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王と細工師  作者: 骨貝
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38.レオナの告白

 いつものように店番をしていたときのことだ。


「ねえ、お嬢さん。お仕事はいつ終わるの?俺と遊びに行こうよ」

「あがるのは夜更けです。ですから今日はお付き合いできないですね~」

「夜更け?それは好都合だ。じゃあ終わってからさあ、一緒に飲もう」

「疲れちゃうので無理かなあ、と」

「そんなつれないこといわずにさあ、ちょっとだけでいいから」


 やんわり営業用の笑顔で断り続けているのに、しつこく食い下がるナンパ男に私はうんざりしていた。都の賑わいのあるところならともかく、このエルファンド工房は裏通りの寂れたところに面しているのであまりこういう人は来ない。なのに今日はどういうわけか、この調子だ。

「いい加減にしてください」

 少し語気を強めて言うと、

「おっと、客にそんな態度とっていいわけ?」

 にやり笑った男がにじり寄ってきて、私の腕をとってきつく掴んだ。

「俺はこれでも伯爵家の長男だぜ」

 こんな下品な男。伯爵? だからって偉そうにしてんじゃないわよ。

「……放して頂戴。私なんかねえ、これでも」

 思わず切り返しそうになったとき。


「……あんた、さっきから見てたけど、見る気も買う気もないだろう? なら、うちでは客とは呼ばない。営業妨害だ。出て行って頂けますか」


 高めなアルトの声が割って入った。この声は。

「フィー! 調子は戻ったの?」

 振り向けば、包帯は相変わらず巻いたままのところもあるもののしっかりした足取りでこちらに歩いてくるフィーの姿があった。

「まあな」

「ああ、心配したんだから。一丁前に寝込んでるんじゃないわよ、いい迷惑だわ」

「俺だって不本意だった」

 ぶすりとフィーは言った。そんな様子が可愛いと思ってしまう。

「ほんとによかった、無事で」

 そう言って私が笑うと、フィーはどこか眩しそうな顔をした。


「おいおい、人前でいちゃいちゃしてくれるなよ。なんだお前?」

 すっかり存在を忘れ去られていたナンパ男が私の手を掴んだまま、怒鳴った。

「いちゃいちゃ? ただの会話だろう、何を勘違いしているんだ。大体人に名乗りもせず名を尋ねるのか無礼者」

 フィーはいつもの調子に戻って、男を鼻で笑った。

「……ああ、教えてやるよ、ひょろい兄ちゃん。シノン伯爵の長男、アレキサンドラだ」

「だから?」

「はあ? お前貴族に逆らうっていうのがどういうことか、」

「お前はガキだ」

「な」

「シノン伯爵の息子がこれとは嘆かわしいな。彼は腹黒いが礼節に満ち満ちた態度を損なわないし、貴族というものの脆さも理解している。なああんた、まさか女を引っ掛けるのに失敗したら、脅迫にその地位をちらつかせるのか。報復を親に頼むのか? 虚飾に耽るだけ耽り義務も果たさず、虎の威を借るなんとやら、情けなくはないのか」

 男はぐっと詰まった。

「お前に何が」

「ああ、知らないよ。だから教えてくれ、あんたは一つでも自分の手で世に何か為したのか? 誰に頼ることなく、その腕一つで何か得ることは出来たのか?」

「……」

「お前の生まれた血筋に与えられたものは大きい。だがその見返り分何をするのか、平民に見張られていることを忘れるな。怠っただけ、過ちを犯したぶんだけいずれは自身に返ってくるだろうよ……そんなふうに、恥じて押し黙るだけの常識があるんなら、今度女性に声をかけるのなら今はまだ素のままのあなたでぶつかることだ。力によらずにな、いい恋をしてくれ」

 フィーにもはや男を馬鹿にしたような色はない。口調はそっけなくも、その鳶色の瞳は男の目を見つめて真摯だった。その目に私は見とれた。

 ああ、この目が好きだ。作り途中の細工にしろ、人にしろ、真っ直ぐ見るときのフィーの目が。


 いつの間にか男の手は私から離れていた。彼は悔しそうな顔をしたまま黙って出て行った。


「それでできた恋人へはここで細工を買っていただきたい、ってもういないか」

 笑うフィーの姿にふっ、と気が抜ける。

 私は気丈にあの男に言い返そうとしたものの、やっぱり怖かったのだ。フィーが来なければどうなっていたか。

「フィー、ありが」

「お前も注意しろよ」

 お礼を言おうとしたらそれを遮って、フィーは呆れたように私を見た。

「?」

「レオナ、さっき男につられて言いそうになっただろう」

 ああ。思い出した、伯爵の名で私を脅そうとした男に私は。

「気をつける……フィーに昔怒られて気を使っててもこれだもん。私ってば相変わらずだね」

「……まあ、レオナは変わったと思うけれどな」

 思えば昔もこんなことがあった。思わず思いのままにあらぬことをぶちまけて、厄介な事になっていたかも知れないということがあったのを思い出す。また助けられた。私は、あらためてフィーに感謝した。

「ありがとう」

「礼はいらない、この間俺の好きな花の鉢植えを持ってきてくれた礼だから」

 フィーはそれだけ言うと、さっさと工房に向かおうとした。冷たくても、無愛想でも。私が例えお見舞いに行っていなくても、彼は私を助けたのだと知っている。出会ったときから誰かが困っているのを見捨てられない人だったから。


「フィー、待って!!」

 そんな彼を呼び止める。決意を持って。

「なんだ?」

 面倒そうな目。思わず挫けそうになるが、私は言った。


「フィー、好きです!!」


「……嘘だろ」

「本当よ」

 フィーが、呆気にとられている。やってきていたお客さんや、彼を思う私の気持ちなどとっくに知っている工房の人々がひゅうひゅうと囃し立てた。フィーはそれに慌てる。

「ちょっとこっちに来て」

 

 長めの指をしたその手に掴まれ、私は店の外に連れ出された。……そして連れてこられたのは偶然にも初めて彼と出会った路地だった。


「フィーとはここで会ったんだっけ」

 辺りを見回してみる。相変わらず薄暗い。人気を避けようとすると、この通りに不思議と出てしまうものだな、と思った。

「……フィー、いきなりでごめんね」

 フィーの目に浮かぶのは戸惑い。鈍いこの人は私の気持ちをきっと知らなかったのだろう。


「……なあ、レオナ。どうして俺のことを好きだなんて思ったんだ?」

 私の好きな真っ直ぐな目が、問うように向けられる。

「フィーってば、知ってたけど理屈っぽいわね。恋は突然に訪れるものよ~?」

「……俺は正直、恋愛感情というものがよく分からないんだ」

 だから理由が欲しいのかもしれない、とどこか自嘲気味に呟く人に、私は笑った。

「好きになったのは、出会ったときからかな」




 フィーと出会った日。あの日は雪が降っていたと思う。寒くて、とても寒くて。供も連れず、家をこっそりと抜け出して私は冒険をしていた。馬車からではなくて、歩き回って眺める景色は新鮮でそれでいて懐かしかった。

 浮かれていたのだと思う。

 思うままに歩いて、気づけば私はまったく知らない通りに出ていた。柄のあまりよりしくない、裏通りというやつだ。この辺りでは見慣れない格好をした私を見つめる目が恐ろしくって、人気のないほうへないほうへと向かっていた。やがて、深まる雪を優しく照らしていた日も次第に傾き始めて、気ばかりが焦った。


「お姉さん」

 そんな私に、声をかける少年がいる。どことなく淫らな空気を漂わせて。

「花を買いませんか?」

 ふうわりといい匂いが漂ってきて、彼の手から花が差し出された。花売りの少女は知っていたけれど、これは、男娼というやつだろうか。


 思わず花ごとその手を振り払う。

「やめて」

 道に迷っていた苛立ちも交えて私は叫んだ。

「あんたみたいな卑しい生業の人間がいるから、王都なのにこんな薄汚れた場所が出来上がるのよ。そんなふうに人をあからさまに誘って、稼いで、恥ずかしくないわけ? あんたが私に触れるとでも思っているわけ? 卑しい、汚らしいあんたが?」

 少年は、私の軽く振るった手にすら怯えるように震えていた。寒さと受けた侮辱に頬を真っ赤にして。そこに、

「あんた、自分は綺麗なつもりか」

 響いた声は目の前の少年のものではない。

「自分の力で食ってる分こいつはあんたに見下げられる覚えはないだろう、身なりのいいお嬢さん」

 男性にしては低めの背に痩躯の、まだ少年ともいえそうな人がどこからか現れそういった。

「……自分で食べていく? そんなこと私に許されないのよ、しょうがないじゃない!!」

 私だって無為を望んだわけではない。




 私の名は、レオナンデ・ジュラン・フィーオネルという。今をときめく公爵家の長女。

 ……ただし妾腹の。

 母がいなくなってから引き取られた家の空気はどこまでも冷たくて、誰もが私を腫れ物のように扱った。子どものいない継母は、そもそも私など始めから存在しないと考えているようだった。唯一、初めて出会ったとき目すら合わせず彼女から貰った言葉は今も覚えている。

「会いたくはなかったわ、あのいやらしい娼婦の娘」

 反論すら出来ず立ち尽くした。そうだ、母は、確かにそうだった。


 ――私はそれを、恥だと思っていて。


 母が死んだ日にも、母と喧嘩をした。私が、学校を辞めて稼いで母をそんな仕事から足を洗わせるのだとわめいたのが原因だった。その日の晩に客に刺されてあっけなく彼女は逝った。

 母親がそんな仕事をしているのを知ったのは私がかなり大きくなってからで、その日からずっと言い争っていた。彼女がその両親の借金を背負わされて娼婦の職を辞めようもなかったのだとは、彼女が亡くなった後に聞かされた。突然やってきた、顔すら知らなかった父親によって。なぜ母を、私達を放っておいたのかと罵ったら返ってきた答えは簡単で、母の遺書で彼は初めて私の存在を知ったのだとそう応えた。


 母が、父や彼女自身の職業のことをどう思っていたかは知らない。


 ただ、元々父に頼る気はなく、私に様々なことを明かさずにいながらも、母は最後には父に私を託した。正直、私は母を憎んだ。その為に私は今まで生きてきた環境の全てを奪われたのだから。仲のよかった友達も、東向きの小さな家を中心とした、細々としてはいたけれど楽しかった日々も、終わらせなくてはならなくなった。公爵家なんて、入りたくも無かったのに。


 私は籠の鳥となった。

 フィーオネル一家のたった一人の長女として。

 父には他に子どもができる見込みがないとされ、先祖の血にこだわる一族であった彼らとしては、私はどんなに煙たくても必要な存在だった。そのため、いずれこの家を継いで婿をとる娘としてそれなりに慇懃に私は扱われたものだった。

 貴族の令嬢としてあるべき姿を叩き込まれ、0の状態から必死で身に付けた。もう帰る場所は無かったから、公爵家の娘として生きていくためにひたすらに取り組んだ。

 

 やがてそれがようやく形になろうかという頃に状況が変わった。理由は生まれないと言われていた、正妻の息子が生まれたこと。それからというもの、影で囁かれていた様々な雑言はあからさまに言われるようになった。今まではそれなりに声をかけてくれた父も無言となり、気づけば屋敷に私の居場所は無くなっていった。私はいずれ、確実にどこかへ嫁がせるべきよそ者となっていたのだ。

 家の中ではどこでも息が詰まるようで、私はただ無為に過ごすしかなかった。今まで何を目指してきたのかももう、よく分からなかった。だから、外で居場所があるわけではないと知っていながら今日は思い立って逃げてきたのだ。

 挙句に道に迷うやら母と弟を思い出して他人に酷い難癖をつけるやら、私はどうかしている。




「なぜ泣く」

 痩躯の人が問う。なんだか疲れて、いろいろな思いが溢れた。

「なんでも、ない……私なんて、いてもいなくても同じ…そうよ、ごめんね、変な言いがかりをつけてひどいことを言って。私よりあなたのほうが、よっぽど価値があるんでしょうね」

 私は少年の手をとって謝った。彼は17歳くらいだろうか。その手は骨ばった、けれど美しい手だった。この手の持ち主をあんなふうに罵ってしまったなんて。

「綺麗な手だね。本当にごめんなさい」

「べ、別にいいよ……」

 少年はもごもご言うと、恥ずかしそうにその場を去った。


 残されたのは二人。

「あんたは…?」

「これでも公爵家の娘よ、不要な存在だけど」

「なぜ不要だとそう言うんだ?」

 温かくも冷たくもない、平坦な口調に乗せられて、なんとなく私は全て話していた。全て話し終わると、ふうん、と痩躯の人は呟いた。


「その若さで随分と浮き沈みの激しい人生だな」

「全くその通りよ」

「……なあ、価値があるとか、ないとか。価値のある人間なんてそんなにいないし、気を悪くするかも分からないが例えば俺とあんたは同等だと思う。さっきの少年も」

 それでも。

「大抵の人には必要とされる居場所があるじゃないの」

「そうとも限らない。ないなら作れ」

「持てるとは思えない」

「……もういい、付いて来い」

「へ?」


 そうやって彼に引っ張られてつれてこられたのは工房。入るとふと漂った暖かな空気にほっとする。


「お帰り、フィー……ってその人は?」

 

 そこでは銀の髪を一つに結った美しい人が出迎えた。部屋の中にはところどころキラキラとした細工物が並んでいる。思わず目が奪われる。公爵家で高価な細工は見慣れていたために、ここに並ぶものは格が高いものだというのはよく分かった。囲まれて目が回りそうなくらいだ。

 そんな私を放置してフィーという人は話を進める。


「こいつはさっき拾った」

「…で?」

「雇って」


「は?」

 思わぬ言葉に、銀の髪のその人と私は声を揃えた。


「価値だのなんだの言ってないで働いてみろ、好きで、無為でいるわけじゃないんだろう」

 銀髪の人に向いていたフィーは振り返った。鳶色の目が真っ直ぐにこちらを向いている。

「そうだけど……。あんた私が公爵家の娘だって分かってる?」

「お前の名前は」

「レオナ」

「ロイ、この娘はレオナと言うんだそうだ、暇な令嬢が店子をしてくれれば、売り上げも上がるんじゃないか?」

「フィー、本気?」

「ああ」

 フィーははっきり頷いた。

「レオナ、とっかかりをやろう。居場所を作ってみろ」




 それから屋敷をどうにか抜け出しては、工房で店子として働いている。うまく時間をとれないこともあったけれど、楽しくて。私は確かに一つの居場所を得た。


「フィーのこと、初めて会ったときに捨て猫を見つけては拾ってきそうな、変な男と思った」

「……」

「でもそんなあなたが、私に居場所をくれたでしょう?私を同等と言ってくれたでしょう?嬉しかった。きっかけはそんなもので――私って一途だから、それ以来フィー以外が目に入らないの。細工に一心に取り組む姿も、人に丸ごとぶつかっていく姿も、好きだよ」

 そう言って笑うと、彼はまた眩しそうにした。

「返事を頂戴」


「レオナ」

 フィーは、そっと言った。

「……ごめん」

 真摯な目が私を捉える。胸が痛んだ。ああ、私は振られたのだな、と思う。

「私じゃ、フィーに見合わない?」

 そう言うと、フィーはゆるゆると首を振った。

「恋人として、付き合ったりは出来ないけど……俺は……ううん、私はレオナのことが好きだよ」

 そう言うフィーは、いつもとどこか様子が違う。“私”?

「……フィー?」

「いかにも女の子らしくって、工房ではいっつも溌剌としていて、レオナの家の事情なんか誰にも勘付かせない。常連のお客さんもよくレオナの笑顔に励まされるって言ってたけど、私もそう。レオナ、聞いてくれる?」

「何?」

「私は女なんだ」


「え?」


「騙しててごめん」

 彼の、いや彼女の浮かべる笑みは儚かった。

「こんなふうに真剣に告白されるのなんて初めてで、返してあげられるのと言ったら私の真実くらいしかない。

 ……今してる、これは男装なんだ。細工師であるには、この国では女であるわけには行かなくて、私は男性が苦手で、好都合だからこんな格好をしてたんだ。けど、レオナが私を本気で好きになるなんて思ってもみなかった・・・さっきも一瞬黙ってようかと思った。正直に告げるべきだったのに多分気持ち悪がられたりするのが嫌だった。レオナは、私の憧れでもあったから」

 私にとっての理想の女の子、とフィーは言った。


 その目が嘘ではないと語っていたから信じるしかなくて、けれど受け止められなくて。


「レオナ!」


 私はその場を逃げるように去った。


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