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王と細工師  作者: 骨貝
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46.剣舞と猫の呟きと

 フィーは、初めて見た。彼が剣を手にしているところを。


 まるで土砂降りみたいな歓声の中、どこか仄赤い月明かりに照らされた真っ白な神殿の階段の途上まで登る人は、王様。人ごみの端にいるフィー達からは相当に離れているはずなのに、彼は、やたら大きく見えた。白い石段に、まるで死神を模したかのような彼の黒い服が映える。伝統衣装の長い裾や袖が一歩ごとに空気に撓み、結わずおろされた艶やかな黒い髪がゆらゆらとその背でたゆとう。


 戴冠式の日を思い出す。

 あの日フィーは神殿の内側から、小さい窓越しに同じ階段を昇ってくる彼を見ていた。あの時感じたのは、一つの歴史の終焉と始まり、そして混じりけのない一心な憎しみ。

 では今は?

 今の彼の頭には冠があるが、フィーの心は凪いでいる。しかし。


 繋いでいるレオナの手が少し、震えるのを感じた。これは私の震えでもあるのかと思う。

 感じているもの…それは多分、畏怖、だ。

 あの人を人と思ったけれど、今、まるで、まるで自分とは違う生き物だと思った。

 ただ背筋を伸ばし階段を昇り行く人の何が、私にそう思わせているのかとフィーは訝った。


 やけにヴィーが、遠い。


 『王様』は、長い長い階段の中心で立ち止まる。振り返る。一瞬だけ、なぜか青い目が真っ直ぐにこちらを捉えた気がして、フィーはどきりとした。

 けれどきっと気のせいだっただろう。

 王様はその目をゆっくりと閉じたから。それはまるで何かに祈るようだった。それに合わせて時が止まったように、静かになる神殿前の広場。王都中の人間がここにいるのではないかと思えるような数の群集が唐突に黙ったから、フィーは少し怖くなった。何かを抱え込んだ沈黙が、圧し掛かるようで。


 王の剣舞を行うことはいきなり決まったものだという。たかだか急ごしらえの出し物だったはずだ。しかし、階段前には赤の衣装をまとう王の騎士と青の衣装をまとう神殿騎士が交互に並び、これ以上ない不可侵の舞台を作り上げている。




 人々の目がたった一人の男を見つめている。




 …やがて青く光る目を開けると、ヴィーは剣をすらりと抜いた。

 儀礼用の剣ではない。長く厚みがあり、どこか無骨な感じがする実戦用の剣だった。おそらく、あれで闇を払いつくしたのだろうと思えるような、使い込まれいてそれでもギラリと鈍く光る剣。それを一度、彼は天に掲げる。赤みを帯びた月をまるで睨むようにして。


 突然に、ヴィーは、剣を凪ぐとそれに伴って滑らかに動き出した。そこにはまるで空気の抵抗などないかのようだ。

 くるくると剣が回る。軟体動物のようにしなやかで、常人が真似できないような大胆な動きを、階段の高低を生かしながら行うヴィー。時にまるで曲芸師の様に大胆に、あるいは踊り子のように妖しく繊細に。緩急をつけてヴィーの体の一部のようになった剣が、その動きの急なときには速さのあまりにまるで円を描くように見えた。

 ただ、目が離せなかった。あまりにもそれは流麗だった。

 彼は初代の英雄の彫像が、動き出したかのように威風堂々としていて美しかった。




「ヴィーじゃないみたいだな」

 フィーはぽつりと言った。舞踏会の彼を眺めていても、そんなことは思わなかったのに。

「そうだね…すごいな」

 ロイも、魅入っている。

「どこで覚えたか知らないけど、あれは竜に捧げる舞みたいだ。…冠から、彼に祝福の力が流れているのが僕でも分かる」

 ロイが目を細めた。力を抑えているロイでさえ見えるというのだから、よほど強い力をヴィーは受けているに違いない。ロイはヴィーと多少仲が悪そうだとフィーは思っていたが、芸術の一端である細工というものを扱うロイの職業柄、生み出されるものが美しければそれをなすものが誰であれ惹かれ、感嘆するものなのだろう。自分と同様に。

 ヴィーに流れる力、どんな風に見えるのだろう。フィーはふと、ロイが羨ましくなった。目を凝らしてみても自分にはやはり、見えない。それでも王様の舞は、美しかった。…ひょっとするとこのように惹かれる感覚は、無意識に彼に流れる力を感じているからかもしれないとフィーは思う。レオナが横で呆けたような顔をしているのもとりたてておかしなことだとは思えなかった。もっとも、集った人間が皆ヴィーに魅せられていたのだけれど。


「見たいか?」

 シライに抱えられて付いてきていた猫がフィーにそう言った。

「見せてやろうか」


 頷く間も首を振る間もなかった。ふ、と不思議に視界が開けて世界が明るくなったと思った瞬間、フィーは気付いた。それは王から発して都中に放たれる光だと。眩しくはない、しかしそれはまるで太陽のようで。光の中で王は舞う、舞い続ける。


 陶然とすること数刻。


 ヴィーはぱちんと鞘に剣を収めた。その途端暗くなる視界に、フィーは思わず瞬きをした。ようやく慣れてきて目を上げると、一礼をして顔を上げた彼はいつもどおりのヴィーだった。そのことにどこか安堵した自分にフィーは首を傾げる。にやりと笑う彼に、沈黙と緊張感は一気に霧散した。


 口笛や、拍手、王の名を呼ぶ観衆に緩やかに手を振って笑うと王は試合の準備のためか去った。


「今のが、竜の力」

「見えたの、フィー!?」

「ああ、一瞬だったけど」

 あれはやっぱり。

「どうだ、我と契約すればこの限りでなく様々なものが見えるが」

 足元にいる猫によるものだった。

「…見えることは余計なこと、とはいえないか。フィー喜んでるみたいだしね。でも、見えすぎても大変だよ」

 と呟くロイの言葉に、力を制御しきれないときの彼の苦痛をフィーは思い出した。だから頷いて、「断る」とフィーは言った。猫は溜息をついた。




 試合の始まりを待ちながら、フィーはほっと一息つく。人ごみはここから動く様子もなく、興奮したささやきを交わしている。今のが前座だというなら試合はどうなることやら。


 ふと、ばたばた音がするのでふと見下ろすと、シライに抱えられて付いてきた虎猫が不愉快そうに尻尾を地面に打ち付けていた。


「くすぐったい…どうしたの?」

 レオナが猫の尻尾が足に当たったために、声を上げた。

「どうにも居心地が悪い。あの男め、都の結界を強めおった…魔どもが締め出されている。この後行われるという試合に雑魚は要らん、とそう言うことかな」


「…猫、それはどういうことだ」

 フィーは分からずに猫に問う。街に流された張り紙からは、賊は二人とあったはず。一人は魔法使い、もう一人の少女のことはよく分からないがともかく『5つの涙』を欲する賊は二人だけだとフィーは思っていた。

「まさか他に、いたのか?宝石を狙う者が」

 フィーは首を傾げた。

「気付かなんだか。祭りの騒ぎと人に紛れて、結界を越えうる魔という魔が集っていた」

 だから力が使えないのだとぼやきかけたフィーを遮って、猫の言葉にレオナが声を上げる。


「ええ!?魔がうろついてるなんて気味が悪いわよそれ。どうしよう、私ひょっとして魔の誰かに目をつけられたかも。だって若く愛らしい娘を魔というのは食らうのでしょう?私なんて格好の餌食だわ」

「いや、それはない」

 猫はぴしゃりと言った。


「なんだか辛口だね…冗談のつもりだったけど傷ついたよ」

 レオナが悲しそうにする。思わずフィーも非難の目を向けると猫はぱちぱちと瞬きをした。


「それはすまん、奴らには今『5つの涙』以外には目が向かんという意味で言ったのだが。

 それにしてもまったく気分が悪い。こんな時に呑気に剣舞など行うというからヴィエロア王は単なる目立ちたがりの阿呆かと思ったが、あれは竜の力を受けて己が力を増すためにやったのだろうよ。なるほど効率は悪くない。結果的に布かれた結界によって魔の弱いのは払えるし、残った輩も力が削がれておろう」


 その言葉に思わず猫のいる足元を向くと、正直我もかなりここにいるのは不快だと言って虎猫は顔を歪めた。猫が顔をこんなにしかめているのをフィーは初めて見た。猫は目の上をたわめ、なんとも不機嫌そうに金の目を凝らし、髭をぴくぴくと震わす…悪いが正直面白い。


「いっそ君もいなくなればいいのに。元いた場所に帰るといい」

 ふとロイがそう言った。

「面白そうな出し物を見逃す手はあるまいよ」

 猫は王様と戦ってみる気はないらしい。


「…君は、石が欲しくないのかい?」

 そんな猫にロイが尋ねると、魔であるそれは笑った。目を瞑って笑う猫も面白いとフィーは思った。こんなに様々な表情をするなら、猫を飼うのも悪くはない。


「あんなもの。我には必要ない。扉を開いたとて我の望むものは手に入らぬだろうよ。あんないい加減な伝承に翻弄されるほど若くはないしな」


「…『世界は鍵を開く者の思うままに』、か」


 ロイは呟いた。冠と鍵にまつわる言い伝え。だが、扉を開いた英雄だって、言い方は悪いが結局極めて普通に死んだはずだ。

「確かになんとも曖昧な言い伝えだが、なにもかも手に入りそうな響きだと思わない?魔という魔、そればかりかそれを知るあらゆる者があれを欲しているのに、要らないなどと簡単に言うね。では君は何を求めている?」


「勿論この主だ」

 フィーのほうを向くと、金の目を光らせて虎猫は笑う。その時になってフィーははっと我に返った。そうだ、これは魔物だった。ロイの術を全て受け止めてなお平然としていた猫離れしたこの猫は、あの日、『我が名を呼べ、さすれば主が死して我が血肉となる日までは仕えよう』などと恐ろしいことをのたまったのだ。どうやらそれがこの魔の正式な契約条件であるらしい。死後であるとはいえ自分の肉体が魔に食われるなどぞっとしない。それで当然のごとくフィーが断ってから、猫はどうやら拗ねてしまったのか何を聞いても無言だった。手の打ちようもなくフィーは魔除けの術具だけして放置していたが、動物好きのシライが餌をやるうちに工房にしっかり居ついてしまった。

 そんなわけですっかり忘れていたものの、思えば私を喰らう気でいたのだ、この魔は。


「…やはり帰れ」

 ロイが低い声で吐き捨てた。飄々と猫は受け流す。

「おやおや。ここまで来るのに相当苦労したというのにひどい言い草だな、我らが麗しき『女神』様。故郷を捨ててまでしてようやく念願の主の元にやってきたのに今更どこに帰れと」

「土に」


 いろいろと魔が気になることを言っているが、それをロイは無表情に全て無視した。真顔のロイはなまじ顔が整っているだけに怖い。だから彼はいつも微笑みを絶やさないようにしているのに、今に限ってはどうやら失念しているらしい。


「なあ。猫、私など皮ばかりでうまくはないぞ。だから早々諦めてくれると嬉しい。私はそれに魔力など要らない」

 フィーはそう言ったが猫は笑うだけ。

「まあそう言ってくれるな」

 しつこい。


「…それより魔はどうして石に、鍵に感づいた?」

 フィーが尋ねると猫は答えた。

「闇が覆ったであろう。逆に長らく覆っていた結界が解かれたのだから、鍵の存在など筒抜けも同然」

「しかし結界の無くなった後すぐに石を奪いに来なかったのだから、結界は関係ないと思っていたが」

「…あの時は王都中に屍鬼がいた。我々にも暗黙の了解があってな、屍鬼には手を出さない」

「何故」

「さて、な。まあ我々魔というのは無垢に綺麗なものが歪み汚れる瞬間が好きだ、元より歪んだものなど相手にしたくないのやもしれん」


 何か誤魔化されたようにフィーは思った。


「それにしても今日はよく喋るな」

「体調が悪いとこうなる」

 フィーにそう答えた虎猫の声は確かにげっそりとしているようにも思われた。

「普通逆じゃないかな」

 ロイが言うと、虎猫は、

「放っておけ」

 とだけ言った。

 それから猫はまた黙り込んだ。聞きたいことは山のようにあるのに、何故だか積極的に聞く気がしなかった。金に光る目を見るたび、本当は頭が痛くなる。

 何を、忘れているんだろう。もどかしくて、フィーは、目をぎゅっと瞑った。


「どうしたの、フィー?気分悪い?」

「そうよ、顔色が悪いわ」

 目を開くと、フィーの脇にいたレオナとロイに肩車されたシライがこちらを心配そうに覗き込んでいた。フィーは笑みを浮かべる。

「平気だ、シライ、レオナ、なんでもないんだ。ありがとう」


「…帰る?フィー、無理はよくないよ」

 ロイの手がとん、と頭に載せられた。

 帰る…?

 もうすぐ、『5つの涙』をかけた試合が始まるのだ。フィーは、やっぱり戦う王様を見てみたかった。だから言った。


「大丈夫」


「…あんまりきつくなったら言ってね」

 髪越しに伝わる冷たい手の感触が痛みを持って行ってくれるようで、フィーはしばらくそれに身を任せた。


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