34.それぞれの断章(1)
「ギルぅううううう!!」
相変わらず薄汚れている宿屋で、剣で裂かれた服を少女が着替え終わると、騒がしい青年が帰ってきた。
「ごめん、オレ1つ石取りそびれちゃった!! 本当ごめん、あんな格好付けてたのに恥ずかしい! もう何度罵ってくれても蹴り倒してくれてもいいからオレを嫌いにならないで、」
「……チット、怪我してる」
少女の手が青年の頬に伸びる。と、青年はぴたりと止まった。照れている。
「いやぁ、全然平気だって……ってギル?」
少女は目を瞑って力をこめる。青年の頬にあった薄い傷が、塞がった。青年の体全体にあった怪我が、治りまではせずとも出血を止めていく。
「ごめん、これしか、できない」
それだけで憔悴してしまったように、少女は手近な椅子に倒れこんだ。
「……ねえギル、俺のために無理なんかしなくていいの。それは俺の役目だよ~」
「でも」
青年の肌は傷だらけだ。剣によって受けたらしい傷もある。
「これ全然深くないからだいじょうぶ。あ~、やっぱりギルはちゃんと盗ってきてるし」
机の上に無造作に置かれたネックレスに嵌ったトパーズを見て、青年は、がっくりと落ち込んでいた。
「……チットも、1つ盗って来たでしょう?」
少女は古文書を取り出し、しばらく眺めてそう言った。古文書に求める宝石の在り処を問うように念じると、その石のある場所の情景が頭に浮かぶ。持ち主がいるならば、それも見える。だから少女には今、チットが一つ石を持っている事が分かっていた。
「まあそうだけどさぁ」
そう言いながら、青年は懐から透明な石を取り出した。
「『北風の吐息』」
別名、シルフの涙。それは、硬度は低いが大変希少で、さらに全く混じりけのない無色透明のこれだけの大粒となるとなかなかお目にかかれないような雫形のハンベルジャイトだった。窓から注ぐ月光を静かに照り返して、宝石はどこか冷たく煌いていた。
「でもわざわざ行くからにはもう一つも欲しかったな~。あれ青かったし、あっちをギルにあげたかった。ごめんね、後できっと王様から奪って見せる。でもまあ、とりあえず、お一つどうぞ」
「……ありがとう」
「どういたしまして」
青年はにっこり笑う。宝石店で彼が見せていたのとはまったく違う笑顔で。
「……チット。傷、誰にやられたの?」
そう少女が尋ねると、存外あっさりとした答えが返ってきた。
「一人は宝石店でフィーって女の子にやられちゃった。……あの子の力はちょっと面白かったなぁ」
「面白い?」
「うん、というか、おかしい、かな。竜細工師であることを考えても、あれはとっても変だよ。暴発して危ないから諦めたけど、あれ、実験体に欲しいな」
青年が何を見たか、たぶん聞いても少女には分からない、とそんな気がしたので、彼女はもう一つ尋ねた。
「剣で出来た傷の方は?」
彼が相当腕が立つことを知っている少女は、不思議そうな顔をした。
「あ、こっちは城で。なんか、デスクワークが向いてそうなモノクルかけたお兄さんが、意外と腕が立ってさ。も~、しつこかったのなんのって。ちょっと魔力尽きかかってたから、消えるわけにも行かないし、撒くのに苦労した」
「……クェイン」
「ん?」
「なんでも、ない」
ギルの頭の中に、たまにわけも分からず、単語が浮かんでくることがある。でも、それに何の意味があるだろうとギルは思う。
そんな彼女にチットは静かに言った。
「ギル、何も分からなくってもさ、」
「うん」
「オレのこと一つ覚えてくれてたらいいよ、そしたら全部またオレが教えてあげる」
「……うん」
なぜこんなに青年がよくしてくれるのか、少女にはよく分からない。ただとても感謝している。
「ギル大好き~」
彼女はせめてお礼を言おうとしたが、椅子にもたれかかっている彼女に脈絡もなく飛びついてきた青年に、ぎゅうと抱きしめられてどうしてよいのか分からなくなった。
「チット」
けれどしばらくしてそっと呼びかけると、青年はそのまま眠ってしまっていた。
どうやら今日はもう、残り一つの宝石を盗りに行くのは無理そうだった。2人とも、かなりの力を使っていたから。
それより少し前のこと。
「そこをどいて!」
「ああ、すまない」
道を駆け行く怜悧な美貌に、人々は自ずと引いていた。押しのけられてヴィーも一瞬素直にどこうとした。しかし。
「……ちょっと待て」
モノクルをしていなかったので一瞬分からなかったが、それは見知った顔だった。そのため反射的にヴィーはその人物の手を掴んでいた。
「何を……王? ……ああっ!?」
つかまれた手を振り払おうとした男は怒ったようにそれを振り払おうとし、次の瞬間ヴィーの顔を見て驚きの声を上げ、最後には目指す方向を向いて絶望的な顔をした。
「クェイン、どうしたんだ」
間違いなくそれはヴィーの補佐その人である。
「まったくあなたって人は、変なところで臆病者で卑怯者で、力馬鹿の戦闘狂のうえ色狂い、しまいには仕事は常に人に任せっぱなしのサボり魔、そんな人間だとは知っていましたよ。けれどそれで飽き足らず、さらに悪いことには急ぎ道を行く他者の状況も掴めない鈍感野郎であったとは」
「つい反射的にな……すまない」
王が素直に謝るので、気勢が殺がれたかクェインは一瞬黙った。その後に続けた。
「今、王様のお陰で、追跡に失敗したんですよ……」
「追跡?」
「あなたに言われて厳戒態勢をしいていたにも関わらず、どう強力な結界を破ったのか知りませんが城の宝物庫に侵入者が入ってですね。当然言われたように王冠を守ろうとするじゃないですか、そうしたら宝石を持っていかれてしまったんです」
「……王城は王都の東の端。帰ったら調べてみる予定だったが手遅れだったか」
「どうしたんですか?」
「いや、ちょっとな。
……そもそも俺があんな単純なことを思いつかなかったのが悪い。いや、責めるべきは狸か?」
灯台下暗しとはこのことだ、とヴィーは落ち込んだ。いや、念のため一応城は探したがその時には『5つの涙』の影すら見当たらなかったことから、どこかに隠されてあったのかもしれない。彼を慰めることもなく、クェインはさっさと先を続けた。
「よく分かりませんが、ともかく王冠は守り通しました。それで、退却する敵を追ってここまで来たんですが、今あなたに中断されて見失いました」
「賊は消えずに足で逃げた?」
「ええ。そうでなければここまで追って来ませんよ」
「……盗人の髪の色と瞳は」
「あまり見かけない赤と緑、でしたかね。あなたが前に古文書を盗まれたといった男の特徴その通りでしたよ」
「同一人物、か。ならば恐らく結界を破ったのは魔法で、結界を破るために一時的に力が尽きたのかもしれない」
そのために消えて逃げることが出来なかったのだろう。
「敵は魔法使い、ですか?」
「そうらしい。1つ石を盗られてしまったか……盗人は、チットという名だと聞いた。今日宝石店にも押し入って、魔法を使って見せたという。まったく厄介だ。この国に魔法使いが現れるとはな。
……奴の背後にどこぞの国が関係していないといいんだが。もしそうだとして、魔法を使う者の住まう国というとそう多くはないが、わざわざ外交問題に発展させたくはない。……しかし今、この国に喧嘩など仕掛けてくる愚か者などいるかな?」
「さあ、人間は実際に痛い目を見ないと学ばないものですから。アラスカシア王のような例もありますし。……魔法国家といえば、大体3国くらいでしょうか」
ジルファレス公国、ワリヤ・ファルジア連合、サセイク王国。それらが主に魔法国家とされるところだ。盗人に彼らが関わっているかは考えても今の段階ではよく分からない。
どこの国であれ、この国を乗っ取ろうとする理由ならいくらでも挙げられた。うまくいけば竜の力を得ることができる上、宝石の国とも呼ばれるこのイオナイア王国は鉱物資源も豊富であり、国の位置する場所も海が近く、大国に囲まれて交易にはもってこいな環境であること。また、基本的に術師と魔法使いの仲は悪いことも挙げられる。しかし、竜の加護を得るほどの男が統治し、さらに竜の結界の敷かれたこの国に攻撃でも仕掛けようものならどういう目にあうか。過去の侵略の数々をかすり傷すらほとんど負うことなく防いで見せた、この国の歴史を見れば分かろうというものである。
「まあそれはさておき、石は手に入ったのですか?」
「ああ。2つ貰った。あと、賊が奪ったのも入れて残りは3つか。」
「今日だけで2つですか。神官長の言ったとおり、石を手に入れるのは難しいことではなかったみたいですね。問題は、盗人の存在ですか……しかしこの際、チットとやらを放っておけば、彼が再び冠を奪いにきたときに宝石も全部揃うことになるのでは? 彼が残りの宝石を勝手に集めて来てくれるでしょう」
「いや。それも一つの手ではあるんだが、放っておくのは無理だな。狸爺のところにも石が一つあるらしいし、チットはどうやら殺しを厭わない男らしいから、死人がでかねない」
それは避けなければならないだろう。
「王」
「なんだ?」
「出会い頭に思ったんですが、こんな状況なのに貴方はやけに機嫌がいいですよね? なんだか素直で気味が悪い」
「……そうか?」
「そうですよ」
自分は機嫌がいいだろうか、とヴィーは自らの心に尋ねてみた。そこにあるのは、どこか温かな感情。その源は、自分の手を震えながらもしっかり掴んだ女性にしては固めな手の感触の記憶。小さい手だ、と思った。細工を作る彼女の手はとても大きく見えるのに。華奢な肩、細い手足。決して豊満とはいえない体。それがよく分かるような薄着をし、鼻の頭には絆創膏を張った彼女が、やけに幼く可愛らしく感じた。
「思い出し笑いをしないでください、なんなんですかまったく」
「仕える相手が幸福なことを喜んでくれ」
「幸福?あなたが何かしら色めいた出来事に出会っている間奔走を続けた自分がなにやら阿呆らしくって悲しくなりますよ」
怒られた。
……フィー、か。彼女に約束したのだから、また会うためにも全ての宝石を手に入れなければならない、とヴィーは思った。
「それにしてもクェイン、怪我は……。愚問だな」
防衛の術に関しては、この男の右に出るものはそうはいないとヴィーは知っていた。さらに剣の腕は、神殿騎士内ではヴィーに次いでよかった。敵にすると面倒な男である。傷を負わせにくいからだ。
「ご心配に及びません。それより疲労のほうが酷いです。あの男やけに逃げ足が速くって、そのせいで久しぶりに随分走らされましたよ。もう動きたくありません」
「……なるほど、運動不足というわけだな。ならばそれを解消させるのにもってこいな話があるぞ、クェイン」
「……聞いていましたか、動きたくないと私は言ったはず。あなたは鬼ですか?こんなにぼろぼろの人間には労いの言葉をかけて労わり、早々に今日の仕事は休ませて家に帰すべきと思いますが」
「ぼろ雑巾というのは汚れ仕事をするものだろう? ドアが吹っ飛ばされてしまった宝石店に行って、掃除を手伝って結界をかけてやって来てくれ。あれじゃあ泥棒が入り放題だ。俺が一応かけておいたが、あまり結界を張るのは得意じゃないものでな」
「……分かりました」
正直賊を取り逃したのは、ヴィーが悪い。だがそもそも城で賊を捕まえそびれて宝石を奪われてしまったことにクェインは責任を感じているのだろう。彼はひとつ溜息をつくと、宝石店の大体の場所を聞いてそちらへ向かっていった。
「悪いな、クェイン……さて、俺は狸のところに行くか」
奪い合いであるからには、行くのが早いに越したことはない。クェインを見送ると、ヴィーは王都の中心へと向かった。