47.試合
「勝負あり」
打ち倒された敗者と、それを見下ろす勝者。なんとも明快な構図を目にしつつ、フィーは大きく不満を抱いた。
…正直に言おう。
決着が着くのが速過ぎてよく分からん。
「まあ、宝石目当てに一攫千金の夢をかけたとは言っても、あの王様を相手にたかだか商人風情じゃしょうがないわよね」
レオナが隣で溜息をつく。
確かに圧倒的な実力差であって、あの商人の挑戦は無謀以外の何物でなかったといえよう。いや、私も何なら宝石のために挑戦したいくらいではあったので、レオナのようなことはとても言えないが、とフィーは思った。
哀れな商人はずるずると舞台から引き摺り下ろされていく。一閃で彼を気絶に追い込んだ男は一言、「次」と言った。王様は冠を外してきたらしく、服装だってラフな格好をしている。なんとも余裕綽々としていて隙だらけに見えるのに、実際そうでないところがなんとなく腹立たしい。
古代からあるという神殿だけあって何か不思議な仕組みがあったらしく、地響きを立てながら広場が闘技場のように変形したときには驚きもしたがもはや誰もそんなことに頓着してはいない。既に戦いの火蓋は切って落とされたのだから。
ちなみに使われているのは実剣だ。使い慣れた剣でなければ不公平になるだろう、という王様のわけの分からない理屈は置いておいても、毒など仕込まれていたらどうするのだろう、ヴィーは。フィーには理解できなかった。
今のところ魔はどうやらいないらしく、彼に挑むのは人間ばかりであるのか、先ほどからばたりばたりと面白いようにヴィーに立ち向かっては人が倒されていく。この場で参加したいものは勝手にしろとヴィーが挑発したために、数人だったはずの挑戦者は元の十倍ほどには増えた。確かに、英雄と剣を交える機会など、なかなかあるものでない。王様の気さくさを目の当たりにして、やってみたいと思いたつ者が結構いたようだ。フィーとしては、一応王様も人であるからしてその体力を心配しないでもなかったが、なんだかアリが人間に挑むくらいには差があるらしいと分かったために心配は無駄に終わった。いやはや、ヴィーときたらまるで御伽噺に出てくる怪獣のようだ。その強さに観衆は熱狂して王を讃えた。
それにしても、戦うときのヴィーの目が今まで見たどんなときよりも楽しげに輝いていることがフィーには気になった。いや、むしろぎらぎらと血走ってさえいるような。白い歯が零れるほどに笑う彼を見たのは初めてかもしれない。人格が違っているのではとすら思える。
「普通の人間ではもはや太刀打ちできないといったところか」
フィーは思わず肩を落とした。間違いなく自分は敵わなさそうである。あんまり弱いならいっそ自分が宝石を手に入れてしまおうかと思ったのだけれど、ヴィーの奴、竜の力を下ろしているとはいえ恐ろしいものだとフィーは呻いた。これが仮にも英雄たる所以か。
「…倒された中には魔もいくらか含まれてはいたようだぞ。あれは本当に人間か?」
長いことただ黙って眺めていた猫がそんなことをぼやいたのでフィーは驚いた。
…魔たちは結界で力を削られることになったというからその所為だろう、きっと。フィーはそういうことにしておいた。
「まあ、魔はその本性を隠しているうちに討ち取るのが手っ取り早いというのは彼も僕と同じ意見みたいだね。できれば一撃で、というところも僕と似てるけど、これだけの結界の力に耐える魔相手にそれをするとは恐れ入る。戦闘狂、か。噂に違わないとはこのことだな」
ロイがやれやれ、と言ったように呟く。
ヴィエロア王は戦闘狂。聞いてはいたが、あんなに強いなんて。
「次。いないのか?…しょうがないな、じゃあ飛び入り参加は終わりということでよいかな」
新たな挑戦者を秒単位で倒し、汗一つかかずに問うヴィーの誘いに答えるものはいなかった。王様と斬り合いをして気絶してみたいという猛者はどうやら出尽くしたらしい。
……と、思ったのだが。
「はいは~い、43番チット、王様、俺参加したいですぅ」
ひょい、と階段も使わずにジャンプして人間一人分ほどの高さの舞台に上がった赤毛の男が一人大声で名乗りを上げた。
「…まさか変装すらしてこないとは」
少し目を丸くした王様に男はへらりと笑うと、
「そんなことしたらフェアじゃあない、と思わない?油断したあんた相手に戦うなんて、面白くないし」
と言った。
「ほう、たいした自信だな。…もう一人の少女の方はどうした?」
「…『あんたの計算どおり』、冠の方を盗りに行った。二人を離れ離れにするなんて、オレ本当はいつだってギルと一緒にいたいのに、憎いことするねえ。嫉妬?」
「実際俺の計算では少女がこちらに来る予定だったが。それにしてもなぜ嫉妬などするというのか」
「あ~、そっかぁ、まだギルと王様は顔合わせてないんだっけ。可哀相に」
「なんのことだ?」
「さあね?」
「…だって」
聴力が異常に優れているシライが壇上の二人の言葉を拾ってくれた。
「あれがチット、か」
ロイの水色の目が色を強めて赤毛の男の顔を睨んでいる。まるで道化のように大仰に、王様の言葉に受け答えする奇妙な男をフィーも眺めた。
…頭痛が強まるのを、顔に出さないように努めながら、フィーは尋ねた。
「私は、あれ相手に戦ったのだな?」
「恐らくは」
ずきんずきん。痛み続ける頭に、耳鳴りが強まり、幻聴のように聞こえてくる音があった。
ばりん、とガラスが砕ける音。
途端流れてくる映像。美しく空中に散乱するとりどりの宝石。ナイフを手に、血まみれで笑みを浮かべる赤毛の…
「魔法使い、ってもっと暗いイメージだったけどそうでもないわね。にしても、あの人が暴れて宝石店をぼろぼろにしてフィーに怪我負わせたなんて。陽気そうな人だけど」
レオナが呟く。
宝石店の惨状を齎したのは?
叫び声がする。絶叫の声、放たれる力、これはチットと言う男でなく、
「…フィー? 大丈夫?」
「思い、出した」
私の所為、だ。
「フィー!?思い出したって、どこまで…」
ロイの声。どこまで?
続けて堰を切ったように流れてくるもの、閉塞した部屋、薄汚れて欠けた皿、優しく笑った人、光の差さない石造りの…
「お、あれが5つの石か。揃ったな」
フィーとロイの間の緊迫に構わず、猫が呟いたので、思わずフィーは疼く頭を抱えつつ舞台で対峙する二人の手に掲げられたものを眺めた。
「涙…」
そこには、月の光にそれぞれの美しさを誇る赤・青・深緑・シェリー・透明の色をした涙形の石があった。離れた場所にありながら、大粒の宝石は圧倒的な存在感を放っていた。
「これをかけて、戦うのだな、賊」
「うん、俺が勝って全部持っていくからその言葉を裏切らないようにね、ヴィエロア王」
神殿騎士を伴った神官長がやって来て、2人の持つ宝石をそっと預かり宝石箱にしまう。彼が舞台から降りると、途端に殺気がヴィーとチットの間に漂った。
「王様、負けたら実験材料にしてあげるよ。ああ、楽しみ。神たる竜の血を受けた男で実験なんて、滅多にできないからねえ」
「残念ながらご期待には添えないな。俺が負けることはない」
次瞬、王と赤毛の男は相手に向かって剣を抜き、同時に動いた。
ぶわり、と唐突に大きめな炎が上がると、それは王様を目指して直進する。
「うわ、あれが魔法!? 王様大丈夫かしら」
レオナが声を上げたが、それは王様になんら痛痒を齎さなかった。『竜の加護』、私と同じだ、とフィーは思った。
勿論チットは知っているのだろう、王様の視界を火が覆った瞬間に常人離れした速さで大剣を持って迫る。きっと王様にはチットの姿が見えないはず。
「あぶな、」
ガキン、と金属が衝突する鋭く澄んだ音が響いた。
受身なのは、チットの方。
「後ろから襲うなんて卑怯。あんた仮にも元騎士でしょ」
「あくまで元だ。戦いの場で卑怯などと言うものではないぞ」
いつの間にチットの背後を取ったのか、笑う王様。
「ほんと、気配消すの上手いねえ。王様も立派な盗人になれるよ、どう?稼ぎは悪くない」
「断る」
言い合いながらも、斬り結ぶ二人。しかしどちらの刃も相手に当たることなく、剣戟だけが闘技場に響く。
「チットの方が少し速い、かな。力は王様が多少上だ」
ロイが言う。
どうやら総合的には、2人の実力は拮抗しているように見えた。しかし。
「『元』騎士か。よく言ったものだ、術力を使わないあたり騎士道を重んじているとしか思えんな、あの男」
猫がぽつりと言った。フィーもそう思った。神殿騎士であった彼なら、術力を使った戦い方が得手の筈。
「まあ、結界の方に相当力を回しているようだからそのせいかも分からんが。実際これで斬り合いながら術力を操る余裕まであるなら真に化け物だ……不可能ではないだろうが」
なるほど。続く猫の言葉にフィーは頷く。そう言われてみれば納得がいった。相手も魔法がヴィーに利かないことを思えば、純粋に剣で決着はつくということか。
勝負はどうやら長引きそうだ。固唾を呑んで見守るフィー達を置き去りにして、いつの間にか猫が消えていたことに誰も気付かなかった。