるように笑う青年。その目だけ笑っていないのが、どこか歪にフィーを捉えた。
「ギルに害為す奴なんかみんな死ねばいいから」
チットが高速で何か唱え出す。フィーにすらそれは見えた。暗い紫色の光が文字となってチットの回りで円を描き始める。次第にそれが収束していく。対処のしようも無くフィーが固まっていると、少し離れた群集から上がった声があった。
「ヴィー! 何をぼうっとしてるんだ馬鹿、フィーを守れ!!」
「ヴィエロア王、その少女は闇だ! 惑わされるな!!」
それにはっとしたように動いたヴィーが走りこんでフィーの前に立つ。
私を庇う、背。体が触れるほど近い。
またずきりと収まっていた頭痛が帰ってきて、思わずフィーは目を瞑る。
「へえ、ギルを傷つけた魔の主を、仮にもあんたが庇うわけ」
チットの声がした。すぐ傍のヴィーが、どこか動揺に震えるような気配を感じて目を開く。しかしヴィーの背はしっかりと揺らがずそこにあって、フィーは瞬いた。…どんな表情をしているかは、見えない。けれど王様は頷いた。
「じゃあ、フィオレンティーノと一緒に死んでみる?」
くすりと笑うと、チットは掲げていた手を下ろそうとした。が、それは中途で止められる。
赤毛の青年の手を止めているのは、彼が抱えている少女のあまりに小さな手だった。
「チット、あの子は、駄目」
「ギル…?なんで。あいつが、」
「私は大丈夫だから。…ねえ、チット、あの子は私に触れて笑ったの」
少女が浮かべたそのどこか果敢ない笑みに、ああ、あの少年と同じ、とフィーは思った。間違い、ない。
少女のその顔を見てチットは詠唱を止める。
「…分かった。ギルがそう言うなら」
途端に彼の周りに展開された魔方陣も消え去った。そして、チットも魔方陣とともに姿を消した。
いきなり姿を消したチットに誰もが愕然としていると、少し離れたところから再び彼の声が上がる。
「あんたに手は出さないであげるよ、フィオレンティーノ」
チットは元の調子で意地悪く笑う。
「・・・でも、冠も、そして宝石も貰っていく」
「何!?」
チットが手品のように瞬間移動して現れたのは、舞台から離れた神官長のすぐ傍だった。そこには5つの涙が収められた箱。騎士が呆気にとられるうちにチットはそれをひょいと鮮やかな仕草で掴むと、ヴィーに向けて手を振った。
「追いかけてこないでね~、王様。プレゼントをあげるから」
「待て、勝負に決着は付いていない、それにその少女は、」
硬直していたヴィーが声を上げる。
「何言ってるの、理不尽に物を奪うのが盗人家業じゃない。それとこの子はギルだよ~。僕の愛しい人。今は、ね」
見せ付けるように少女の額に口付けたあと、ぱちん、とチットが指を鳴らす。
途端、空から轟音が響く。何かが燃えながら、落ちてくるような…
それに対して訝しげに頭上を見上げた誰もが絶句した。月明かりを遮るような、それは。
「隕石、だと!?馬鹿な!!」
フィーは思わず叫ぶ。
空からオレンジ色の発光を伴って燃えながら落ちてくるそれは一瞬流れ星のように思われた。
しかしその大きさと地上に迫る速度から隕石としか呼びようの無い。あまりのことに現実味が無かったが、それは存在感を増しながら確実に王都へと近づいてくる。そのため数刻すると我に返ったように人々は逃げ出そうとした。惑いパニックに陥る人々を眺め、まるで滑稽な劇でも見るかのようにチットはけたけた笑う。
「すっごいでしょ~。さ、オレに構わず早く対策取らないとあんたの大事な王都潰れちゃうよ、王様?
では、もう会うこと無いと思うけど、アデュー」
無責任とも思える口調で高らかにそう告げるとチットは消えた。
冠が持っていかれてしまったことにフィーは愕然としたが、自分よりも失意を感じさせる人間が傍にいた。…赤毛の青年が抱いた少女のいた場所を、ヴィーは見つめ続けている。こんなときに何を呆けているのかとフィーは叱咤しようとしたものの、彼が浮かべる表情を見て、声がでなくなる。フィーはいつかと同じことを思った。やはり彼はこんなに脆い、人間だ。1歩。少女が消えた先へ彼は歩み出そうとした。フィーは何故だかそんな彼を止めようと手を伸ばしかけ、そんな自分に驚いたように手を引っ込めた。
しかしヴィーのその足は、他のものの為に自ずから止まる。彼の耳に響いた声ゆえに。
「王、助けてください!」「王様!!」「私、死にたくないよ…」
どんどんと近づくあまりに巨大な隕石から、逃げ切れないと悟った人たちが次々と声を上げだしたのだ。もはや時間はそう残されていないとそれで分かる。
そのためか、耳を劈くような悲鳴はさらにクレッシェンドをかけるように次第に大きさを増しながら響いた。救いを求める声、声、声。それにフィーの頭痛はいや増した。ずっと前に同じような悲鳴を聞いたことは無かったか。ずき。
足元がおぼつかなくなった彼女をそっと支えたのは、いつやって来たとも知れないロイだった。
「あり、がとう」
「どういたしまして。まったく、フィーったらまた無茶をして。心臓が縮むかと思った」
冠も5つの石も奪われ、おまけに隕石に潰されて死のうというこんな事態なのにいやに落ち着き払った彼に、うっすらフィーは微笑んだ。
「相変わらずだな。お前は叫ばないのか?心置きなく好きなことを叫ぶせっかくの機会だぞ、今なら誰も構いやしない」
「…フィーこそ相変わらずでほっとしたよ。言いたいことを叫ぶ、ねえ。死ぬその時になったら考えてみるかな」
ロイはそう呟いてフィーに向けていつものふんわりした笑みを浮かべる。
「こんなときにいちゃついている場合か!」
「多分世界が終わろうとこんな調子な気がする」
花の妖精に道化の格好の二人連れ。…と、虎猫。
「あ、レオナにシライに魔」
「あ、じゃないわよいきなり飛び出してくれちゃって!殺されかけてたじゃないフィー!私と踊る約束を果たさないつもり!?」
「馬鹿主、死ぬ気か」
「いや、そんなつもりは」
フィーは頬をかいた。レオナも意外と肝が据わっていることは分かった。魔が自身を棚に上げていることも分かった。ある意味チットがおかしくなっていたのはチットの言葉を省みるに恐らくこいつのせいだろう。
…だが何はともあれ、みんな傍にいる。
事態は刻々と悪くなる一方なのにどこかフィーは安堵した。隕石は、王の結界に阻まれて速度を落としたものの、やはり迫ってきている。
ふと、いまだに王を呼ばう人々の顔をなんとなく見回してフィーはぞっとすることになる。
それはどれもそっくりで、でも一人ひとり違っていて、それぞれ等分に存在する民そのものだった。王へ縋りつつ泣き喚くその仕草は等しいその中に、赤ん坊がいる、若者がいる、老人がいる。女がいる、男がいる。たくさんの、人が一時に一人の男に頼っている。
それを、無責任とは言えないだろう。
だってこれが、この国の『王』が背負うものだ。これよりもさらに多くの人が、ここにいるヴィー一人に縋っていくのだろう。彼が王である限りは。なんて怖い、ことだろう。王様であるということは。あの人はあんなに脆いのに、この光景を見つめて何を思うのだろう。
そう思いながらヴィーを見やって、フィーは息を呑んだ。
いつの間にか民も黙り込んだ。
そこに脆さを感じさせる人はもういない。
ヴィーは、民を見回して、いつものにやりとした顔で笑っていた。
「10年ぶりの祭りだぞ。ここに俺がいるのに台無しにすることを許すと思うか」
静寂に、朗々としたヴィーの声が響く。
途端、彼を中心に力の無いフィーすら見える可視の白い光が閃いた。それは人一人の太さの光の柱のようになって真っ直ぐに隕石へと向かっていく。
そして、重く、鈍い音と共に。
「有り得ない」
巨大な隕石は光に貫かれ、そう遠くない上空でばらばらに砕け散り、輝きながら王都中に散った。