41.少年と猫
「ロイ、早く行こう!」
「はいはい」
フィーの言葉に苦笑してしまう。昨日は渋っていたくせに、ひどく楽しそうにフィーは道を進んでいく。彼女の短めな薄茶の髪が肩で元気にはねていた。とび色の目は生き生きとして、原色に溢れた屋台の上を眺めている。その姿は徹夜明けとはとても思えない。
祭りだろうが相変わらずで、今日のフィーは白いシャツに男物の濃茶の半ズボンを履いていて、一見少年のよう。耳に揺らめくいぶし銀の細工のピアスと指に嵌められた護身の術具がなければ随分そっけない格好と言える。なのに、人々の中に埋没してしまわないのはなぜだろうか。別に彼女を好きな自分の欲目じゃないと思う。フィーの顎の引き方や歩き方が好きだよ、といつか言ったときに彼女は笑ったけれど、それらはある程度の人目を引くほどに、颯爽として見える。男性から見れば小さめで細い体をしていても、そんなことは動く彼女を見ていると気にならない。
祭り一日目。王都はどこも盛況だ。狭い裏通りにもかかわらず、人家の合間を縫って屋台が並んでいる。道の真ん中では音の外れた陽気なブラスバンドが音楽をかき鳴らしていて、人々は皆それに合わせて踊っている。
そんな夕焼け時に、どうにか仕事を終えた僕とフィーは人ごみをすり抜けながら、詩人が泊まっているという宿屋のある通りを目指していた。
彼女と共に祭りに行くなんて、何年ぶりだろう。つい、口元が綻んでしまうのをフィーは心配そうに見ていた。……思い出し笑いじゃないよ、フィー。
「梟の宿ってこの辺だったと思ったけど」
普段この辺りにはあまり来ないので、様変わりした通りから見つけるのは難しい。石畳の通りに入って、二人で唸った。
「人が集まる方にいけば、いるんじゃないか……あ、あっち。見ろ、ロイ」
人だかりを見つけたのは分かったから、フィー、前を向いて歩いて欲しい。
「あ、フィーちょっと」
「なに……うわっ」
引き止める間もなく、小さな少年を押し倒すようにしてフィーは倒れた。
けれど、途中でフィーは少年を庇って上にした。どすん、と重い音。
「……ごめん、大丈夫?」
少年を抱きかかえるようにして、下になったフィーは尋ねた。むしろ、フィーは、大丈夫だろうか。
「だい、じょうぶ」
ゆっくり起き上がったのは、フィーと同じ薄茶の髪に鳶色の目をした少年。
でも、顔が全然違う。全体的にあどけないようでいて、よく見ると意外と大人びた目をしている。
その目を見ているとなんだかもやもやした感覚が湧き上がってきた。……なんだろう。
思わず見つめると、視線が返される。ひどく、緩慢な仕草で。なぜか、まるで人形のようだと思った。
フィーはそんなことには構わず、パタパタと少年の服を払っていた。
「少年、すまないな、前方不注意で。うん、怪我はないみたいだ」
「庇って、くれたんだね。ありがとう。こちらこそぼうっと突っ立っていたから、ごめん」
「ならお互いさまだな」
よかった、とフィーは笑ったけど、よくない。
「フィー、なんか違うんじゃない?」
「そうか?」
「歩くときは前を向いてくれると嬉しいな。……フィー、怪我は」
まだ包帯が取れていないのに、打ち身が出来たんじゃないかと心配になった。
「いくら私でも受身くらい取れるさ。ところで少年、連れはどうした」
軽く言うフィーに悪い予感がする。
「はぐれた」
「じゃあ、連れ探すの手伝うよ。なあ、ロイ」
当たった。溜息しか出ない。彼女は普段冷淡だが、一旦関わった以上放っておけないのだ。いかにもぼんやりした少年が心配になったのだろう。少年はシライよりも年下に見えた。彼が少し迷った後静かに頷くのを見て諦める。
「了解」
2人きりなのは久しぶりだったんだけどな、フィー。
けれどしばらく探しても、少年の連れは見つからなかった。探す道すがら、うきうきしているフィーはあれこれと屋台に寄り道して、僕や少年にいろいろと買ってきては口に詰め込んでくれたお陰で、空腹だけは満たされた。
「……そろそろ詩吟が始まるな」
あんず飴を舐めながら、フィーは空を仰いでいた。月が昇っている。前座は終わった頃だろう。
「どこにいるんだろうな、少年の連れは」
「この、人ごみだから……ありがとう。一人でまわってみる」
少年はそういって、歩き出そうとした。それをフィーは思案げに眺めていたが、やっぱり口を開いた。
「一緒に詩吟見ないか」
「え……?」
フィーのお節介。
「この都に来てる詩人が、とびきり歌が巧いそうだ。連れが見つかる見込みがないなら聞いてみるのも一興だと思うがどうだろう」
「……あなたって変な人」
フィーの眼をしげしげと眺めて、うっすらとだが少年は初めて笑った。
その、目。
「いきなりどうしたんだ、ロイ」
気付けばフィーを後ろにして少年と対峙していた。彼女は、何も感じないのだろうか。
「いや……なんでもない」
無意識の行動だった。なぜかもやもやとする。そんな僕の様子を、少年は興味深そうに眺めていた。それからフィーに向き直ると、
「少しだけ、見たいかな」
少年はそう言った。
「よし、行こう」
にっこり笑ってフィーは少年の手を掴んだ。少年は何かに一瞬驚いた様子だったが、フィーについて歩き出した。相手が子どもなら、フィーは性別を気にしない。でも。
「フィー」
「なに……、なんだこの手」
「はぐれないようにと思って」
フィーのもう一方の空いた手を掴む。
「なんだ、除け者が寂しかったのか」
フィーが笑う。
「まあね」
そういうことにしておいて。相手が子どもでも僕は気になるからね。
3人で並んで手を繋ぎ、少々周りの顰蹙を買いながらも梟の宿の下に着くと、そこにはちょっとした人だかりがあった。
それでも1日目だからかそこまで集っている人は多くなく、人の合間から詩人の姿を見ることが出来る距離まで近寄ることが出来た。フィーは少年を肩車していた。輪の中心で、鮮やかな紫の帽子を被り、ばさりと肩までの金髪を揺らした優男が一人、恭しく礼を取る。あれが件の詩人だろう。彼の脇には小粋な雰囲気の、可愛らしい老女が一人いて、アコーディオンを持ってユーモラスにお辞儀の音楽を鳴らした。観衆がぱちぱちと拍手をする。
「旅で世界を周って何十年ってわりに、かなり若くないか」
フィーが怪訝な顔で、詩人を見つめた。未だにすっかり術力が使えなくなっている彼女には分からないみたいだったので、静かに説明をする。
「……吟遊詩人についてもう一つ噂があってね、フィー。彼は半精霊だそうだ」
「え」
驚いた顔で僕を見上げたフィーに構わず、
「始まるよ、フィー」
と僕はそう言った。
群衆の中、顔を上げた詩人の瞳は彼の被った帽子のようなすみれ色だった。人ならぬ色。彼はその美しい目を細めてにっこり笑って口上を述べた。
「こんばんは、眼くらむような美しい宝石の国に住まいし勇ましき竜の子たるイオナイアの皆様がた。今日はようこそお集まりくださいました。まずは自己紹介を。私は詩人のヒルカ、アコーディオンを携えた彼女は私の優しき恋人のキキ」
老女は紹介を受けて微笑した。ざわめきが上がる。
「驚きなさいますか?みなさん、恋に年の差などは関係ございませんよ。……とは言うものの、私と彼女は同い年。おや、どうやら興味を示されたご様子ですね」
詩人はひょうきんなのに、どこか切なげな眼をしている。
「それでは恥ずかしながら、私達の恋物語からお聞かせいたしましょう」
アコーディオンが鳴り出すと、彼の声は緩やかにそれに乗った。滑らかなテノールの声が旋律を持って通りに響き渡り、群衆はうっとり彼の声に身を任せる。
常人離れした寿命を持った爪弾き者の半精霊の話から始まり、彼が逞しく可愛らしい人間の女の子に恋に落ち、彼女を死ぬまで愛すと誓った話が一編の詩となって人々の心に迫る。成程、これは。
「巧みだな」
フィーの言葉に頷いた。海男を惑わす人魚の血を引いているだけのことはある。歌声に耳を傾けるうち、彼の心に自然に寄り添ってその感覚を共有しているような不思議な感覚を味わった。
彼が歌い終わると喝采が上がった。その詩吟の上手さはもちろんのこと、老女をこの青年がどんなに愛しているか伝わったものだから。
「様々な恋があるものだ」
フィーが感慨深げに言った。
「そうだね」
彼女は老い、彼を置いていずれは先に逝くだろう。それでも傍にいたくて、少しでもたくさんのものを共に味わいたくて旅をする二人の男女。彼らもいっぱいに今を生きているのだろうとそう思った。
アコーディオンを途切れなく奏でる老女は歌い終えた青年の向ける温かいまなざしに恥ずかしそうに顔を赤らめて、それを人々は冷やかした。
「では、続きまして英雄伝を……これは先日作った詩なのですが、この国の王の歌」
歓声が上がる。王の名を呼ぶ観衆に囲まれて、僕とフィーは顔を見合わせて苦笑した。盛り上がるには、僕達は多分彼に近すぎる。
ふと、フィーの肩の上に乗った少年が彼女の髪を引っ張った。
「……下ろして」
そっとフィーが屈むと少年は彼女の背中から静かに離れた。
「行くのか」
フィーが少年を見やる。
「うん、もう行くよ。いい歌が聴けてよかった。いろいろ、ありがとう」
「いや。気をつけてな」
フィーが笑う。
「連れ、見つかるといいね」
そう声をかけると、
「もう、声がするから大丈夫」
少年は笑った。
ぞわ。思わず硬直する。
ひとときの硬直から解かれる頃には、少年は消えていた。
そこにいたのは少女でその眼はひどく澱んでいたように見えた。この、錯覚とも知れない彼にだぶっていたイメージが、ずっと感じていた違和感の正体だったと気付いた。
ロイと別れた少年が会ったのは一匹の虎猫。少年が後にした方向へ、何やらいそいそと向かおうとするようにした猫は、少年の近くまで来ると、何かに気付いたように顔を上げた。そして、少年に向かって威嚇するような鋭い唸り声を上げた。
唐突に飛び掛ってきた猫を、かわしきれずに少年は頬に傷を作った。少年の頬を伝って流れるのは、人というには黒めな血。怪我をしたことに驚いたように、少年は目を細めた。
「……あなたは」
「うわぁ、どうしてその柔らかほっぺたに傷を作ってるのよぅ」
人ごみの間から現れたのは、純朴そうなおばさん。少年の母と言っても通用しそうである。少年の探していた連れだ。
「猫が」
「もうっ、このどら猫ったら私のこの子に手を出すなんて、三味線にしてあげるわ!」
冗談のような口調なのに、少年の連れの目に宿るものは冷たい。猫はそれでも怯える様子ではない。ただ、じっと隙をうかがうように少年のほうを見つめた。
「三味線って?」
「東の国の楽器よ~、まあ私って物知り? 惚れちゃったかしら?」
身を捩る一人の婦人を、少年は無表情に見やった。
「チット。この猫に手を出さない方がいいわ」
「ギルぅ、もうちょっとなりきって遊ぼうよ~。ふざけるのが祭りの醍醐味だし、今せっかくギルのお母さん気分なのに!」
「……」
ギルは、チットを置いて歩き出した。
「あ、もう、はぐれちゃったのは謝るからぁ、眼を合わせてよギルってば。オレずっと呼びかけてたんだよ~?」
チットは弁解しながら、今は少年の姿をしたギルを追った。
去り際にチットがギルを追いかけながら、さりげなく猫に向けて魔法を一つ放った。それを、猫は避けるでもなく平然と受けた。
チットはその魔法に自信があったのだろう、振り返ることなく立ち去った。
……残された猫に傷はまったく付いていない。しばらく虎猫は遠ざかる奇妙な二人連れを見つめていたが、元の目的を思い出したように人だかりへと向かっていった。