48.守る者奪う者
「あれが『守りの騎士』クェインさんの結界か」
「すげえな。隙間がないぞ、あれ」
神殿の奥。そこに今宵配された数人の神殿騎士たちは、こっそりと囁きを交わしあった。彼らは、王が先ほど置いていった冠の為にその警備に回されていたのである。今のところ、侵入者はいない。
……この部屋まで辿り着いたものは、という意味だが。王が強めた結界により弱った魔は、神殿中に配置された騎士の数に負けた。
「王様の戦いぶりも見てみたかったけど、しごかれた思い出が蘇ってくるのもきついしな。…むしろクェインさんの張る結界が見れるなんて僥倖だったかも」
神殿騎士だったころのヴィーに鍛えられた面々はその言葉に苦笑を交わしあった。ヴィエロア王、彼を追って王の騎士になったものもいる。クェインもまあ、その一人といえなくもない。
ここにいる彼らは神殿に残った組だ。神官長に捕まったとも言えるが。
「確かに担当がここで良かったかもな。…この結界、素晴らしく綺麗だし」
七色に光るヴェールは、冠を覆い隠すように球状になってそれを守っていた。術力があるからこそ神殿騎士となった彼らにはそれは良く見えた。結界というのは通常網状になっているものであり、あのように隙間がないものとなると要する技術と集中力は途方もないはずだ。それをあっさりやってのけた男は、すっと背筋を伸ばして冠の傍に立っている金髪の文官風の男。
「これで剣術もかなり使えるっていうんだから、王様の傍付きって言うのもクェインさんなら頷けるよ」
「神様って不公平だ」
「神に仕える神殿騎士の言葉じゃないぞ」
「敵が来ないからと弛んでいないで、気を引き締めてください。いつ何時襲い掛かられても応じられるように」
ふと上がったクェインの声に、彼らはすみません、と答えて改めて警備に集中し始めた。
クェインは腹を立てていた。王は偉そうな顔をして宝石を餌に敵を誘き出す矢面に立って、冠を守れと自分をこんなところに置いた。騎士のうろつく神殿の最奥部、しかも結界をクェインに張らせることでここを守らせて。ヴィーはこの冠を一番安全なところに置きたかった、とそういうことなのだろう。
彼以外に魔や魔法使いを相手に戦うなどそうできることではないが、一人とは無謀に過ぎる。王の自覚があるのか疑わしい。
あの戦闘狂のことだから、何も考えていないのかもしれない。ただ暴れたかっただけかもしれない。だが恐らく違っていて。
「フィオレンティーノのことがそんなに重要ですか」
稀代の細工師フィオレンティーノ。師の作ったという冠の為に、仮にも王に向かってあれだけの怒りと憎しみを見せた人間だ。冠がもし、闇にでも奪われようものなら、あの細工師はどんな反応を示すか。ヴィーを責めることはないかもしれない、けれど一人でその奪還に向かうくらいのことは軽くやってのけそうだ。それを王は案じたに違いない。
「面倒な…」
誰でもいいから王に嫁がせて、彼の変な気の迷いを晴らすべきだ。この一件が終わったら最優先でそれに取り掛かろうとそう決めたクェインの耳に、奇妙な音が聞こえた。
それは、空間が歪むような音。
感じたのは、痛いほどの嫌悪感。これは、
「ここに冠を置いたのね」
暗い気配を纏いながら現れた何かは、間違いなく『闇』そのものだと、何度もそれと対峙したクェインは理解した。
ふ、と深くフードを被った闇は、冠の周りに集う騎士たちを、クェインも含めて見回した。背は随分と低いのに、まるでその睥睨はこちらを見下ろしているかのよう。
「……あなたたち、逃げなさい」
クェインは部屋に控えていた神殿騎士たちが突如現れた侵入者に迷わず構えをとるのを見てそう言った。背中を流れるのは冷たい汗。
「な、何言ってるんですか副長!」
驚いた騎士の一人が声を上げた。懐かしい呼び名で呼んでくれるものだ。神殿騎士たちから上がる非難と不満を受けて、クェインは笑った。
「私が逃げたいくらいなんですよ?それを感じすら出来ないならここにいる意味などない。足手まといになりたいんですか」
その言葉に押し黙ると、騎士たちは出て行った。
「助かるわ、無駄な手間を省いてくれて」
「あなたに人質などとられたらたまりませんから、それだけです」
そう答えながらも、フードを外した相手の顔を見て、クェインは硬直する。
「……『ソラ』?」
薄茶色の髪。澱んではいるが確かにとび色の瞳。その顔立ち、姿、それは王が愛した少女そのもので、クェインは剣にかけた手を思わず下ろす。
「ソラ、何故君がここに」
クェインの声は我知らず動揺に震えた。
「……何を言っているの?」
その声も間違いなくあの少女のものなのに、ソラにしか見えない少女は分からない、といったように小首を傾げた。
「ソラじゃ、ないのか」
「…誰と間違えてるのか知らないけれど、私は、ギルよ。別にあなたが私をそう呼びたいというなら構わないけれど」
私の名前なんて、あってないようなものだし、と少女は言った。
そうだ、彼女は死んだはず、親友がその手で弔うのを自分だって見ていた。死のその瞬間だって。慟哭したヴィーに抱えられたあの少女には、間違いなくもう命がなかった。
そう思ってみてもなお、心に生じた何かを無理やり飲み下して、少女に剣を構えて立ち向かう。ここにいるのが自分でよかった、とクェインは思った。親友は、きっとこの少女に手を出せない。
これは、ソラでなく打ち倒すべき闇。
「瓜二つの、別人か。失礼をしましたね」
「いいえ、構わないわ」
少女はそう答えるなり、す、とクェインを避けて冠へと近寄って手を伸ばしたが、バリッ、と鋭い音を立ててクェインの結界がその手を阻んだ。黒い血が滴る手を少女は赤い舌でそっと舐めるとクェインに向き直った。
「…物分りのよいあなた、抵抗などせずその冠をくれると嬉しいのだけれど」
「そうも、いきませんよ。お相手願えますか、ギルとやら。言っておきますが私は相手が女性だろうと手加減しませんよ」
「結構よ。そんな余裕ないでしょう?」
ああ、無いとも。見透かされていることにクェインは苦い顔をした。間違いなく自分が打ち倒してきたどの闇よりもこの少女は強力な闇だ。
「…では遠慮なく」
「ええ」
ぶわりと少女から膨れ上がって向かってきた歪な闇を、クェインはあっさりと払い、その勢いのまま少女へ向かっていく。
「やるじゃない」
右手に闇を凝縮させた鎌で以って少女はクェインに応戦した。クェインはひたすら打ち込む。彼女に闇を作る猶予を与えたら勝機は無い。少女はとり立ててクェインより素早いわけでも、力が強いわけでもなかった。けれど、何度も少女のその身に強い術力を纏ったクェインの剣が届いたにもかかわらず肉を深く断つまでにはいたらなかった。それ故に彼女の闇の濃さを悟ってクェインは眉間の皺を深くする。このままでは決着が付かない。ならば一撃にかける。一瞬だけ冠を見やったものの、クェインはそうすると決めた。
…ようやくヴィーは立ち直ったのだ。彼の、清々しい顔を思い出す。王として、これからもやっていかねばならないヴィーの迷いとなるものはここで断ってみせる。
「光よ」
一言彼の呟いた言葉に、彼の剣を中心に光が爆発した。
目眩むような光が収まった後。
「ば、かな」
倒れて血を吐いたのは、クェイン。少女の放った闇がクェインの身深く突き刺さっている。
少女は、光を受けてもその姿を失うことなく、立っていた。ふらついているものの、彼女がこの場に置いて勝者なのは誰の目にも明らかだ。
「あなたは、強いわね。私がただの闇ならば、きっとあなたは今ので払えていたはず」
でも私は違うの、と少女は呟いた。
「傷つけてごめんなさい。けれどクェイン、あなたそうしないと止まらないだろうから。…これは、貰っていくわね」
クェインの一撃は、結界にかけていた術力をも回して、夜に陽の光の力を呼ぶ禁術だった。闇が最も嫌うはずの必殺の術であるそれを受けてなお動く少女は、消えた結界の向こう側にあった冠を手に取る。
少女の手に触れた瞬間、それはどす黒く染まった。少女はそれを無表情に見下ろすと、懐から取り出した白い布に仕舞った。
そうして、立ち去ろうとする彼女の足をしかし掴む手があった。それは這ってきたクェインの血に濡れた手。
「待、て」
「まだ動くの?死ぬわよ、あなた」
「やっぱり、お前は、ソラでしょう」
「…違う」
「そうでなければ何故私の、名を」
「違うって言ってるでしょう!」
少女が乱暴に蹴るようにして振り払うと、力尽きたらしいクェインは崩れ落ちて気を失った。
「違う…私は」
頭をかきむしる、少女。その顔は何かを堪えるように歪んでいる。少女の周りで、闇が膨張したり、縮んだりを繰り返した。
「私、は」
「混乱しているようだな、屍鬼」
人の通れぬ隙間をくぐって部屋に現れて言い放ったのは、一匹の虎猫。それを見ると、少女は無表情に戻り、身構えた。それに伴い闇も収まりを見せる。
「…あなたは」
「みだりに我が名を呼ぶな、闇に呼ばれるなど虫唾が走る」
猫は不愉快げに尻尾を振った。
「言葉を話すなんて、猫被りをやめたの?」
「元より猫だ」
少女の問いに猫は澄まし顔だ。
「そう」
「…冠を、返してもらおうか」
「あなたは、魔。私は…あなたがそう言うのだから魔なのでしょう。不可侵を、あろうことかあなたが破るの?」
「我が主に関わることなら」
「あなたは本当に、馬鹿ね。繰り返すわよ」
「お前に言われたくはない。…やはりお前は闇の記憶を全て抱えているようだな。時に、混乱が見られるようだが」
猫は測るように少女を見た。少女の澱んだ目がそれを見返す。
「…それで、どうするの」
「お前を屠る」
「じゃあ、逃げるわ」
「待て」
消えようとする少女に、猫の手ではありえない魔の爪が伸びた。ざくり、という音と同時に、少女は掻き消える。
残ったのは、彼女から飛び散った黒い血と臥した男と猫一匹。黒い血は、やがて溶けるように無くなった。
「ち」
深手は、負わせた感触があったと猫は闇を裂いた己が爪を見つめてぺろりと舐める。だがその顔は険しい。
ふと、伸びている男を猫は見やった。この男の全力をかけた術が効いていたのだろう、少女も弱っていた。それだけに千載一遇のチャンスを逃したのは悔しかった。
「冠を持っていかれたな。主に何を言われるか…おい、男。お前の見せた努力故に一応治癒を施してやるから感謝しろ。…このままでは死ぬだろうからな」
失血が酷いのか青白い顔をした男は猫の声も届かないのだろう、無言だった。彼に向けて猫はひとつ魔法をかける。
「副長、大丈夫ですか!」
「かんむ、りは」
「それはいいですから! いや良くないですけど!!」
「生きてますね!? 生きてますよね?」
涙すら見せる神殿騎士に囲まれて、クェインが目を覚ます頃には猫はもう闘技場へと戻っていてその場にいなかった。