39.女友達
混乱して、ただ走るうちにまた道に迷った。ああ、いつかを思い出す。
「なにやってるんだろう……」
自分に呆れてしまうけど、好きな人が女の子だったなんて衝撃を受けない方がどうかしている。知らず涙まで出て来た。遣る瀬無い。
でも、いきなり逃げ出すなんて、フィー、傷ついただろうな。あんなに儚い顔をしたフィーを初めて見たもの。
「……レオナ姉ちゃん?」
声に顔を上げると、ロイさんを小さくしたような綺麗な子。
「シライ」
「泣いてるの?」
シライまで悲しそうな顔をする。
……こうして心配してくれる誰かと出会えたのも、フィーのお陰だよね。工房で、私の恋を応援してくれた職人さんやビスクさんを思い出す。彼らも、そうだ。
「ううん、ちょっと欠伸が止まらなくなっただけ」
ごしごし拭ううちに止まった。深呼吸をする。そして笑った。
「フィーに振られちゃった」
そう言うと、シライは小さく頷いた。
「……告白したんだね?じゃあ、フィーのこと、聞いた?」
「うん」
シライはやはり知っていたのか。ならば、ロイさんもきっと知っていて、それでフィーのことを好きなのだろう。
恋に障害があるのは彼でなく私だったわけだ。
「そっか。じゃあ、傷ついたよね……」
「……わからない」
傷ついたというかショックだったというか。細い手足、男性にしては低めな背。今思えば、女性として見ると頷けるところがたくさんある。ずっとフィーだけ見ていたのに気付かずにいた自分が滑稽ですらある。
「ねえ、フィーはレオナ姉ちゃんに特別そっけなかったじゃない?」
シライはそんなことを言った。
「確かに。ずっと嫌われてるのかと思ってた」
付きまとうとよく拒絶されたり追い払われたりしたものだ。
「フィーも言ったかもしれないけど。フィーはあんな格好していても、女の子らしさって言うのかな、そういうのにずっと憧れがあったみたい。それで、レオナに憧れてた」
――レオナは私の憧れでもあったから
「うん、聞いた」
嬉しいような切ないような気持ちになった。もし彼が男性だったら、フィーは私のことを受け入れてくれただろうか。
「妬む部分もあったからかもしれないけど、あんまり近寄りすぎて自分のことがばれちゃうのが怖かったんじゃないかって思う。それはずるいかもしれないけど、レオナ姉ちゃんを好きだったからこそ、どういう態度をとられるか不安で仕方なかったんじゃないかな? それにフィー、女の子どうしとして女の子をどう扱っていいか分からないみたいだから。フィーのことを女の子と知っている女性って、殆どいなくって」
気付かないものなんだね、とシライは溜息を付いた。
私が告白した後も、私に自分の性別について告げるか迷ったフィーを思い出す。告げられなかったら、私は気付かなかったと思う。
「レオナ姉ちゃんはフィーのこと、どう思った?」
「……いきなりで驚いたけど、……でもやっぱりフィーという人のことは、好きだよ」
そう言うと、シライは一瞬驚いて、けれど微笑んで「よかった」と言った。
「フィーがとても喜ぶと思う」
「うん」
「……泣かないで」
「えへへ、もう、大丈夫」
シライが涙を拭ってくれる。……終わったのだ、と思う。この恋は。
「僕もお兄ちゃんも、黙っててごめんね」
「……しょうが、ないよ」
彼らにとって家族である大切なフィーのことなのだからしょうがない。私も、もし同じ立場にいたらフィーの秘密を隠しただろう。
だってフィーが私に与えてくれたものは彼女の性別に関わらず変わらない。そう、私もフィーが好きだ。たくさん感謝している。今まで騙していたとしても、フィーは今日の私の告白にある意味でとても誠実に答えてくれたのだから、私は『彼女』を受け入れたいとそう思う。
「戻らなきゃ、ね」
私はそう言って歩き出そうとして、
「どっちだっけ?」
迷っていたことを思い出した。私の惚けた言葉に笑ったシライと手を繋いで工房に帰った。
「ふぃ、フィー、元気だせって」
壮年の男がぎこちなく励ます。
「そう、また次があるのにそんなでどうするんじゃ。しゃきっとせんかしゃきっと」
老人が力強く言う。
「ああ、もう泣くな男だろう!!」
青年が焦ったように言う。
工房は、泣き続けるフィーを中心に混乱の渦の中にあった。
「……どうしたの、一体」
ロイがやって来て尋ねた。
「いや、フィーがレオナを振ったらしくって」
「で、なんでフィーのほうを慰めてるわけ?」
「だって泣いてるんだぞ!!」
「いや、レオナはどうしたのさ」
「どっか行っちゃったみたいで……」
「なんで泣くの、フィー?」
「レオナに、嫌われた……」
フィーがロイに答えて、ぐすりと呟いた。
「フィー、振った女の子に好かれ続けようなんて虫が良すぎるよ」
珍しくロイがフィーに冷たいので、正論ではあるが職人達は驚いて押し黙った。
「それにこんなところで泣いて人の同情を誘わない」
「……うん」
空気が冷たい。
「いや、こいつが裏通りで泣いてるのを家のもんが見つけてここに連れてきただけだから、オーナー」
「そうそう」
思わず職人達がフォローする。
「じゃあそれは置いといても、レオナのほうがよほど傷ついたんだろうから、こんなふうに泣いてちゃ駄目だよ、フィー」
ロイの細長い指がフィーの泣き濡らした頬を伝う涙を拾った。
「うん。そ、か、そうだよな。レオナ、追わなきゃいけないのに追いかけられなくて……今から行くよ」
「うん、行っておいで」
真顔だったロイが、ようやく笑った。フィーがうずくまった状態からようやく立ち上がろうとすると、
「ロイさんなにフィー泣かしてるんですか!!」
少女が、工房の裏口に仁王立ちしていた。
「……レオナ?」
「フィー、何かされたの、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だけど」
目を白黒させて、フィーは瞬いた。空元気のようでも、それでも、レオナはいつもの勢いでフィーを心配してくれているのが伝わってきた。
「レオナ、目が赤い」
レオナはきっと泣いたのだろうとフィーは思った。
「……平気だよ」
「……ごめん」
「もう、いーよ」
そう答えて、レオナは笑った。フィーが焦がれる、大好きな笑顔で。
「振られたけど友達でいてくれる?」
そう言ってくれた少女に、フィーは微笑んで頷いた。どこか眩しそうに。
「レオナは強いな」
「そうでしょう?」
「ああ、とても強いよ」
ロイは少し拗ねた顔でそれを見ていた。
「お兄ちゃん、今日は悪役?」
レオナと共に帰ってきたらしいシライは、そんな彼の傍でぼそりと言った。ロイは、弟に苦笑を返した。
「みたいだね。でもそれよりフィーがますます独占できなくなる気がして寂しいな」
「いいこと、じゃない?」
「そうだね」
開け放たれたドアの外から差し込む光にロイは目を細めた。
「よかったね、フィー」
とそう呟いて。