5.王、再び
公爵家に行った帰りに、私は紅茶屋に寄ることにした。大口の注文を取り付けた祝いにロイにお土産を買うつもりで。
「フィー?」
私を呼ぶ声に振り向くと、そこには見知った顔がある。
「え!? なぜ、 おぅ…むぐ!?」
叫ぼうとした瞬間に相手に口をふさがれた。
風景に溶け込んで、というか気配を消して王様がいた。彼はまたもやフードを被っている。
「ヴィー、でいい」
「ぐ…」
息が詰まった。触れられる不快さと息苦しさに、仕方なく頷いてみせる。するとようやく彼の大きな手が離れていって、私は咽こんだ。
はては、私を殺す気か、貴様。
「げほ……ヴィー、あんた何で城下町にいるんだ、今一番忙しいときじゃないのか?」
「さぼりだ」
「おい」
「冗談。休憩だ」
「……」
似たようなものじゃないか。睨みつける私に、お忍びの王様は快活に笑ってみせた。
「まさかこんなところでフィーに鉢合わせるとは思わなかった。休日だから、ぶらぶらしていればひょっとしてどこか出会うかもしれないとは思っていたが。嬉しい偶然もあるものだ」
このナンパ男はよほどの暇人なんだろうか。
「俺は全くあんたと出くわす予定は無かったがな。遺憾の念に堪えない。というかあんた働けよ」
「あいにく城の部下が優秀で仕事は少ない。それにしても、やはり『俺』と称するか。まあ外だからな」
「…どう自分を称そうが、俺の勝手だ。それにしても気楽な家業だこって」
「そうじゃなきゃ、やってられない」
王様はそう言ったが、よく見ると前あったときより多少やつれていた。だから、本当にここにいるのは彼なりの息抜きなのかもしれない。そう思って少しだけ見直した。まあ、一応竜の血に選ばれた人間だ。優秀でないはずがないだろう。是非に過労死するくらい頑張ってくれ、そしたら王冠は私が貰ってやる。そんなことを考えていると、王様は首を傾げた。
「お前はどうしてここに?」
「ああ、こっちは仕事の帰りだ。
ちょっとロイに土産を買おうと思って。あいつ紅茶に目がないからな、特にここのは高いけど美味い。自分でハーブは作っても茶葉は作らないあいつのお気に入りの店なんだよ。だからロイと大口注文の喜びを分かち合おうかと」
「へえ」
「ここにいるってことは、ヴィーも紅茶が好きなのか?」
「ああ、まあな。俺は特にこだわりはないが、紅茶は好きだ。どんな銘柄でも飲むな」
無類の、というやつだろうか。まあ、王様ともなればロイヤルティー飲み放題、まずいのに当たることもないのだろう。ふうん、と呟いて、私は目当ての茶葉を探す。
……あった。この店一番人気のダージリンは幸運なことに売り切れていなかった。うきうきとそれを手に取る。ロイの驚きと喜びが目に浮かぶようだ。彼の薄い青い目が蕩ける様は見ごたえがある。アクアマリンのようで思わず目玉をくり抜きたくなる。一度心からそう言うと、褒めているのに、大層ロイが複雑な顔をしたのを思い出して、笑ってしまう。
「おまえ」
うっかり隣の存在を失念していた。声をかけられて、私は表情を消す。やはりこの王様は気配を薄めるのに随分長けているらしい。
「うん?」
しかしまだいるとは一体何の用だろう。ああ、口封じの代償のことかな。
「注文を受けた品ならまだできていないぞ。悪いな」
「……それはまあ生きてる間にくれれば、それでいい」
「じゃあなにか」
「いや、ここまで存在を忘れ去られたのが久しぶりでちょっと驚いたものでな」
その言葉に顔を向けて眺めやると、王様はどうやら面白くなさそうな顔をしている。…膨れ面というのに私は年齢制限をかけたいんだがどうだろう。王様はとっくに成人していたと思ったが。
「ああ、ごめん。あんた気配消すの上手いからさ」
というか私はあんまりあんたが好きじゃあないし仕方ない。
「何を考えていたんだ?ずいぶん楽しげだったが」
「ああ、ロイのこと考えてたんだよ。あいつの目、本当にアクアマリンみたいで綺麗だからな」
「まあ確かにな。かなりの美人だが、残念ながらあれは男だな」
「流石だな…」
「そうか? 間違いようがないだろう」
こともなげに王様はそういった。私の性別を見破っただけのことはある。ロイを女と思って求婚してきた数多の男達とは一味違うようだ。ロイは線が細いし、私より色白だし、綺麗だ。王様の精悍な美しさとは違う、繊細な美しさだと思う。背は高いけれど。低い頃は、今よりさらなる頻度で女と間違われて泣いていた。
「それ聞くと喜ぶよ、あいつに言ってやれ。『お前は間違いなく男だ』ってさ」
きっと喜ぶだろう。
「…お前は喜ばないか?」
「なにが」
適当に話しながらもさっさと会計を済ませて私は外に出た。
王様の手にも高級茶葉の入った袋が揺れている。その袋と質素な服で庶民的、とは言いがたいが一般人に見えなくもない。どこぞの貴族の係累とは思われるだろうけど。
「俺はお前が女にしか見えない。一番初めに出会ったときから」
「んなっ…」
王様の空いたほうの手でいきなり顎をとられて、私は慄いた。フードのせいで陰になっていても相変わらず秀麗な顔が近づく。公道の店先で何をする気だ、この人。
「離せ。俺まで世間に変態扱いされる謂れはない」
どう見ても男同士のじゃれあいだ。女に見られたいとは思わないし同性愛に理解はあるが、それでも尚止めてほしい。思い切り睨んだのに甘く笑う男が理解できない。ああ。私はいやよいやよも好きのうちは大概妄想だと思っている、あれはセクハラが好きな親父のためだけに都合のいい押し文句だ。
「お前には、周りに本来の性として見られることへの望みはないのか? 女性として愛され、あるいは恋をしたいという希望は?」
「ないね」
不愉快な男の手を、強く打って払う。
「少なくとも、あんたからそう扱われるのは苦痛でしかないよ」
オマエガオウニナッタセイデ
「あんたは嫌いだ」
「そうか?」
撥ね退けられたその手が赤くなっているのを見ても、何の罪悪感もわかない。私の手は細工を作るために強いから、打ちようによっては相手が固い手をしていても血が流れる。彼の手にも血が滲んだ。そうだ、もっと傷つけばいい。
けれど、相手も私同様、何も感じていないようにその血を舐めて微笑んだ。笑っているのに、ぞっとする。なにか、底が分からない生き物だと思った。
「俺はフィーが気に入った」
ふっと空気を和らげて、王はにっこり笑った。いや、にんまり。いや、にやり、だ。
「はい?」
「逃げ足が速いところ、俺の手に傷を作るほどの強さ、俺を嫌っているところ、その手が誰をも惑わす細工を手がけるところ、自身の欲求と感情に正直なところ、強い力のある目」
…あんたは被虐嗜好者か?
「フィー。お前が姿を消した後、気になって探した。見つけて、その手になる細工を見たときに惹かれた。こんなものを人の手が創れるなんて、ってな。あれから何度もお前のところに行こうとしたけど止められたよ」
「そりゃ、止めてくれた人に感謝しなきゃな、俺はそもそも顔すら合わせたくない」
あんたは私の才に惚れたんだろう?
金か石をくれるなら、そして注文は代理人を立てるなら、喜んで望むものを提供してやる。私じゃなくて細工だが。
「つれないことだ。じゃあ、今から家まで送ると言っても断るか」
「勿論」
「ならば仕方ないな。今日は退散しよう」
「結構。さらばだ」
ああ、はやく別れようじゃないか。正直ここから一刻も早く離れたい。紅茶店の入り口からは少しずれたところにそろそろと移動したものの、周りの視線が痛い。これでようやく別れられるとほっとして、私は急いで身を翻して歩き出そうとした。
その時、ぎっ、と腕をつかまれる。振り返って、殺意をこめて睨みつけると奴はそれに嬉しそうに笑った。
「また、会いに行く」
そう言って、彼は強引にとった私の手の指先に口付けた。
…不覚!思わず繰り出したこちらの蹴りをさらりとかわし、嵐は去った。